私と世界の境界を溶かして
日がだいぶ低くなってきた頃、私は海へ続く川に並んで歩いていた。足元をちゃぷちゃぷと、水が迫っていた。
私が歩いているところは、どうやら「テラス」というらしい。ここは車通りや歩道から一段階低く、また一段階川寄りになっていて、歩道から階段で降りることができる。階段の横には市からの注意書きの看板があって、テラスが潮位が上がると完全に水没すること、滑りやすくなっていることを警告していた。白い階段は錆びていて、所々が変色し、ある一定の高さからは完全に茶色くなっていた。満潮になるとそこまで水に浸かる証だった。アスファルトの隙間に水草が根ざし、フジツボが壁に点在していた。
テラスの、すこし先を見やると、一部が既に水で濡れていた。欄干の生え際が隠れていた。私は構わず進んだので、歩くたびにぴちゃぴちゃ音が鳴った。その音はやがて波打つ川の音と同化した。私はもう少しその音を楽しんでいたかったが、次の階段のその奥がもう欄干も見えないほど水に使ってしまっていたので、諦めて歩道に上ることにした。こっちの階段はさらに錆がひどく、白と茶の境界が荒かった。そんな階段を滑らないように、慎重に一段ずつ登る。靴だけでなくジーパンの裾も濡れていて、階段と同じように色のコントラストを作っていた。
登った先にも注意喚起の看板があった。海が近いからか、直接水に浸かっていないのにかなり錆びていた。確かに潮風のべとつく感じが周りに漂っていた。
車の通る橋の下はトンネルになっていて、そこにパイプが渡してあり、高さ注意の看板があった。背丈には余裕があったが、なんとなくそれらを屈むようにしてトンネルに入ると、夕暮れ時とあってもうオレンジ色のライトが付いていた。そこを抜けるともう海が見えた。ここらは散歩道なので、犬の散歩をする子供や、ランニングをする成人、釣りをする老人などがいた。ちょうど川口の横に立った私は歩みを遅めた。
そこでは全てが溶け出していた。陸と水、淡水と海水、川と海、昼と夜、秋と冬、若人と老人、波音と足音、夕焼け空と陽に染まる海、私のジーパンの乾いた部分と濡れた部分。二色の絵の具を水に溶かしたように、どろりと溶けだしては曖昧になり、どこまでも均一に広がっていた。
冷たい風が吹いた。体をぶるっと振るわせて我に帰ると、いつの間にか周囲は真っ暗になり、人ひとり見かけなくなった。
ジーパンは乾いていた。海の向こうは水平線の代わりに夜景になり、ちかちか瞬いた。
私は急に寂しさに襲われた。冷たい潮風が心まで届いたようだった。
機械の駆動音と波をかき分ける音を携えて、船の灯りだけが暗い海にぽつんと浮かび、どれほど遠くかわからない向こう岸へ進んで、光たちの一つになった。あの光一つ一つに人間が一人一人いるのだろう。
その光景が、私には別世界のように映った。光を持たない私は、あの一つになれるだろうか。
私は呟いた。
太陽よ。もう一度私と世界の境界を溶かして。
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