#ジェニーちゃんのあゆみ 5/5#

 



「冥界のぉ〜」

「はい、不思議な世界でした」



 モニアは、“黎明”に為す術なく敗れ、死んで冥界へ行き、うろついていたら知らない間に【節制】を獲得していた――とのこと。



「【節制】、つまり……妾の【傲慢】系統である七罪と対になる立ち位置じゃったか? 随分前にシフがそんなこと言っておった気がするわ」


「あ、そういえば彼は後処理と殿下の印象操作のために帰りが夜遅くになるそうです」



「じゃったら今日は妾が夕飯を作るか」

「え゛」



 モニアの顔色が変わる。

 普段、食事はシフが作り、休暇や出張の時はモニアが作っていた。

 だが、以前一度だけジェニーの気分で彼女がご飯を作ったことがあった。その時のメニューは山菜のフルコース。


 ……とは名ばかりの酷いものであった。

 山菜は料理のためにジェニーが直々に採取したから、余計に酷いことになったのだ。



 土付き毒キノコをお湯に入れただけのスープ、虫が混ざった落ち葉のサラダ、山菜とは何なのかと言いたくなる熊の丸焼き、そしてデザートにどんぐりを手にしたリスの子供。

 モニアはトラウマを思い出してしまい、当時の吐き気が戻ってくる。



「今回は海まで行って海鮮フルコースにしようかの〜」

「あー! 死んだばかりですし私はあまり食べられないかもしれません!」



「む、そうか……では今日はどこかで外食にして、妾の料理はまたの機会にしよう。あ、そうじゃ!」



 何とか難を凌いだモニアは、次に飛び出てくる言葉に辟易する。



「腹が減るまでの間に冥界で誰が【節制】を寄越したか、探しに行くのじゃ!」

「え? んん? ……えーと、誰かがスキルを渡したということですか? そんなことが可能なのでしょうか?」


「そこは妾の中では確定しておる。ともかく行くぞ!」

「えちょ――」



「【神速飛翔】!」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 深い深い森の中。


「ほう、天使になれるのか」

「はい。この通りです。【節制の天使】」



 天使の光輪と四つの翼が現れる。


「これになると【飛翔】が使えるようになります」

「確かにそれならさっきみたく空から登場しても不思議ではないのう」



 二人は現在、雑談しながらジェニーの勘を頼りに歩き回っていた。

 その手には既に物騒な傲慢の剣が握られている。




「お、ここら辺じゃな」

「なにも……ありませんね?」



「地上で一番冥界に近い場所なはずじゃ。ここを――真下に斬る!」


 地面を斬ると、暗い裂け目ができた。

 “黎明”が最後に見せた斬撃を真似て空間を斬ったのだ。天才ですら辿り着くのに苦労する所業を、たった一度見ただけで再現するジェニーは人間の域を遥かに超えている。




「さ、入ろうぞ」

「……流石殿下です」



 モニアは軽く呆れつつ、揃って裂け目に飛び込んだ。


 ――真っ黒な空間で何かが蠢いたのをジェニーは見逃さない。


「そこじゃ」


 紅い炎の塊が何かに命中。

 しかし、まだ倒しきれていない。

 炎によって顕になった敵対生物は、三つの首を持つ犬のような魔物だ。



「殿下! 冥界の門番、ケルベロスです!」

「ならば身にまとっているのは冥界の炎か」



 ジェニーの炎を吸収して紫色の冥界の炎としたケルベロスは、侵入者の排除のために遠吠えをあげた。

 生者が聞いたら恐怖で膝をつくのだが――



「吸収されるのなら、もっと高火力で燃やすまでじゃ」


 相手はジェニーなので狼狽うろたえるはずもない。

 冥界の炎、言い換えれば地獄の業火。

 それをも燃やす太陽が矢となりケルベロスを射抜いた。



「よーし。む、出口じゃ」

「これ倒してしまってよかったんでしょうか……」



 小さな穴に吸い込まれるように落下する。

 二人は、薄暗い洞窟のような場所に投げ出された。



「ここにおるな」

「?」


ぬしに【節制】を寄越したやからじゃ」

「ああ、そういえばそういう目的でしたね」



「うむ。一発で目的地に来れたのは妾の運命力じゃな」

「流石殿下」



 段々称賛の声が雑になってきているが、ジェニーは気付かない。気付いても何とも思わないだろう。


 モニア自身も自覚していない、ある種成長と呼べる精神的な進歩が垣間見える。それは死を経験したからこその「今生きていることの大切さ」を感じたのが原因であった。

 機械的、盲目的な崇拝ではなく、豊かな感情を持って寄り添う姿勢に変わっているのだ。



 〈運命力? そんなわけがない〉


 洞窟の奥から念話の声が響いた。

 凛々しい女性の声である。


 ジェニーは躊躇なく奥へ歩んでいく。モニアも小走りで追いついて共に向かう。



 暗い一本道を抜けた先にあった大きな空間。その中央に、座禅をした一人の女性が居た。



「何者じゃ」



 〈……その子の先祖としか


「私の、先祖?」


 目を伏したままモニアの先祖を名乗る女性。

 ジェニーは二人の顔を見比べて一言。



「確かに顔つきは似とるかもしれんのう」


「……聞きたいことはありますが、何故いつまでもその体勢なのです?」



 しびれを切らしたモニアは座禅を指摘した。



