##エルフの次期長、ストラス改めストロア・アルクス・スティファノス##
木の形をした住居――否、それはエルフの集落の中では一番大きく、まさに城といっても過言ではないものであった。
そんな城の1室にて、机に乗せられた大量の書類と格闘している者がいた。
「まったく、帰ってきたら挨拶もさせずに長の地位を譲るなど父上は何をお考えなのだ……」
「殿下」
「そもそもセヌスを近衛ではなく周辺警護にまわすなんて理解不能だ。あの忠義の厚いセヌスを半ば左遷とは気でも狂って――」
「殿下」
「む、なんだ」
「口より手をお動かしください」
「ぐぬぬ……」
文官に軽く叱られた王子、自称ストラスは黙って書類との格闘を再開した。
ミドリたちと同行したエルフの正体は、エルフの里の次期長であり、一時期失踪という形で国を出たストロア・アルクス・スティファノスその人であった。
彼はエルフ随一の実力者であり、忠誠心の強いセヌスとの約束で外の世界へ旅立つことにしたのである。
当然セヌスが手引きしたとはバレることなく、セヌスが左遷されているのはストロアにとって理解できないことであった。
違和感だ。
彼の中に言い表すことのできない不安がモヤとなって曇らせる。
新たな長となるための大事な書類も、様々な考えが頭をよぎって集中させないでいた。
「はあ、スノアのことも気がかりだというのに……」
彼はスノア、自身の妹についても頭を悩ませていた。妹のスノア・アリシス・スティファノスは聡明であった。政治、その他様々な学術においてストロアが勝てたのは唯一弓の腕だけであったほどに。
ストロアも優秀な妹がいたから心配事なく外の旅を楽しめた。
だというのに、彼女は既に行方不明になっていた。セヌスの彼女を引き合いに出した発言は、左遷ゆえの情報の遅さが出ており、城に帰還して失踪の事実を聞いた時は、覚悟を決めたストロアも耳を疑ったものである。
ストロアの考えごとは、父に関する不信感、妹の失踪、そして想い人のこと、そして明日に控える結婚式であった。
結婚に関しては彼の父が決めていたらしく、ストロアも自由の代償だとしぶしぶ受け入れている。
しかし、やはり彼にとって一番好きなのはミドリであった。
考えごとをしている中、執務室の戸がノックされた。
「入れ」
「失礼します」
執務室に入った、小鳥のさえずりのような澄んだ声の主はストロアの婚約相手であるソリシア・スレイブだ。
ストロアと同じハイエルフの家系の彼女は、膝裏にまで届く長い髪を下ろしており、大人しめの性格をしている。
そんなソリシアの腕の中には小さなクッションが。
「ストロア様、とてもお疲れの様子でしたのでこれを作って参りました。どうぞ腰に当ててくださいまし」
「……ああ、ありがたく使わせてもらおう」
純粋な好意を受け取るストロア。
最初は何か裏があるのではと疑っていた彼も、今では無垢な彼女に毒気を抜かれていた。
ソリシアにハイエルフの血が通っているのも、かつてのエルフの祖先、その王族の兄弟の片割れの血筋だからである。
世界樹が技神によって切除はれた年に兄弟でどちらが長になるか揉めたとも言われているが、今となっては関係の無い話である――と、ストロアは考えており、結婚相手に対する不信感は抱いていない。
「明日は式で朝から早いのです。あまり無理をなさらないよう……」
「はっ、なら手伝ってくれ。どちらにせよやらなければならない書類なんだ」
「ふふっ、ストロア様は強引ですね。当然わたくしも妻としてできる限り支えさせていただきます」
「――そうか」
厳しく辛辣な理想より、優しく献身的な現実の方が案外良いのではないかと感じたストロアなのだった。
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