###世界に闇が広がる刻、満開の桜が咲き誇る###

 


 ミドリが混沌と相対していたのと同時刻。

 邪神教本拠地の外にて、コガネは唯一消耗が少なかった不公平を軽くのして、横たわる幹部を退けた生き残りのパナセア、ウイスタリアを見下ろしていた。



「うぅ……」

「ってぇな……」

「なぜ、そちらに手を貸した」



「ん? ソフィ・アンシルを殺すためやで? このまま冒険を続けるよりあの邪神の力を借りた方が近道やさかい。それに、たぶんうちらの中で1番強いのはうちやろうし、そんなうちが未だアイツに勝てるか微妙――つまり、力が必要なんや」



 至極当然とばかりに裏切りの理由を説明した。

 コガネにとっては復讐こそがすべてなのだ。ミドリのような因縁とは恨みの質が圧倒的に異なるのである。



「ハッ! 面白い冗談だ。君は自分がミドリくんより強いと確信しているような言い方じゃないか」


「そう言うてるんや」



 コガネが少し機嫌を損ねていると、パナセアに向かって毒矢が飛んできた。コガネは身動きの取れない標的パナセアに代わりそれを爪で弾く。



「ヌテはん。勝手に手出しせぇといてくれん?」


「なんで殺さないのかが疑問なんだけど?」



 こげ茶色の髪を三つ編みに束ね、中学生ほどの背丈をした少女が不思議そうな表情で登場した。

 彼女はヌテ、邪神を復活させるために天使の羽根を狙って一時期ミドリを尾行したりしていた――邪神教の教祖的な立ち位置の人物であった。



「異界人は死んだら逃げられる言うたやんか。それくらい考えたら分かるやろ」


「それなら全員捕縛すべき」



 他のメンバーを普通に倒した挙句、中途半端な状態のまま放置しているコガネを糾弾するヌネ。

 しばらく睨み合いが続いたが、殺伐とした雰囲気をぶち壊したのはヌテと同じ、邪神教幹部の稀有な現地人であった。



「あ、あああ、あの、喧嘩はよくないと思います……!」



「せやんな。仲良うしよってさ」

「はぁ……好きにしたら? どうせ神は降臨するから有象無象なんて関係ないもの」


 〈なになにー? 随分楽しそうだね〉



 ヌルッと黒猫が現れた。

 ヌテとネクロマンサーは跪き、コガネは腕を組んで感情の窺えない表情を作った。




 〈ヌテ、儀式を始めようか〉


「――【祭壇】【供物】」


 いかにも怪しい3つのお皿がついた祭壇ができあがり、そこには既に天使の羽根と宝玉がそれぞれ設置されていた。


 中央のお皿の前にヌテが立つ。

 そして彼女は釣り針のような返しのついた特殊な暗器を取り出し――自らの心臓を抜き出した。



「――は?」


 コガネは突然の出来事に呆然としていた。

 ヌテの目的は親を蘇らせることであり、そのために邪神に仕えていると聞いていたのだ。まさか目的を達成できないような選択肢自害を選ぶなんて理解ができなかった。そして、彼女が邪神に騙されて迂遠に約束を反故にされたのだと思い至る。



「これで……これでお母さんと新たな世界で――」


 ヌテはそう言って崩れ落ちた。

 敬虔なる信徒の心臓が最後のお皿に乗る。


 コガネの瞳孔がキッと開く。



「【白黒無爪】!」


 〈……やめておきな。君ではボクには届かない。ボクを倒せるのはだけだよ〉



 コガネの爪撃は黒猫を透けて通り抜ける。

 あくまでも冷静な黒猫を見て、コガネも頭を冷やして思考を巡らす。



 〈さて、【降臨】っと〉


 黒猫は禍々しい力の奔流を発して己を包み込んだ。

 触手のように蠢くそれは、勢いよく吹き出して空に伸びる。支配されている上空を空が薄着み悪い影が覆う。


 〈じゃあ、まずは全部滅ぼそうか〉

「は、はい……! 【擬似神器解放:限定的な銀鍵ネル・ステノス】あ、アザトースの両腕さん!」



 巨大な黒腕が地面から生えてきた。

 2本の腕が地上の全てを薙ぎ払わんと持ち上げられる。

 それは呼び出したネクロマンサーも、仲間であるはずのコガネすらも巻き込もうとしている。



「ったく、邪神が複数出てくるなんざ聞いてねぇよクソッ! ここで使わなきゃやばそうだな」


「不公平はんまだ動けるんか」



「誰かさんが手を抜いてくれたおかげでな。――どいてろ、もうお前さんもあの猫を信じちゃマズイことは分かったろ」


「……そうみたいやな」




 〈心外だね。君は君の望みを叶えればいいじゃないか。言ったよね? ソフィ・アンシルと戦える場は作るって。今、ボクは敢えて天空に干渉しないであげているだろう? あとは君が勝手に戦いに行けばいいじゃないか〉



 “場を作る”という曖昧な約束を邪神と結ぶなんてことは黒猫からしては愚かでしかない。

 当然コガネも馬鹿ではない。ただ、具体的な状況を指定できるほどの時間も信用も足りなかったのだ。他のプレイヤー幹部の手前、言わせてもらえなかったとも言える。それもこれも織り込み済みでコガネ側はしたのだ。