 〈この姿勢も、目や鼻、口……体の機能の大半は誓約で縛られている。私がこれをやめたら――世界は滅ぶ〉

「ほう」

「……!」



 ジェニーは興味深そうに、モニアは思い当たる節があるのか声にならない驚きを示した。



 〈トバタのことは知っているか?〉


「妾は知っておるぞ。ただ、ちっこい頃にシフに読まされた『万年悲劇物語』が鮮烈すぎて歴史の方はあまり覚えておらんが」

「私はあなたの日記を読みました」



 〈そうか……それなら説明は省くとしよう。“暴食”はじきに目覚める。このまま私が眠らすのも限界だ〉


「よし、ならば妾が打ち倒そう」

「殿下!?」




「世界を滅ぼす厄災じゃったか? そんなもの妾が滅ぼし返してくれるわ!」



 威勢の良い啖呵に、モニアは苦笑し、モニアの先祖は懐かしい感覚を覚える。

 ジェニーの髪色と瞳は見えないが、何となく愛する者の血縁者なのを、モニアの先祖は感じ取れた。



 〈では、託そう。強き者。解放の鍵は既に【節制】という形で渡してある〉


「ちなみにじゃが、“暴食”を倒したら貴様はどうなる?」



 〈おそらく倒すのを見届けることもできずに解放した時点で私の役目は終わる。魂の磨耗具合からして消滅するはず〉



「そうか、残念じゃが仕方ないかのう」

「――殿下」



「む?」

「お願いします。“暴食”を倒す際は、私も連れて行ってください」



「はっ! 何を言うかと思ったら。当たり前じゃろ。ぬしの家最後の役目は果たさねばならん」

「そうですね! 誰かが私以外の、先祖の血を継ぐ人を皆殺しにしましたからね!」


「……怒っとる?」

「まさか。むしろ感謝してます」



 〈そうか、余程酷い者たちだったのだな。私は今を生きる人にその判断を委ねるからいいが、もし他の死者と会ったらそういうことは控えた方がいい。祟られる〉



 ◇ ◇ ◇ ◇



 ブラックジョークを混じえた談笑をしていると、剛健な扉が現れた。

 中から現れたのは漆黒な髪色の男神。

 かなりの美形だが、それに見蕩れるような女性はこの場にはいない。



「我が名はハデス。冥界の管理者である」


「なんじゃあ? 犬っころを倒したから飼い主が怒鳴りにやってきた感じかのう?」

「殿下、一応神なんですしもう少しいい感じの例を出しましょうよ」


「例えばなんじゃ?」

「え、えーと、魚屋で盗もうとした猫から魚を取り返したら飼い主が逆ギレしに来た……みたいなのはどうでしょう?」



「なっはっは! 余計タチの悪いやからになっとるではないか!」



 神を相手におちょくるようになっているのは、弛緩した空気が抜けきっていないからである。

 怒りマークが三個ほど付いたハデスは、口調を荒げながら言い放つ。



「貴様らは無断かつとんでもない手法で強引に冥界に入った挙句、番犬たるケルベロスを殺した。つまり、貴様らのせいでこちらは手軽な抑止力を失ったわけだ。責任をとって強い貴様が番人になってもらう」


「妾に犬っころと同じことをしろと? ナメるなよ神風情が【傲慢の剣】」




 ジェニーの癪に障ったため、一触即発の空気になってしまった。神風情と言っているが、今のジェニーは本当にハデスを圧倒して倒すことができるだろう。




「殿下、落ち着いてください! 今この場で戦ってはいけません。相手は冥界の主。やけくそになった時に、地上に何をされるか分かったものではありません」



「……ああ、それもそうじゃな。しかしどうしたものか」



 ハデスはジェニーしか要らんとばかりに無言で返答を待っている。しばしの間、ジェニーの頭の中で出し抜くためのシュミレーションが繰り広げられる。



 ――その必要はないよ☆



 そんな、小さな声が聞こえた。

 ジェニーの足元の影から黒髪の悪魔が現れた。




「まったくー、嫌な予感がして早めに切り上げたらこれだよ☆ やあやあ、冥界の神ハデスくん☆ 心の潤いは足りているかな☆」



 ルシファーことシフである。



「貴様は……そうか、人神はそういう――――」

「あ、その話はNGでお願い☆」


「…………まあいい。貴様は話を聞いていたか? 正直雑務ができる貴様の方が嬉しいのだが」

「まあ次までの穴埋め程度なら構わないよ☆」


「おい待て! 妾が雑務できないとか言われておるのは置いておくとして、シフを差し出すのは認めぬぞ!」



 話がまとまりかけた時、ジェニーは本気の殺意を向けた。その眼差しは永久凍土すら更に氷結するほどのものである。



「大丈夫だよ☆ 無限湧きの分身がそっちに行くからね☆ あ、でも次の番人が見つかってわたしが出られるまでは“暴食”の件は待って欲しいな☆」


「そうか、まあ分身もおるし、帰ってくるのなら構わんか。よし、先祖にはそれまで封印を維持してもらおう」

「かなり無茶ぶりですね……」


 〈あと百年はいける〉


「あ、意外といけるんですね」



 話は上手くまとまり、シフの本体だけ残してモニアとジェニーは正規のルートから帰還した。こうして長い長い、モニアの私情のための計画が始まった。




「あれ、分身がおるならご飯も作れたのではないか?」

「……サボりが発覚しましたね」



 シフ(分身)が軽く焼かれるのはまた別の話。


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