ニーハの別荘 2

 レイシアの神殿に入ると、正面には神像があった。

 ここは、水をつかっておらず、ただ水の神レイシアの像があるだけだ。

 おそらく、一般的にはこちらの方が多数派なのだと思う。

 礼拝堂は狭いけれど天井が高いので圧迫感はない。かなり高い位置の窓から、光が差し込んでいる。

 外から流れ込んでくる空気は水のエーテルの香りがした。

「おや、ルークさま、エリザベスさま。よくおいでくださいました」

 信者の人は誰もいなくて、祭壇の横にいた神官長と思われる人が、神官の礼をする。

 咄嗟に、自分も礼をかえす。

「ん?」

 神官長の怪訝な顔に、しまったと思う。

 いや、でも、宗派が違っても神官に礼を返すのは、当たり前なのだ。

 私は神官ではないけれど。

「おや、こちらのお嬢さまは?」

「同級生のアリサよ。アリサ、神官長のグリックさん」

「初めまして」

「こちらこそ初めまして。水の神レイシアの神殿にようこそ」

 グリックはもう一度神官の礼をしてくれたので、私も神官の礼を返す。

「アリサさまは、オーフェの神官でいらっしゃいますか?」

「え? いえ。神官ではありません。神殿育ちではありますが……どうして、オーフェだと?」

「一目でわかるほど、風の加護を受けておられます。あなたはオーフェのいとし子ですね」

 にこりとグリックは笑む。

「いとし子は言い過ぎです」

「謙遜は過ぎると、嫌みですよ」

「そうね。アリサはもう少し自分に自信をもったほうがいいわ」

 エリザベスが苦笑する。

「アリサは賞賛されるだけのものを持っているのよ?」

「そうでしょうか?」

 もちろん。私自身、自分の魔力が高いことは知っているし、だからこそ孤児の私が拾い上げられ、学院に入れたのも事実だ。

 エリザベスはともかく、ルークが私に構ってくれるのも、私に『力』があるからだと思っている。

「少なくとも、神官でもなかなかそこまでの加護は受けられませんよ。自信をもって、オーフェの期待に応えてあげてください」

「ありがとうございます」

 オーフェの期待って何だろう、と、思いつつ私は礼を述べる。

「この神殿は、マクゼガルド公爵家と密接な関係があってな。俺たちもここに来るたびに、顔を出しているんだ」

「この神殿は、マクゼガルド家の寄付で成り立っておりますから」

 グリックが微笑む。

「土地の人は、ほとんど山の神をムナザを主神としています。そのほかの神殿をおざなりにしているわけではありませんが、正直、この神殿は暇なのですよ」

「でも、とても大きな力のある神殿ですよね」

 こうして立っているだけでも、かなり水のエーテルの流れを感じる。

「高濃度のエーテルが流れていますからね。規模の割には、『力』があるとは思います」

 グリックが頷いた。

 大抵の神殿は護り石を使って、魔物から周囲を守っている。

 ここもそうなのだろう。

「ねえ、グリック、いいかしら?」

 そわそわと、エリザベスが話しかけると「どうぞ」とグリックが頷いた。

「こっちよ。アリサ」

 エリザベスは私の手を引いて、奥の扉を開くと、階段になっていた。

「どこへ行くのですか?」

「いいから、のぼって」

 説明するのももどかしいというように、エリザベスに追い立てられて、私は階段を上った。

 階段をのぼりきった先の扉をエリザベスが開くと、そこはバルコニーになっていた。

 目の前に広がるのは青い湖。

「わぁっ」

 思わず声を上げてしまう。

 ものすごく綺麗。

「ねえ。素敵でしょ」

 エリザベスが得意げに私を見る。

「もちろん湖岸から見る湖も素敵なのだけれど、ここから見える湖は格別よ」

 正面よりちょっと左に見える対岸の高い山は、ムナザ山だ。かなり大きくて、高い。

 信仰を集める山というだけあって、とても美しい山だ。

「私はこの景色が大好きなの。絶対にアリサに見せたいと思っていたのよ」

「エリザベスさま」

「エリザベスは昔からこの景色が好きだな」

