ブロックの下で契約を交わして
今でも、夢だったんじゃないか、と思う。現実にしてはあまりにおぼろげで、不確かな記憶だ。でも、その光景だけは鮮明できっと一生忘れない。
私がまだ幼いとき、幼稚園児か、小学校低学年だったかすら定かでないとき、両親に手を引かれて花火大会へ来た。
花火は海上で打ち上げられる予定で、風も波もない絶好の花火日和だった。例年よりも人が多い、と聞いた記憶がある。
混雑していたのか、入場制限でもかかっていたのか定かでないが、子供の背丈では手を繋いでいなければ人海に溺れるほどで、海ぎわということで街灯も少なく、歩く人は皆遠くの屋台や花火が打ち上がる場所を探すのに夢中で、足元にいる小さな私には意識が及んでなかった。それを危険とみた私の両親は、やむなく海の近くの公園に向かうのを断念して、その入り口の少し高くなっているところに陣取ることにした。
そこには同じような境遇の親子連れが沢山いた。次第に親は親どうし、子どもは子どもどうしと別れるようになった。子どもたちは十人足らずで、すぐに打ち解けた。すぐにお互いの名前を覚えて、そこらを駆け回った。
そのうち、子どもの一人が穴の空いたブロックの中の暗闇に消えていった。車やバイクが公園へ入るのを阻害するためのブロックで、冂の字型のそれが連立して繋がっていて、長いトンネルを作っていた。私は奥の見えない闇に辟易していたが、一人の女の子が私の手を少し引いて、行こう、と微笑んだので、先導する彼女の後を追ってなかに入っていった。
中は、幼い私たちが中腰では通れず、四つん這いになる程狭い空間だったが、不思議なほど途中に行き止まりがなく、私たちがこうして遊ぶのを想定した作りになっているのでは、と思わせるほど奥行きが広かった。最初は暗闇の中で何度も天井に頭をぶつけた。その度に私を先導していた彼女は私を気にした。
ブロック同士の隙間から街灯がうっすら差し込み、目が慣れて来ると難なく進むことが出来た。中で子どもたちの声がめちゃめちゃに反響していて、うっかり数あるうちの一つの出入り口から外に出てしまった時に、その音だけでどこまでトンネルが続いているのか全体像が把握できるくらいだった。海がすぐそこにあるので、そこはおそらくフナムシの巣窟だったが、子どもたちの声や動きの振動でみんな逃げてしまったらしい。現に、数匹のフナムシが外にぞろぞろ出て行くのを見た。
ブロックはニ、三段ほど積み上がっていて、私がブロックの中を這っていると天井で同じように人が這う音が聞こえた。トンネルの内部では一階からニ階に上がることの出来る所さえあって、子どもたちには魅力的すぎる遊び場だった。そこで私たちはかくれおにをして遊んだ。
時間を忘れて遊んだ私たちだったが、次第に人数が減っていった。花火の打ち上げの時間が近づいて、親の声に呼ばれて一人、また一人と帰っていったのだ。
最終的に、ブロックの中には私と私を誘った女の子だけになった。私たち二人では大した遊びが出来なかったので、最奥部にある一階とニ階を繋ぐ吹き抜けで私たちはしばらく喋っていた。静かになって、世界と隔絶されたトンネルの中を、私たちの小さな声だけがほのかに反響して、その空間を二人で満たした。
やがてどこからか彼女の母親の呼ぶ声が入ってきた。別れを予期した私たちは顔を見合わせて、少し黙った。
「いかなきゃ」
「......うん」
私は引き止めることが出来なかった。子どもは大人の決定に逆らうことが出来ない。
「わたしのこと、おぼえててくれる?」
「うん」
「ぜったい?」
「うん、ぜったい」
「じゃあ、やくそくしよっか」
「やくそく?」
「そ、やくそく。おとなはみんなこうするんだって。ねぇ、ここに、ちゅーして」
私は差し出された手をまじまじと見つめた。
「ここ?」
私がそう尋ねた瞬間、上の穴から一気に桃色の光が飛び込んできて、一つ遅れてトンネル内を轟音が満たした。
桃色に照らされた白い彼女の幼い手がなんだか艶かしくて、私は何だか背中が粟立った。ぞくぞくと恐ろしいのに、目を離すことが出来なかった。しかし、彼女の微笑みを見た瞬間に緊張が解けた。
私は彼女の手の甲に口づけをした。
今は付近が整備され、道路がきれいに舗装され、公園にはホテルが新設された。それに伴って不恰好なブロック群はいつの間にか通行禁止のポールに変わっていた。元の面影はすっかりなくなり、私はあの子の名前も顔も思い出せなくなっていた。あれは夢だったのだろうか。でも、側を通りがかるたびに口づけの瞬間がフラッシュバックするのもまた事実なのだ。
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