友達
翌日は怯えつつも、平然な顔をして教室に入る。
いきなりグレイに詰問されるようなことはなく、いつもと同じ感じでホッとした。
エリザベスとグレイの様子は、なんとなく多少ぎこちなさを感じる。
エリザベスとはともかく、グレイの方がいつもと違う感じだ。
あれだけのことを、赤の他人に言われたのだから、少なからず動揺しているのかもしれない。
グレイがエリザベスのことをどう思っているのかわからない。けれど、動揺が見られるのであれば、ひょっとしたら原作と一緒で、グレイもエリザベスが好きなのかもしれない。
もしそうなら、グイグイいって、エリザベスを幸せにしてあげて欲しいけれど、どうやらそこまでの変化はなさそうだった。
「アリサ、一緒にお昼にいきましょう」
昼休み。食堂へ行こうとした私は、エリザベスに呼び止められた。
周囲の者が驚いた顔をしている。そうだろうな、と思う。私も結構驚いているもの。
「はい。エリザベスさま。喜んで」
私が名を呼ぶと、エリザベスの顔がふわっと春の日差しのように輝いた。
不敬と指さされても、当のエリザベスが喜んでくれるならそれでいい。
うん。視界のすみに映ったグレイが私を睨んでいたけれど、もういいんだ。どうせ私は『公爵令嬢は月に憂う』のヒール役。ヘイトの一つや二つ、どうってことない。たぶん。
今日のエリザベスは、A定食。デザートはなし。メインのグラタンがとても好きなのだそうだ。
私はC定食。相変わらずそれだけ。でも最近は、ルークから依頼料としてかなりの金額をもらっているから、実はゆとりがある。特別な日には別の定食を食べようとわくわくしているのだ。
今日もエリザベスと一緒に、テラス席。初夏の太陽が眩しい。
エリザベスともなると、とにかく皆に見られる。目立たないテラス席を選んでいるのは、そのせいもあるのだろう。
当然、エリザベスもルークと同じで人の視線を浴びることに慣れているけれど、エリザベスは次期帝妃というプレッシャーもある。敬意を持っている人間の方が多いけれど、中には足を救おうとしている輩がいるから、気が抜けないに違いない。
「アリサって、すごく優秀だけれど、苦手な教科とかはあるの?」
エリザベスは、グラタンをスプーンですくいながら訊ねた。
「ダンスとか、礼儀作法とか苦手です」
私は苦笑する。
貴族の子ならば、生まれた時から先生について習うべきものだが、さすがの神官長さまもそこまでは教えてくれなかった。もちろん、『人』として、守るべき作法はしっかり学んだけれど、貴族の求める礼儀作法というのは、それとは違うものだ。
「あら。でもアリサは、姿勢がとても綺麗よ。それだけで、作法の半分は出来ているといってもいいと思うわ」
「そうなのですか? それなら、嬉しいですけれど」
姿勢については、神官長さまがうるさかった。人々を導くべき神官は、美しい姿勢であるべきだといつも言っていた。私は神官ではなかったけれど、同じようにいつも言われていた。
「テストにはなくてホッとしてますけれど」
礼儀やダンスは実技なので、ペーパーテストの評価には入らない。特待生であるために必要なのは、ペーパーテストの評価なので、実技が駄目でもなんとかなる。
もっとも、あまりにも駄目だと、補習とかあるらしい。そして補習は実費! 特待生でも払わないといけないから、かなりそれは厳しい。
「ダンスは、今のところ基礎練習だけなので、まだ助かっていますけれど」
今のところ、私や一部の平民は、ステップの踏み方の基礎練習中。完全に別課題状態だ。
もちろん、その辺は、学院側もスタートに差違があることはわかっているので、現在は大目に見てもらっているけれど、来月末にはもう別課題はなくなってしまう。そんな無茶なって思うけれど、別課題をやるようになっただけ、ましになったという話だ。
「私でよければ、わからないことがあったら教えるわ」
「はい。ありがとうございます」
自分のこの先を考えると、エリザベスと友達になってよかったのかはわからない。
でも、彼女を守るつもりなら、私は悪の道には走らないのではないかと思い始めた。