 ルークがくすりと笑う。

「アリサ、あの山の手前にある赤い屋根が皇族の別荘。その右側の建物がムナザ神殿だ。ここだとよく見える」

「へぇ」

 私はルークの指の先を目で追うと、対岸に小さくだけれど、建物があるのはよくわかった。

「もう。お兄さまったら。私が教えたかったのに。だから、お兄さまと一緒は嫌だったのです」

 エリザベスがぷくっとむくれた。めちゃくちゃかわいい。

「好奇心でキラキラしたアリサの目は私のモノのはずよ」

「エリザベスさま?」

「悪かった。エリザベス。アリサ。エリザベスは、ここに来た『初めての人間』を案内したかったようだ」

 ルークは苦笑する。

「そう言えば、ここに『誰か』を案内するのは、初めてだったな」

「そうですよ。お兄さまは意地悪です」

 エリザベスはふぅっとため息をついた。

「エリザベスさま、ありがとうございます」

 きっとエリザベスは、大好きな宝物を見せてくれる気分だったのだろう。

 私よりたくさんのものを持っていて当然のエリザベスだけれど、彼女は人に自慢したりすることは全然ない。

 だからこういうのは本当に珍しいことだ。

 エリザベスの所有するモノではないけれど、彼女が好きと思ったものを素直に紹介してくれたと思うと、とても嬉しい。

「私ね。アリサには、いろいろなものをもらったの」

 エリザベスがにこりと笑う。

「アリサには何でもないことかもしれないけれど、学院がとても楽しくなったわ」

「それは私も同じことです」

 エリザベスからはたくさんのものをもらっている。

 むしろ私の方が、物理的にいろいろ貰っていて、非常に申し訳ないと思う。

「お兄さまは、もっと言いたいことがあるかもしれないけれど」

「何が言いたい?」

「いいえ、別に」

 エリザベスは意味ありげに微笑する。

「そうそう。アリサはダンスが苦手だから、お兄さま、別荘にいる間、相手をしてあげてくださいね」

「エリザベスさま、それは」

「構わんが。何ならここでするか?」

 ルークの手が伸びて、突然手を握られた。胸がドキリとする。

「えっと。ここはさすがにやめませんか?」

「そうね。お兄さま。場所は選びましょう。こんな狭いところはダメです」

 エリザベスの言うとおりだ。このバルコニー、ダンスが出来るほどは広くない。

 いや、広かったらいいってものでもないと思うのだけれど。

「冗談だよ」

 ルークは苦笑いをしながら、私の手を放す。

「……冗談でもやめてください」

 公子さまが不用意に女性の手を握ってはダメだと思うのだ。

 勘違いしてはダメだとわかっていても、こんなに胸がドキドキしてしまうのだから。

「お兄さま、本当に変わられましたね。あれほど女性を近づけない人でしたのに」

 くすりとエリザベスが笑う。

 確かに私もそういうイメージだったけれど、部活で見ている限り、リンダ・メイシンには好意的だし、レティシア・ミンゼンとはとても仲が良さそうだ。

 ルークは、懐に入ってしまえば、女性も男性もなく優しい人で、私が特別というわけではない。

 そもそも私は『部活の後輩』枠。

 大事な妹の親友でもある。

 だからこその距離感だということを、私は忘れてはいけない。

「あら?」

 エリザベスが湖の方に目を移した。

 舟だ。

「漁船、ではないわね?」

 小さな小舟が湖の中央へと向かっている。

 はっきりとわからないけれど、漁師とかではなさそうだ。

「ああ、あれは、高濃度のエーテルを浴びに来ている奴だろう」

「湖の霧を?」

「そうだ。魔力量が増えるという『迷信』を信じている連中だな」

 ルークが肩をすぼめる。

 いろんな人がいるものだと思いながら、私もその小舟の方を見た。

 遠くて、よくわからないのに。

 一瞬、背筋に冷たいものが走った気がした。


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