###54 黒蝶よ

 

「――私は零落れいらくの魔女アディグラ。かつて魔女仲間を裏切った、お母様ソフィ・アンシルの忠実な娘よ」



「…………大人しく退いてはくれないんですね」


 私はストレージからいつものふた振りを取り出す。ここからは踊りでは済まない、本気の戦いだ。アディさんが零落の魔女なら手強いのは間違いない。【不退転の覚悟】はきってしまったので使えないが全力で彼女を無力化しなくてはならない。



「『ひらけ、遙か天の先へ至るために』

【神器解放:順応神臓剣フェアイニグン・キャス】!」


「『閉ざせ、地の底にて無へ還るために』【神器解放:無偏災の神杖クラドス・パンデラム】」



 向こうも本気というわけね。やってやるっきゃないか。



「【縮地】」

「【自動反撃オートアクション・初の風】」



 私の接近にあわせて魔術が展開された。

 あらかじめ繰り出す攻撃を設定する感じのやつだろうか。詠唱なしでこんなに多彩な魔術を撃ち出すとは……出だしが速いから厄介だ。何かデメリットでもあれば楽だが――とりあえず防御っと。


「【吸魔】」

「【自動反撃オートアクション・次の風】」


 魔術攻撃を全て吸収すると、私の剣は素早いバックステップで躱され、今度は抹消ロスト属性の弾丸が放たれた。

 それもあるのか。

 しかしもう大体法則性は読めている。

 破壊神の力と同じ、触れた対象だけを消し去るのだ。理不尽な【理想を描く剣イデアヴルツァ】すらも消せそうな超高火力版というだけ。



「そいっ!」


 地面を踏み抜いてコンクリートの欠片を蹴り、正確にその弾丸にぶつけた。コンクリートは消し飛んだが攻撃は防げた。破壊神には感謝しないとね。



「【自動反撃オートアクション・終の風】」



 今度はシュババと全てを消し飛ばす孔が出現した。私はそれを潜り抜け、そこら辺の建造物を粉砕してその破片で孔を消していく。

 ――と同時にアディさんまで引きつける。


「【放魔】!」



 そして溜め込んだ魔力の弾で相殺した。

 そのままの勢いで彼女に正面から抱きつく。


「いい加減! 目を覚ましてください!」

「元から目はぱっちりよ」


「貴方はそれで本当にいいんですか!」

「別に何も問題は無い」


 強引に引き剥がされた。

 目が合う。彼女の虚無な瞳孔が私を射抜いた。

 危機を察知して【終焉の天災眼】をアディさんに向けて発動した。やりすぎということなかれ、下手すると私が二度とログインできないように消し飛ばされる可能性があるのだ。


「天災が消えた……やっぱり特殊な眼というわけですね」

「よく見切ったわね」


「伊達に仲間やってませんでしたからねー」

「……」



 しかし、こちらは手加減が必須な上、あっちは必殺の一撃を容赦なく連発してくると来た。不利な盤面を覆すのはかなり難しい。中衛を名乗っていただけあって立ち回りも上手い。


