もうひとりの特待生
時間がたつにつれ、自分のやってしまったことがだんだん怖くなってきた。エリザベスのためだと思ってやったことだけれど、かえって迷惑になったかもしれない。
ルークも突撃して欲しいようなことを言っていたけれど、ここまで好き勝手なことを私が言うとは思っていなかっただろう。きっと、そこまで望んでなかったって言われるだろうな。
今日は部活もないから、本当は部屋に帰って勉強した方がいいと思うけれど、とてもじゃないけれどそんな気にはなれない。
あてどもなく歩いていると、学校の裏手にある林に来ていた。
ちょうどこの前、授業で植樹したあたりだ。林の他に何もないので、ここには、めったに人がこない。木々の間を渡る風も、どこか優しさを感じる。
風を感じているうちに、少し気持ちが落ち着いてきた。
皇太子には嫌われるかもしれない。でも、もともと縁の遠い人だ。
将来的には影が落ちる可能性もあるけれど、そこまで器の小さな人ではないだろう。なんと言っても、皇太子なのだから。
それに、誰かが言わなければいけなかったことだと思う。暗黒教団とお友達になるよりは随分と円満な展開だし、これで投獄されることはない。やってしまったことを今さら後悔しても、どうしようもないからポジティブにとらえていこう。
そんなことを考えながら歩いていると、意外にも人がいた。ここの生徒だろう。男子生徒だ。
私とエリザベスの木の幹に触れて、木を見上げている。
何をしているのだろう。
不意に、その人が私の方を見た。
ネクタイから見て、一年生だろう。
「やあ」
彼は私を見て、知己のように声を掛けてきた。親し気な笑みだ。
えっと。誰だっけ。少なくともクラスメイトではない。
黒い短髪。少し影があるけれど端整な顔。闇色の瞳。背がとても高い。女性が騒ぎそうな二枚目だけれど。なんだろう。すごく冷ややかな感じがする人だ。
背中がゾクリとする。
「君、特待生のアリサ・トラウ嬢だね。おれはビル・クォーツ。同じ特待生だ」
少しハスキーな声だ。普通の言葉なのに、なぜか鋭利な刃物を感じさせる口調。
「……どうも」
そう言えば、今年の一年生の特待生は二人。ビル・クォーツは確か子爵家の長男だった。
原作にはいないキャラだ。『公爵令嬢は月に憂う』だと、特待生はアリサ一人なのだから。
「この木、とてもすごいね。香しい魔力の香りがする」
クォーツは、ほんの少し口の端をあげ、うっとりと、その幹をなでた。
肌がぞわりとする。なんてことのない仕草なのに、鳥肌が立っている。自分でも意味が分からない。
その木の魔力が香しいのは当然だ。エリザベスの魔力が半分入っているのだから。
「……そうですか」
私は曖昧に頷く。
「おれたちの授業は、明日なんだ。この木は誰が育てたんだい?」
「ええと。わかりません」
咄嗟に私は嘘をつく。何故答えなかったのかは、自分でもわからない。ただ、答えない方がいい、その時はそう思った。
クォーツはじっと私を見ている。なんだかすごく居心地が悪くて、背中がぞわぞわした。
「あの。それでは私はこれで」
頭を下げて、返事を待たずに踵を返す。
なぜだろう。何もしていないのに、クォーツはとても怖い。第一印象だけで、決めつけるのは良くないけれど、これ以上話をするのはいけない気がした。
さすがに走って逃げるのはダメなので、あくまでも平静を装って歩く。
気にしているのは私だけだとは思うけれど、視線がどこまでも追いかけてくる気がした。
どうやって寮の部屋に戻ったのか、よくわからない。
マリアは帰ってきた私を見て、とても驚いた。一目でわかるほど青ざめた顔をしていたらしい。
かなり精神的に参っていたにせよ、ほんの少し会話しただけの相手に、どうして私はあれほど恐怖を感じたのだろう。
冷静に考えると、相当に失礼な話だ。
「ビル・クォーツさまってどんな人か、知っています?」
自分のベッドに腰かけて私は、マリアに尋ねた。
「ああ、特待生の? クラス違うからよくは知らないけれど、とても優秀な方みたい」
マリアは顎に指を添えて、話し始める。
「顔立ちも二枚目でいらっしゃるから、人気もあるみたいよ。ただ、貴族のお嬢さまがたにはイマイチかな。やっぱり、子爵家のかただから」
「そうなのですか……」
ルックスが良くて、成績が優秀でも、子爵家では、結婚相手としては不満ということなのかもしれない。もっとも優秀であれば、出世の可能性だってあるのだけれど。
「どうしたの? なんかされたの?」
マリアは不思議そうな顔をする。青ざめて帰ってきてすぐの話題にしては脈絡がなさ過ぎて、面食らってしまったのだろう。
「なんでもないの。同じ特待生だから、どんな方なのかなって気になって」
私は首を振る。
私が勝手に怖がっただけで、彼は何もしていない。
「なんか困ったことがあるなら、相談してね」
「はい。ありがとうございます」
マリアの優しさが嬉しい。さすがに、今日のことは話せないけれど。
「ああ、そうだ。マクゼガルドさまに相談したら?」
「マクゼガルドさま?」
どうしてその名前が突然出てきたのかわからず、私は首をかしげる。
「部活の先輩でしょ? アリサのこと、可愛がってくれていたみたいだし」
マリアはにやにやと笑う。
どうやら、この前、食堂で一緒になってから、彼女の中では私とルークは仲良しということになっているらしい。
今日の私の心労の半分は、ルークの依頼によるものだけれど。
「そうですかねえ」
私は曖昧に返事する。
ルークが私に興味を持っているのは、私がルークに擦り寄って行かないからだ。
厄介事を背負い込んで、擦り寄ったら、邪険にされる気がする。
「ご飯、食べに行きませんか?」
このまま話をするとなんかいろいろ誤解されそうだ。私は、マリアに声を掛ける。
「大丈夫なの?」
「はい。大丈夫です」
私は頷く。
正直、あまり食欲はないけれど。きっと、食べものを見たら、食べられるに違いない。
なにより、今日は一人で食事をしたくなかった。
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