グレイ 1

 授業が終わり、帰りの支度をして、廊下に出る。

 部活があるエリザベスに別れを告げて、図書館にでも行こうかなと思って歩き出そうとした時だった。

「トラウ嬢」

 思いもかけぬ声に呼び止められて、驚いて振り返る。

 グレイ・ロードナン。皇太子だ。

 ライトブラウンの髪に光が差して、キラキラと輝いている。

「少し話がしたい」

 グレイの顔は険しい。どう見ても楽しいお話とは思えない。とはいえ、皇太子に呼び止められて、逃げるわけにもいかない。

「はい」

 私は観念して頷いた。この前のことが不敬に当たるとしても、さすがに牢獄に入らないといけないことはないだろう。ああ、でも。学校辞めさせられるっていうのはあるかもしれない。

 原作のアリサよりマシなのかもしれないけれど、それはそれで嫌だ。泣いてすがったら許してもらえるだろうか。とにかく謝罪すべきなのかも。悪いことはしていないと思うけれど。

「ここではゆっくり話せない。場所を移そう」

「はい」

 グレイはちらりと辺りを見回す。確かに、あまり人がいないとはいえ、廊下で話し込む内容ではないかもしれない。

 どこへ行くのだろうと思いながら、私はグレイの後をついていく。

 まるで連行されているみたいだ、とちょっと思う。

 階段を下りて、校舎を出ると、グレイはファーストエリアの方へと歩き出した。

 別に立ち入り禁止ではないのだけれど、場違い感があって躊躇してしまう。衛兵がいるし、寮の建物は明らかに大きくて立派だし、花壇なんかもあって、すごく手入れされている。

 まるで別世界だ。同じ寮とは思えない。

 騎士たちが皇太子の姿を見つけて、敬礼を返しているのが見えた。そして、一緒に歩いている私を値踏みするように見ている。怖い。まだ、そんなに悪いことしていないと思うけれど、皇太子がその気になれば私の命は簡単に飛ぶだろう。

「こっちだ」

 グレイが指差したのは、ファーストエリア専用のカフェ。もちろん学院内のカフェなので、正装する必要はない。制服で入ってもとがめられないし、サードエリアの人間が利用していけないというルールもない。実費さえ払えば。

 私は青くなる。私に払えるだろうか。学院貨幣は常に余分に持っているけれど、お昼に使ったから、それほど残っていない。

 まあいい。いざとなったら、何も頼まなければいいのだ。何も頼まないのはお店に失礼かもしれないけれど、グレイは何か注文するだろうから、許されるだろう。

 私は深呼吸をして、グレイについて、カフェの中に入った。

 カフェは大きなガラス窓がいくつもあって、とても明るかった。

 店内の座席の間隔はとても広い。磨き上げられたテーブルに、ゆったりとしたソファ。前世の記憶で言えば、高級ホテルのラウンジみたいだ。

 床はフカフカの絨毯が敷かれていて、歩いても音がしない。

 グレイはここの常連さんなのだろう。迷うことなく店内の一番奥の席へと向かった。

「座って」

「は、はい」

 奥の席を選んだわけはすぐわかった。壁側に窓がなく、また他の席からの視線が通らない。

 おそらく警備上の理由で、いつもそこに座っているのかなと思った。

 もちろん、他の人から見られないにせよ、店の店員からは視線が通る場所なので、同行者が何か不届きなことをすれば、店員が絶対に気づく。

 いえ。もちろん、私は無体なことなどしませんが!

「いらっしゃいませ」

 店員がさっとメニュー表とお水とおしぼりを差し出す。

「すみません」

 私はぺこりと頭を下げ、メニュー表を受け取った。

「チーズケーキがお薦めだ」

 ぽつりとグレイが呟く。

 どれ、と思って値段を見たら、Bセットと同じ値段だった。駄目だ、手持ちがない。

 辛うじて、アイスハーブティなら、手持ちで何とかなる。

「わ、私はアイスハーブティでお願いします」

「ケーキは食べないのか?」

 せっかく薦めたのにというような顔でグレイは私を睨む。 

 食べないのではなくて、食べられないのですとは、さすがに言いにくい。

「夕飯が食べられなくなりますので」

 私は言い訳する。

 それにこれから楽しいお話をするとは全く思えないので、とてもじゃないけれど喉に通らない気がする。

 店員さんが注文を取りに来たので、私はアイスハーブティ。グレイはチーズケーキとハーブティ。

 一人で食べるのが、食べにくいから薦めたのかもしれない。

 それにしても、この前の抗議で呼ばれたにしては、グレイは普通に注文している。

 貴族はパーティで食事をしながら、嫌み合戦をするって聞いたことがある。どんなに深刻な話でもスイーツを食べながらできるのかもしれない。

 いつ、本題に入るんだろうと緊張しながら、私はじっとグレイを見つめた。

 非常に整った美しい顔は相変わらず険しい。

 なかなかグレイは話を切り出さないのは、注文の品を待っているのかもしれなかった。

 話の途中で店員がやってくるのが嫌なのだろう。

 やがて、店員が注文の品を持ってきてくれた。

 それなりにお高いアイスハーブティはオシャレなガラスのコップに入っていた。透明なブルーの液体に、冷たい氷が浮かんでいる。

 グレイの頼んだチーズケーキは、淡い卵色をしていて、とてもおいしそうだった。

 うん。お仕事頑張って、卒業するまでに一度は食べたい。

 グレイは、ハーブティを口をつけ、ゆっくりとカップをテーブルに置く。

「昨日、ルークにトラウ嬢を知っているかと確認をした」

 つまり、私が完全に根も葉もないことを言ったのかどうかを確認したのだろう。当然と言えば当然だ。グレイは同じクラスメイトだけれど話したこともなかったのだから。

「ルークは、アリサ・トラウは、部活の後輩だと答えた」

「はい」

 ひょっとしたら、それだけしか答えなかったのかな。依頼の話は直接グレイには話しづらいだろう。それが出来れば、私に様子を見ろなんて言わないと思う。

 ちょっと血の気が引いて行く。まずい。不敬罪、決定かもしれない。

「トラウ嬢は、随分とルークに気に入られているようだ」

 グレイはチーズケーキを口に運び、ふうっと息をついた。

「今日、見たところによれば、エリザベスとも仲がいい。トラウ嬢の言うことは正しいのかもしれない」

 どう返したらいいのかわからない。

「頼む!」

 突然グレイが私の前で手を合わせた。

「え?」

 さすがに何が起こっているのか理解に苦しむ。

「エリザベスとの婚約、解消したくないんだ。手を貸してくれ!」

「で、殿下?」

 あろうことか、皇太子であるグレイに頭を下げられて、私は思わず顔がこわばる。

「エリザベスが好きなんだ」

 真剣な顔で告白するグレイ。

「あの。その告白は私じゃなく、エリザベスさまご本人になされてはいかがかと?」

 不敬かもしれないけれど、さすがに、私に言っても仕方ないと思う。

「馬鹿。そんなことができるなら、トラウ嬢に頼んだりしない」

「……えっと」

 大真面目なグレイに、思わず頭が痛くなる。

 原作のグレイと違って、現実のグレイはとてつもなくヘタレのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る