第32話

「君は……」


 こちらに歩み寄って来たキナリは、俺の顔を観察しながら目を細め、「藤沢くん、だよね?」と言った。


 尾行にしては大胆に行動し過ぎたってことを、この段になってようやく俺は後悔した。


 面と向かって顔を会わせちまったから、この場をどう切り抜けたものかと動揺する頭で必死に考えたよ。


 それで咄嗟に思い出したのが、下に書いてあったテナントの看板だった。


「えっ!? 昨日の人事の人? なんで?」


 俺はこれ以上なくとぼけた振りをしながら、キナリを指差した。


「あれ、……おかしいなぁ。友達から雀荘に呼ばれてここに来たんですけど、部屋間違えちゃったかな」


 入口で見たテナントの中では、四階にある雀荘だけポストが生きている様子だったから、もしかするとまだ営業しているのかもしれないと考えた俺は、一か八か賭けに出ることにした。


 それも奴に尾行がバレていないことが大前提だったが、他に上手い言い訳も思い浮かばなかったので、こんな馬鹿げた方法を取るしかなかった。


「へぇ、すごい偶然だね!」


 そう言って笑みを浮かべたキナリは、人差し指を上に向け、「その雀荘なら四階だよ。一つ階を間違えてる。僕もたまに行くんだ」と答えた。


「あ、そうなんすか!」


 そう言って作り笑いを返した俺は、得意のお道化た仮面を被り、「いやぁ、部屋の扉が開いてたから、ここかと思っちゃいましたよ」と言いながら扉に向かって歩き出した。


「すいません、何かお邪魔しましたぁ」


 するとすれ違いざまに俺の肩を掴んだキナリは、指先に力を込めて行く手を遮り、「それも三年前の話だけどね」と答えた。


「誰かが僕の後をつけていたのは、昨日の夜から知っていたよ」


 目の前で背の高い奴の顔を見上げると、その表情はとてつもなく冷淡なものへと豹変していた。


 俺は咄嗟に一歩後退りながら、「ミカゲに会わせてくれ」と言った。


「あんたは連絡員だろ?」


 もはや白を切るのは不可能だと悟った俺は、直球でそう訴えた。


 見つかった時点ですでにゲームオーバーなんだから、もうどうにでもなれって思ったね。


 自分のことを今まで慎重な方だと認識していた俺だけど、探偵って職業には案外不向きな人間なのかもしれないな。尾行ってものを完全に舐めてたよ。


 キナリは顎の下に手を添えて考え込みながら「ミカゲ……」と呟くと、何かに気づいたように指を鳴らし、「そうか、君はあの丘の上のアパートの子だね」と言った。


 どうやら察しがついたようで、頷きながら再び俺の顔を覗き込んだ奴は、「どうして、連絡員を知っているのかな?」と続けて問いかけた。


 その時点で俺は、またもドジを踏んだと気づかされた。いつもお前さんに言われてたっけね。お前は一言多いんだって。


 奴の威圧感に俺は思わず息を呑んだが、これ以上後手に回るのも癪に障ったから、「それより、あんたならミカゲと連絡を取れるのか?」と強気に言ってやった。


「別に騙された復讐をしようだとか、そういうんじゃないんだ。ただ会って一度話がしたい。駄目か?」


 早口に俺がそう訴えると、キナリはその全文をじっくりと咀嚼するように頷いた後、「なるほど」と呟いた。


「君は、あの子に会ったんだね」


 笑みを浮かべてそう言った奴は、その言葉にひときわ動揺する様子を見せた俺に向かって肩をポンポンと叩き、「『騙された』って口にしたのは、藤沢くんの方だよ」と言った。


「その件に関しての情報源は、彼女以外に考えられないものね」


「…………」


 こりゃ駄目だな。完全に失敗だ。得意の嘘っぱちで逃れようにもこの男はひどく冷静で、俺より何枚も上手なんだ。


 一方でこの状況に動揺しっ放しの俺は、自ら墓穴を掘ってばかり。まるで勝ち目はなかった。これは素直に話してしまうより他に仕方がない。


「俺はミカゲとメイを会わせてやりたい。だから今の連絡先を教えてくれ。それだけ伝えたくて、あんたを追って来た」


