其の五十九 墓場からの解放

 人間の身体に骨が何本あるのかすら、俺は知らない。細かい骨は、もしかしたらとうに朽ちてしまっているのかもしれない。どこの骨がどこの部分かもいまいち分からないまま、白い骨と思われる物を掘り起こす。


 その過程で、油断するとボロボロと崩れ落ちるTシャツ、ズボンに、これだけはきちんと形が残っているマジックテープ式のサンダルが見つかった。


 踵の後ろに、太一の汚い字で『太一』と書いてある。父さんが間違って同じ色のサンダルを買ってきたから、俺達は自分達の名前をそれぞれ書いたのだった。太一、字が汚いぞ。もっと丁寧に書けよ。じゃあ宗二が書けよ。宗二は字が綺麗でいいなあ。


 そんなことを言い合いながら書いた記憶が、蘇る。


 そしてまた、ボロボロと涙が溢れた。


 宗二に戻ってからの自分の中には、太一への嫌悪しかなかった。でも、ちゃんと太一を兄弟として好きだった感情が、今になってようやく蘇ってきた。


 じゃれ合って、時には喧嘩もして、花が来るまでの俺達は、どこまでも普通の、どこにでもいる様な兄弟だった。


 その愛おしい記憶すらも、太一と共にこの巨大な墓に隠すように埋めたのだ。


 今、太一の骨と共にそれらの記憶も掘り起こされ、心の中で嵐の様に俺をなぶっていた。


 太一の遺体に触れることに、不思議と嫌悪は感じなかった。あるのは憐憫と後悔の念だ。何故殺してしまったんだろう、何故太一はそれでも俺を怒らないんだろう、こんなになる程の酷いことをした弟なのに、あんなに嫌がって避けてしまったのに。


「ごめん、ごめんな太一……!」


 ズビ、と鼻を吸うと、想像していた以上の鼻水が喉を通り、驚く。


 土の底に到達し、地面は固く掘り進めることが出来なくなってきた。細かい骨も、完全とは言えないが恐らくは全て集めた筈だ。小山になった骨は想像していたよりも少なくて、細かい骨はすでに土に還ってしまったのではないかと危惧する。


「……一緒に帰ろう、太一」


 Tシャツの肩で涙とついでに鼻水も拭くと、そのTシャツを脱ぐ。襟の部分と袖の部分を結びつけ袋状にすると、中に骨と服をそっと移動し始めた。割れない様に丁寧に中に納めると、今度は裾の部分を縛る。登る時に間違っても溢れ落ちない様にする為だった。


 太一の骨が入ったTシャツの袋を抱え、割れ目の空を見上げる。そこには太一が不安げな顔を覗かせて待っていた。


「宗二、あった……?」

「ああ、多分全部集められたと思う」


 すると、太一はあからさまにほっとした表情になる。


「よかった……! これで家に帰れる……」


 その言葉に対し、何と返答すればいいのか、俺には分からなかった。よかったな、などと他人事なことは言えない。ここに留まり続けるよう太一に強いたのは、俺だ。太一は、俺の所為で命を失い、俺の所為でこんな昏い裂け目の底で七年間も待ち続けなければならなかったのだから。


「今、そっちに行く」

「――うん! 気を付けて! 落とさない様にな!」

「ああ、絶対だ」


 帰りは、足の力だけで登って行かねばなるまい。土と血まみれの手は、どちらにしろ使い物にはならなさそうだ。


 出っ張りに片足を掛け、反対側の壁に勢いを付けてもう片方の足を押し付ける。ザラザラの壁に直接肌を付けるのは痛かったが、太一の骨を庇う様に抱えている以上、仕方がない。俺は肩と二の腕を壁に押し当てバランスを取りながら、上へ上へと登っていった。あちこち痛いし、足もガクガクいっているが、それでも少しずつ陽の光と波紋の様に押し寄せる蝉の鳴き声が近付いて来る。


「太一、これを持ってくれ……!」


 太一の骨が入った物を、太一に渡す。太一は涙ぐみながらそれを受け取ると、花の華奢な腕の中に収めた。


 骨が無事に手渡されたことを確認した俺は、血だらけの手を使い最後の力を振り絞り、割れ目の外へと転がり出る。ゴロゴロ、と二回転すると、木々の隙間から差す木漏れ日は、この下に入るまでは不気味に見えていたというのに、今は輝いて見えた。


 バクバクと早い鼓動を刻んでいた心臓が落ち着いてくると、ゆっくりと起き上がる。あちこち泥と血だらけで、見れたものではなかった。


 立って骨を抱き、泣きそうな顔をしている太一を見上げる。


「……太一、ごめん」


 殺してしまったことは、いくら謝っても謝り切ることはない。


 だが、太一は泣き顔を笑顔に変えると、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん、もう、いいよ」


 何がいいのか、もう、とはどういう意味なのか、聞きたいことは色々あるのに何も出てこない。


「家に、帰りたい。宗二、俺の身体を運んで」

「……ああ」


 太一の骨が入ったTシャツを受け取ると、俺達は無言で家路についた。

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