第36話
駅の近くのベンチに腰掛けて項垂れていた俺は、どれくらいの時間そうしていたのか、気づけば携帯電話に着信があり、見知らぬ番号だったことからその相手が誰であるのか、俺はすぐに気づいた。
「やぁ、藤沢くん」
爽やかな声でそう言ったのは、やはりキナリだった。
「連絡は明日のはずじゃなかったのか」
力なく俺がそう答えると、奴は小さく息を吐き出し、「僕は仕事が早いからね」と言った。
「それに大人というのは、見込みよりも期限を長く設けておくものなんだよ」
「その調子じゃ、ミカゲと連絡をつけるって話も嘘か」
「そうとも限らないよ」
その件については、正直嘘でも構わなかった。メイはもはやあの男を待っていないし、今さら連絡をして欲しいとも思わなかった。
「それで? お前は今どこにいるんだ?」
でも、俺の内定を裏から手を回して取り消すなんて卑怯な真似をした奴のことは、少なくとも一発くらい殴ってやりたいと思っていた。
「今から、ちょっと出て来いよ」
「あはは。君は自分の立ち位置を、ちょっと誤解してないかな」
静かにそう答えたキナリは、電話口の向こうでため息を漏らすとしばらく間を置き、「君は危ないところだったんだよ」
「危ないところだと?」
「内定を取り消されたくらいで済んで、むしろ僕に感謝してもらいたいくらいだよ。僕が上に報告をしていたら、君はおしまいだった」
「おしまいって……」
今でも十分に致命傷を受けたっていうのに、上に話したらこれ以上何をするって言うんだ。
まさか本当に息の根を止めるつもりじゃないよな。でも今回の奴の口調は、とても冗談を言ってるような雰囲気じゃなかった。
「これで十分に懲りただろ? だから僕らに関わるのは、もうこれきりにしてくれないか」
奴に言われなくても、端からそのつもりだった。もし今目の前にキナリが現れたら、それこそ理性が吹き飛んで殴りかかりそうな気もしていたが、万が一にもそれをさせてくれない相手だってことは、痛いほどよく理解していた。
「君がこれ以上ちょっかいを出さなければ、こちらも手を出さないと約束しよう」
「また約束か」
どうして約束を守らない奴らは、約束をしたがるんだ。
端から守るかどうか分からない約束なら、たぶんとか、恐らくとか、運が良ければとか、そういった言葉を含めておくべきなんだ。
「今度は必ず守るよ。だから君も、今回のことは忘れてくれ」
前にも言ったが、こういう奴は“必ず”なんて言葉を死んでも使っちゃいけない。相手を傷つけるだけなんだから。
いつの間にか切れていた電話の電子音を聞きながら、拳を握った俺は怒りをぶつける相手がいないことが分かると、またしばらくの間その場で項垂れていた。
いつしか夕焼けの光で時間の経過を認識した俺は、大きくため息を漏らすとその場で煙草を吸い始めた。
警察に見つかって罰金を取られようとも、構うもんかって気分だった。
すっかり陽が落ち始めた駅周辺には勤務時間を終えたサラリーマンが溢れ、機械的に駅の中へと飲み込まれていく。
俺はまんまとその列からはみ出し、狭い平均台の上から足を踏み外したわけだ。
でも、これで良かったのかもしれない。少なくともあと一年はあの連中みたいに堅苦しい存在にならなくて済むし、働こうと思えば今のバイト先で引き続き雇って貰えばいい。
ゆっくりと次の就職先を探せばいいじゃないか。
立ち上がった俺は、歩き出した。
夜の街中で目についたのは、とある旅行代理店の看板だった。
この分だと卒業旅行の必要もなさそうだし、せっかくだから、彼女と一緒に旅行に出よう。
そのくらいの贅沢をしても、何とか生活はやっていけるだろう。
親父様には悪いが、俺は就職活動に失敗したってことで来年にまた期待してもらおうじゃないか。
店内に足を踏み入れた俺は、カウンター越しに座った声のでかい女にハワイ旅行のおすすめプランと、その資料を貰って家に帰った。
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