 だが、それも裏切られた。


「無茶言わんでおくんなまし。もうええわ。ニャルはんも殺して――」



 〈そっか、バイバイ〉



 黒猫がそう言い放つと全てを砕く両腕が地に振り下ろされる。



 爪で迎撃しようとするコガネ。

 そんな彼女の前に割って入った者がいた。


 タバコに改めて火をつけた不公平である。

 彼の右頬の黒い紋様が明滅していた。



「本当なら猫の方を捕まえたかったんだがこれはしゃあねぇよな。【禁術・邪神捕縛】!」


 紋様が飛び出て両腕を包む。

 そして封印した紋様は不公平の頬に戻った。



「はぁ……腕だけでこのかよ。バケモン呼びやがって……」

「不公平はん、今のは?」


 〈――禁忌族だっけ。あのスカした神元生神が直接育て上げた対邪神特化の人間だね。あの引きこもり連中が来るとはね。ま、そこは異界人の自由さがあるだろうけど〉



「……説明ご苦労さん。不公平はん、2人を連れてここから離れられるかいな?」


「人遣い荒ぇな。まあ根性見せてやんよ」




「い、い、行かせませんよ!!」



 横たわるウイスタリアとパナセアをなんとか脇に抱えて逃走を図る彼に、死霊術師が立ちはだかる。

 ――が、一瞬で八つ裂きになった。




「やらかした分はうちが何とかするさかい。手出しさせるわけないやろ」


 〈もう一度教えた方が良いみたいだね。君ではボクに届かないんだよ〉



 黒猫は空を覆うから弾丸のような塊を作ってコガネに射ち出した。



「――『咲き誇れ、彼岸の桜華』」




 桜が出現した。

 散りゆく桜の花がコガネの命の肩代わりをして、彼女は黒猫の正面で復活する。



「責任はとるさかい。『桜花は満開、春が吹き荒れる』」



【変幻自在の神の加護:桜華】の真価、本来の力が発揮される。散りゆくだけの桜は力強く満開になり、コガネのもとへ全て収束した。

 その効果は――


「【グレイズクロー】」



 全ステータスの向上。

 しかも破格の10倍である。



 彼女の爪撃が黒猫をあっけなく切り裂く。

















 なんてことはなく。



「――――【向日葵の影】」




 黒い向日葵の形をした何かがコガネの渾身の一撃を阻んだ。

 それと同時に黒い閃光が向日葵から射出され、コガネを吹き飛ばす。



「っ……! 新手!?」

 〈ボクのおもちゃだよ。といってもあの牢獄から抜け出す時に一体しか連れて来れなかったけどね〉


「【宣名・指定英雄日輪】」



 影が旧世界の“宣名”スキルを使った。

 それは名乗ることで凡人としての枷を外し、英雄へ至る、神や世界から与えられた祝福そのもの。



「【幻尾収束】【黒白無爪】!」



「『――希望を見た。茜色の空、獣の慟哭が胸を焦がす。黄昏に泣くは、平和を求めし其の向日葵』【英雄武装解放:橙日禰刀サンフラワー】」


 計り知れない強者の風格を察知したコガネは更なる全力で仕留めにかかる。

 対する英雄の影は刀を抜いて応じた。

 全てが黒くなっている影、にもかかわらずその刀身だけはかつてのような太陽の色を放っていた。


 オレンジ色の袈裟斬りがコガネを襲う。

 真正面から、桜を散らしながら進む白黒の爪と激突し――爪が砕けた。

 刃がコガネの胸を深く深く抉った。



「くっ……」

 〈ほら見たことか。そもそもボクに届かないって言ったのに。じゃあボクはのんびり一発であとぐされなく終わらせるために神殿で準備でもしていようかな。君、しばらく地上は任せたよ〉


「――」


 黒猫は神殿を上空に作り、溶けるように消えた。

 残されたかつての英雄の影は、ただ命令に従う人形の如く無言で頷いてコガネにトドメを刺さんとする。

 影である彼女に意思は無く、淡々と処理する姿にコガネは少し哀れみを抱きながら死を受け入れた。




「――こっちもクライマックスって感じですねー。コガネさん、よくここまで耐えてくれました。あとは私に任せてください」



 どこからともなく現れ、影に斬りかかったのは、深緑をメインに慎ましい白金の差し色が入った新たな衣装に身を包んだミドリであった。



「……うちが無駄に裏切ったせいでここまで酷い状況になっとるんや。うちが責任を持ってなんとかするさかい! 手は出さんといて」


「嫌です」



「え? いや、うちがこの苦しい展開をつくってまったんやから」


「…………そんな傷のまま無理しないでくださいよ。裏切りとかしたなら余計精神的にも疲労しているはずですし」



 影の英雄武装でつけられた傷は決して癒えない。

 コガネもずっと幻術で回復しようとしているが、粛々と衰弱していっているのがその証拠である。



「うちはそんな弱ない! うちは1人でもやってける、復讐だって果たせる! そうやないと……そうやないともう、うちは、うちは――」


「女神ヘカテーよ、我が嘆願の声に応じ、愚かな者を癒したまえ〖セイクリッドリカバリー〗……回復できませんか。ならこの傷を与えたであろうそちらの影さんを倒せば良いんでしょうかね?」



「ミドリはん!!」



 コガネの痛々しい叫びが木霊する。

 ミドリは吐息混じりに応えた。




「――過程が何であれ、貴方の心は今私たちと共に在るじゃないですか。貴方も私も1人の人間なんです。私は貴方のことを大切な仲間だと思ってます。これだけ正直な気持ちを伝えても、まだ私は頼りないですか?」


「…………ずるいやんか」



 コガネの目尻が自身の光輪の光を反射しているのを見て、ミドリは彼女を背に剣を構えた。

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