其の五十七 嘘つきは誰だ

 割れ目の底は比較的なだらかで、絨毯の様なふかっと柔らかな土が敷き詰められている。恐らくは、落ちてきた葉が枯れ、粉になり、やがては土へと変貌したのだろう。


「宗二、大丈夫?」


 上からひょっこりと太一が顔を覗かせる。逆光でその表情はよく見えないが、心配そうな顔をしているのだろうというのは声色で分かった。


「ああ。太一、その――どの辺なんだ?」


 割れ目の底は、大人のサイズの宗二でも普通に立って歩ける程の広さがあった。幅は入り口と同様狭いが、奥行きは意外な程にある。何かのきっかけで地面が割れたところに、雨が降り、水が流れ、そうして少しずつ中を削っていったのだろう。


「宗二、真っ直ぐ行って。そっちの奥。水が溜まった時に奥まで流されちゃったんだ」

「分かった」


 地面は、僅かだが傾斜している様だ。太一の言う真っ直ぐとは、下った方のことだろう。


 ふか、ふか、と一歩足を進める度に、何とも言えない感触が足から伝わってくる。よく見ると、スニーカーのゴム底が土で埋まってしまっていた。


 虫や蛇が隠れていないかと、少しビクビクしながら進む。太一は虫も爬虫類も平気で触っていたが、俺は元々毛が生えていない種類の生き物は苦手だ。


 奥の方は上からの陽が全く当たらず、相当暗い。蜘蛛の巣が丁度顔の高さに張ってあり、触りたくないのが正直なところだったが、仕方ないので片手で掴むとそれを壁に擦りつけ、指に付着した分を剥ぎ取った。ベタベタが指先に残る。気持ち悪さのあまり、思わずジーンズに擦りつけると、ようやく絡め取られた感覚が消えた。


 あれから、七年が経っている。しかも野ざらしだった太一の遺体は、恐らくはすぐ腐り、食べられ、分解され、骨以外は自然に還った筈だ。


 あの日、太一は何色の服を着ていただろうか。服は、もしかしたら残っているのではないか。


 これまで何度も目にした、あの赤い色ではなかった筈だ。確か、原色の黄色を着ていた気がする。


そう、太一ははっきりとした色が好きだった。そんなことも忘れ、俺は太一を演じている時も地味で無難な色の服ばかりを選択していた。俺の好みだ。


 結局、何ひとつきちんと模倣出来ていたものなどなかったのかもしれない。これほど周りから見ていて痛いものもないだろうが、俺が受けた精神的ショックがあったと思われたからこそ、周りも温かい目で見守っていたのだろう。


 それがまさか、ショックの原因が自分が太一を殺したことだったなんて、一体誰が思うだろうか。


 そろりそろりと奥へ進むと、自分の影が出来、闇は更に濃くなってしまった。何も見えないのでは探しようがない。どうしようかと考え、スマホのライトを点けることを思いつく。ポケットに入れておいたスマホを取り出すと、肘を壁に擦りつけてしまいとっさに手で押さえた。


「あいた……っ」

「太一? どうした?」

「あ、ちょっと擦っただけだから、大丈夫だから」

「気を付けろよなー」


 太一はもう死人なのに、あまりにも自然な兄弟の会話に思えて、胸が苦しくなる。これまで一貫して太一に冷たい態度を取っていた自分が最低な人間に思えて、花はどうしてこんな最低な奴を見捨てずに待っていてくれたのだろうかと疑問に思った。疑問に思い、――気付く。


 そうだ、花は、一部始終を見ていた筈じゃないか。


 どうして俺が太一を殺したことを言わなかった。いや、当時の花は人に意見など述べることなど出来ない位、引っ込み思案な大人しい子供だった。だから、そんな恐ろしい事実は喋ることが出来なかったのだろう。


 これはまだ分かる。自分を助けてくれた俺を庇ったとも取れるし、ショックで記憶が混同してしまっている可能性だってある。なんせここに経験者がいるから、この説には説得力は十分あった。


 だが、どうして太一がここに落ちたことを喋らなかった。


 この場所を伝えなくとも、太一がこっちの方面に向かったかもしれないと伝えれば、数日の内に見つけることが出来ていたのではないか。大人を呼びに行ったのは花だったと父さんが語っていた。呼びに行ける位だったら、どこに落ちたか位は伝えることが出来た筈だ。


 遺体は、腐ると相当な腐臭がすると聞く。いくら底の方に匂いが留まり上には伝わりにくいとしても、近くまでくればその匂いで気付くこともあったのではないか。


 だから、この辺りはきっと、探されなかったのだ。


 ライトで、奥を照らす。土が奥に盛り上がって固まっているが、白も黄色も見ただけでは確認することが出来なかった。


 当時、夢の中にいる様な感覚の中で、父さん達が半狂乱で話していた言葉があった。どうしてあの子は山の上の方に向かってしまったんだ、あっちに迷い込むと隣の山に入ってしまうのに。降りて来られなくなってしまうのは知ってただろうに、と。


 一体誰が、山の上の方に太一が向かったと大人に伝えたのだろうか。俺ではない。俺は、自分がやらかしてしまった現実を直視することが出来ず、自分の心を守る為に外界との接触を極力絶ち、うまくいく方法を必死で考えていたから。


 だったら、自ずと答えはひとつになる。


 嘘をついたのは、花だ。

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