単純に、エリザベスと友達になれて、舞い上がっているだけと言えば、その通りだけれど。
「そうよ。アリサ、お兄さまと仲良しよね。教えてもらったらどうかしら?」
「へ?」
突然の言葉に私はあやうく、食べたものを噴き出すかと思った。よかった。飲み込めて。さすがにそこまで下品なことをしたら、エリザベスに嫌われてしまう。
「お兄さま、ダンスがとてもお上手なの。ダンスは相手がいたほうが、上達が早いし」
エリザベスは嬉しそうに手を叩いた。
「あの、マクゼガルドさまはただの部活の先輩で」
「あら。でも、私のことをアリサに頼んだってことは、信頼しているってことよね。お兄さまが女性にものを頼むなんて、めったにないことだわ」
エリザベスはくすりと笑う。
「えっと。信頼というより、その、ビジネスライクな関係です。報酬もいただきましたから」
エリザベスに呆れられるかな、と思ったけれど、変な誤解は良くない。
「私がお金に困っていることを薄々気づいてくださってのことかもしれませんけれど」
食堂で働いているのも、しっかり知られているし、私が貧乏学生だというのは、わかっているだろう。
ちょっとした施しなのかもしれない。
むろん、エリザベスのことを気に掛けているのは間違いないと思うけれど。
「ふふっ。でも、お兄さまに頼んであげるわ」
エリザベスは楽しそうだ。
いや。まあ、どうして部活の指導担当にモノを聞かないんだと、言われはしたけれど。
ダンスのレッスンとなると、勉強を少し教えてもらうというのとはちょっと違う。
手間も時間もずっとかかる。部活のついでに、というわけにはいかない。
「とても嬉しいですけれど、さすがにそれは、厚かましいと思いますので辞退させていただきたいです」
せっかくのお話だけれど、私はルークに返せるものが何もない。
相手に手間暇をかけていただくとなれば、それ相応の謝礼がいる。無償の愛は、相手に強制するものであってはならないのだ。
「本当、アリサ変わった人ね」
私の返答を聞いて、エリザベスは、くすくすと笑いだした。
「私がお兄さまにお願いするって話をして、断った女性はあなたが初めてじゃないかしら」
「そうでしょうか?」
お願いの内容にもよるから、一概にそう言われてもって気もする。
「そうよ。お兄さまと知り合うためならどんなきっかけだってかまわないって、ご令嬢は多いのよ」
「それは、なんとなく理解できます」
ルークはなんと言っても次期公爵だし、美形だ。成績も優秀らしいし、非の打ち所のない貴公子である。
ただ。私は将来、ルークに地面にたたきつけられる運命だ。エリザベス同様、相手を守るつもりでいれば、私の運命は変えられるのかもしれないけれど。
仲良くしてもらえるのは嬉しい。でも、私の未来は不安だらけだから、相手に負担がかかるようなことは、絶対に避けたいと思う。
「もっともそのせいで、お兄さまは女性にうんざりしているみたいだけれど」
エリザベスは少しだけ肩をすくめた。
「マクゼガルドさまは、ご婚約者の候補はいらっしゃらないのですか?」
「いるにはいるけど、なかなか決まらないみたい。政治的な問題もあるし、何より、お兄さまの気が乗らないみたい」
エリザベスはコップの水に手をのばした。
「でも、こだわってほしいわ。お兄さまには、幸せな結婚をしてほしいから」
淡くエリザベスが微笑む。
自分のことは諦めてしまったかのような、悲しげな瞳。
「エリザベスさまも、幸せになってほしいです」
原作通りなら、二人は両想いのはずだ。そうでないのなら、グレイとの婚約を解消してしまうのも一つの考え方である。ただ、それは私がどうこう言える問題じゃない。いや、言ってしまった気もするけれど。
「そうね。ありがとう」
エリザベスは頷く。
私の破滅はもちろん避けたいけれど、エリザベスには原作通り、もしくはそれ以上に幸せになってほしい。
私のこの願いは、あまりにも欲張りなのだろうか。
五月の空は、どこまでも青かった。
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