 本当はミカゲの居所を突き止めて自分から突撃する予定だったけど、これくらいの小さな嘘は構わないだろ。


 どのみち目的は同じなんだからさ。それは奴さんも十分に承知しているようで、肩の力を抜いたキナリは扉に凭れると腕組みしながら、「なるほど」と言ってまた頷き始めた。


 やがて張りつめた空気の中で短く息を吐き出したキナリは、左手首に巻かれた金のブレスレットを眺めながら、「構わないよ。連絡を取ってあげよう」と言った。


「本当か?」


「でも、連絡はこちらからだ。明後日までには手配しよう」


 ぴしゃりとそう言い放った奴は、内ポケットからハンカチを取り出してブレスレットについた指紋を丹念に拭き始めた。


「明後日? なんでだ?」


 俺がそう尋ねると、ハンカチでブレスレットを拭っていた手を止めた奴は顔を上げ、「君ね、突然やって来て今すぐに約束を取り付けようって方がおかしいとは思わないかい?」と言った。


「社会人としては、当然わきまえるべきだと思うけど」


「それは……」


 確かに奴の言う通りだった。まるで本物の人事担当者に説教をされているような感覚になった俺は、少々恥ずかしい気分だった。


「まぁ、そうは言っても、上からの指示とはいえ僕らもあの時は彼女に申し訳ないことをしたと思っているんだ」


 そう言うとキナリは、ハンカチを畳んで内ポケットに戻した。


「指示?」


 俺が首を傾げると、キナリはふと気づいたように、「そうか。彼女もそれは知らないままだった」と言った。


「うちの上層部にも過激な考え方をする人たちがいてね、せっかくこちらが丁寧に調査した二週間を台無しにしようとしたんだよ。それを強く拒んだ彼女は、あんな事になっちゃったわけ」


「台無し……」


 奴の言葉はひどく抽象的で、本質がまるで見えて来なかった。彼女は何を拒んだっていうんだろうか。


 奴の言う台無しとは、上の連中は一体、何をしようとしていたんだ。


「彼女は、どうして切り捨てられた?」


 俺がそう尋ねると、キナリは口元に笑み浮かべたまま、「だから、君を庇ったからさ」と言った。


「俺を?」


 そんな話は、今までに彼女から一度も聞かされていなかった。目の前のこいつは、また俺を欺こうと嘘をついているんじゃないか。


 そう思った俺が眉間に皺を寄せていると、その視線の意図に気づいたのかキナリは肩を竦め、「上の連中はね、やはりもっと強引な手段で君に迫るべきだと言い出したんだよ」と言った。


「僕らはそれでも仕方ないかって思っていたけど、彼女はそれを断固拒否した。よほど君に情が湧いていたのかな?


 決定的な録音データがあったからその抗議もすんなりと受け入れられたが、彼女は上に対してあまり好意的とは思えない態度を取ってしまったから、あれも仕方のない処置だったかな」


 なんだよ、それ……。


 彼女は俺を庇って、そのせいで見捨てられたっていうのか。


 何だってあいつは、そんなことをしたんだ。ミカゲに言われたことは絶対だと前に話していたくせに、おかしいじゃないか。


「まぁ、そういう訳だから、連絡はするよ。だから今日はもう帰ってくれるかな? こっちも色々と忙しいんだ」


 そう言うと奴は扉を開き、部屋を出て行くように俺を促した。


「あと、念のため助言しておくけど、これ以上僕らに対して余計なことは詮索しないようにね。それが正しい大人の在り方だと思うよ」


「誰が好き好んで、……あんたらに関わるかよ」


 そんな憎まれ口を叩きながらも背筋に流れる冷たい汗を感じていた俺は、キナリの指示に従って部屋を後にした。


 建物の外に出て窓の方を見上げると、先ほどの部屋から奴が小さく手を振りながら、奇妙な笑みを浮かべているのが見えた。

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