「――黒い蝶」

「うん?」


「私、あの話好きなんですよ」

「そ、そそそれ……」



 アディさんの攻撃があらぬ方向に飛んで行った。

 いつも死んでいる彼女の目も動揺で盛大に泳いでいる。オリンピックにでも出場できる速度で泳いでいる。

 絵本を描いていることを知られるのは問題無かったが、自身をモチーフに描いていた事実を突きつけられて恥ずかしいのだろう。今更すっとぼけている。



「な、なんの話? 黒い蝶? ちょっと意味が分からないんだけど?」

「“あるところに、すてきな蝶たちが仲良く暮らしていま――」


「ぴゃあああ!? 【零落世界】!!」


 顔を真っ赤にしながら、世界スキルそのものに抹消ロスト属性のありそうなのが広がっていく。黒い沼なような世界だ。

 少しずつ沈んでいっているが今はまだ何も起きない。機動性を下げて沈み切ると消し去る感じだろうか。



「そういえばあの時すぐに蝶のデザインの{絆の指輪}を選びましたものね。しかも、今もつけてらっしゃる」

「これは……違うわよ。とるのを忘れてただけで――」



「“よかったら一緒にお外の世界を冒険しない?”」


「――っ!」



 ありきたりではあるけど、彼女はまだ迷っている。自身が描いた絵本のように生まれ、存在、過去、全てのしがらみから、きっと本心では逃れたいんだと思う。

 だから――だから黒蝶はきっと。



「貴方は森の外に出たくて、あれを描いたんじゃないんですか!」

「私、は……」




「遅めの反抗期ということで、私たちと一緒に誰にも辿り着けない冒険をしませんか?」

「……冒険なんて必要ない。ここが世界の高み、今更冒険する余地なんてこの世界には無いわよ」


「ありますよ。まだ誰も開拓できていない場所が」



 沼に腰まで飲み込まれていく。

 “準備”だけはしておこう。


「邪神をぶっころがす冒険、しませんか?」

「アンタまさか――」


「もうさっきのニャルさんと約束しちゃいましたからね。私、義理堅い真面目な美少女系大天使なので世界の一つや二つ、救いますもん!」

「……はぁ、もん、ってなによ」



「アディさん――」

「うん、分かった。反抗期、したくなってきた」


 よかった、説得できたようだ。

 やはり元から結構揺らいでいたらしい。

 これで一件落着、無事に私と足並み揃えてソフィさんのところまで行ける。




「あ、でもどうしよう?」



「何か問題でもありました?」

「いやー何と申し上げればよろしいのか……」



 アディさんは苦笑いしながら目を逸らした。

 ものすごく嫌な予感がする。


「ごめん、これ【零落世界】の消し方分からないんだけど」

「んんぅー??」


「えーと、こういう時は“てへっ”で合ってる?」

「合ってはいますけれども!」



 てへっ、でキャラロストしたら笑えないわ。

 こうなったら仕方ない。


「はぁ、転移もこの世界内だと出来ませんし一旦自害しますので先に行ってもらえます?」

「了解よ。迷惑かけて悪かったわね」



 彼女が私に手を合わせた瞬間、彼女の胸が黒く光り出した。



「っ、なに……これ!」

「アディさん!」


「痛ぃ」



 裏切ったらいつでも尻尾切りできるように細工されているのか。このままではアディさんが危ない。

 私は【終焉の天災眼】を全開にして彼女の胸から全てを消し去ろうとするブラックホールを凝視する。こうでもしないと彼女は一瞬で塵も残さず消え、そのままこの大陸は圧倒的な重力に飲み込まれていただろう。



「これじゃあ間に合わない……! ってこの感じ、魔術か何かですか! それなら! 【吸魔】!」


「ミドリ……」



「今何とかしてみせます!」




 天災を飲み込ませて相殺しつつ【吸魔】で吸収する。無理やりアディさんの全魔力を使わせるようで、かなり膨大な魔力が込められていてこちらの剣にヒビが入った。


「踏ん張れ3号! ふぬぅ!!」


 沼が胸辺りまで達した。

 いよいよまずいと思ったところ、3号が明滅し出した。


 〈貯蓄限界に達しました〉

 〈周囲の一般人は避難してください〉

 〈爆発まであと3……〉


「ぬぬぬ!」


 〈2〉


 あらかじめ【超過負荷オーバードライブ】のエネルギーの盾をいくつもアディさんの周囲に用意しておく。



 〈1〉


「間に合えええ!!」

「ミド……」



 〈0〉



 視界が爆発によって真っ白に染まった。

 その直前、黒い渦が消えたのは何とか視認できた。


 アディさんの世界スキルでロストする前に自爆できたので、真っ白な視界の中、自身の体がポリゴンになっていくのを感じた。

 遠ざかる意識の中、彼女の声が聞こえた。



「ミドリ、本当にありがとう! 先に行ってるわよ!」


 よかった、アディさんは無事だったようだ。

 強制的に魔力をすっからかんにされたというのに元気なものである。












 ――電子の海に沈む感覚。

 現実とこちらの世界を行き来する時とは似て非なる感覚。ゆっくりと夜の月に手を伸ばして海に沈んでいく。


 明らかにおかしい。通常のリスポーンは死の感覚の後すぐにリスポーン地点で復活する。

 なのに、これではまるで本当に死んでいるかのようだ。

 体に力が入らない。薄らとしか開かない視界の先には虚ろな月だけが映っている。



 突如、目を潰さんと輝く何かが近付いているのに気付いた。あの光は見たことがある。【獲物に朝は訪れないエターナル・ダークネス】を使う時の光だ。

 そして私を覆わんと広がる黄色い布。

 私を射抜くおぞましい瞳。

 この世のものとは思えない触手……のようなもの。


 生物としての格が違う存在が無数に私を囲っているようだった。


 ――お腹が熱い。

 黒猫の紋様が刻まれた部分が熱を帯びている。



 何が起きているのかさっぱり理解できない。

 そもそも意識が混濁している。

 人の悲鳴、狂気の声が微かに幾重にも折り重なって耳に入ってくる。

 普通ならSAN値チェックが入りそうではあるが、マナさんから頂いた【不撓不屈】のおかげでかろうじて状況の把握はできる。


 体に力は入らないが、夢見心地のままに力を込める。

 温かい、虹色の力に。



「こらこらー! 私のかわい子ちゃんに手を出すんじゃない!」


 優しくも頼もしい声が聞こえたような気がした。私の内側から溢れ出る虹はおぞましい存在の尽くを飲み込んで海を虹に染めた。

 飴が突然現れて私の口に入ってきた。


「マナ、さん…………」





『進化の意志を確認』

『――――進化素材の確認が完了しました』

『調整が加わります。しばらくお待ちください』

『完了しました』

『種族――――』



「――――リちゃーん!」

「……ぁ」


 気が付くと真っ白な空間にいた。

 目の前には元気そうな黒髪の女神が。



「ミドリちゃんったらー!」

「ぁ、え? はい、ってフェアさん!?」


「おひさ〜! みんなの女神、フェアイニグちゃんだよ!」

「フェアさん……」


「そんなに恋しかったの? もう、照れちゃうなぁ! あ、そういえばやけに復活が遅かったのは抹消ロストの沼に半分浸かってたからだからね! 無茶しちゃだめよー!」

「フェアさんフェアさん」


「ん?」

「気持ちわる――うっ!」



「ちょ!? 私の服を持たないで!? や、アアアーー!」




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