其の五十八 土の奥

 花のはにかんだ笑顔。上目遣いの恥ずかしそうな、でも熱の籠もった瞳。


 花は、俺を庇う為に嘘をついたのだ。嘘を突き通し、俺が夢の世界へと逃げてもなお、ただひとりでそれを抱え続けた。


 考えてみれば、花は始めから俺があの日のことを思い出すのをよしとしていなかった。無理に思い出す必要はない、いいよと繰り返し言われたではないか。


 何故か。


 花は始めから全て見て知っていたからだ。俺が太一を殺してしまい、ショックで自分を偽ったことも皆見ている。俺が宗二であることを思い出しても、それでもなお思い出さない様にとあの日の話題を避け続けた。


 俺がまた太一に戻ってしまうのを恐れたからではないか。


 だから、俺が花に嘘をつかせたのだ。


「……最低だな、俺……」


 思わずぽつりと呟くと、太一が上から声を張り上げる。


「宗二!? どうしたー?」


 その声で、今は太一の遺体探しが先だと思い出すことが出来た。とにかく、太一を家につれて帰らねば、何も前には進まない。


「……大丈夫! 探すから!」

「怪我すんなよー!」


 花が実際に何をどう考えて行動に移したのか、それは花本人に聞かねば分からない。俺は花に一生かかって贖罪をしていかねばならぬだろうが、花は思い出してしまった俺でも隣にいることを許してくれるだろうか。


 分からない。何ひとつ分からないが、もう立ち止まってはならないことだけは理解していた。


 ライトを固定したいな、とキョロキョロと辺りを見回す。自分の着ているTシャツに胸ポケットがあったのでそこに差し込んでみると、丁度ライトの部分だけ顔を覗かせる高さに収まった。


 土の山の前にしゃがむと、両手で土を手前に掻き出し始める。土は見た目以上に固く、ここに溜まっている土は水に流され固められたものなのだろうと予測した。


 手に力を込め、どんどん掻き出す。何か太一の片鱗でも見えないか。見逃す訳にはいかない。少しでもここに置き去りにしたら、太一が帰れなくなってしまうのではないか。


 ガリ、と小指に隠れていた木の枝が刺さる。尖った部分が皮膚の間に入り込み、皮の下を土色に染めた。


「ぐっ」


 ビッと引っこ抜くと、血豆の様に内側が血で溢れる。このままこの手で掘り進めればばい菌が入り込んでしまいそうだったが、それでも手を止めなかった。


 明かりの少ない狭い場所での作業に、いつの間にかハアハアと肩で息をしている自分に気付く。土はじんわりと温かく、まるで腐った体内を掻き分けているかの様な錯覚を覚えた。


 俺は今、墓を暴いているのだ。かつてここに自分で封じた兄を、この手で救い出す為に。


 横に積まれた土を後ろに除け、更に奥を掘り続ける。そろそろ地面だ。骨とは、そんなに小さくなってしまうものなのだろうか。子供の骨だから、気を付けねば見逃してしまう大きさの可能性もある。


 はあ、はあ、と大きく息をしながら、土まみれの手で瞼に落ちてくる汗を拭う。このあまりの非現実感に、これは今本当に起きていることなのかとどこか他人事で考える自分がいた。


 寝て起きたら、全てが夢にはなっていないだろうか。太一を殺したことも、太一が花の中にいることも、太一を抱いてしまったことも、何もかも全て。


 手のあちこちがズキズキと痛むが、痛みを忘れる程の緊迫感が俺を支配していた。見逃すな、太一を探せ、必ず見つけてやるんだと。


「――あ」


 朽ちた布きれが、土の奥深くにちらりと見えた。黄色と呼ぶにはおこがましい、黄銅色に変色したそれは、明らかに人工物だ。


「これ、まさか――!」


 ガリガリ、と爪の間に土が入り込むのも構わず、爪を立ててその周りを掘り進める。ごそ、と髪の毛と思わしき束が土と一緒に指に絡んだ。


「……ち、太一、太一!」


 馬鹿みたいに、涙が溢れる。太一の意識は今俺の頭上に在るというのに、目の前にいるであろう子供の太一こそ本当の太一なのだと、何故か思わずにはいられなかった。


「太一、ああ、あああ……!」


 明らかに頭蓋骨と分かる、髪の毛が一部付いたままの骨が姿を現す。いた、太一はずっとここにいたんだ。七年間、ずっとここで家に帰りたいと心を泣かせて待っていたのだ。


「待ってろ、俺が今掘り出してやる、全部ちゃんと連れて帰ってやるから……!」


 情けなくも目からも鼻からもボタボタと涙やら鼻水やらを流しながらも、俺は作業の手を止めることはなかった。

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