第26話

「…………」


 ただ部屋を覗き見てただけで、……脅威対象?


 おかしな話だとは思ったけどさ、仮に俺が探偵や警察関係者だったとしたら、あの出窓はちょうどいい監視場所になってたわけだよ。それに俺は、奴らに警戒されるには十分すぎるくらい四六時中あの部屋を眺めていた。


「完全に誤解ってわけか……。それとも、俺はまだ疑われてんの?」


「あなたの潔白は、私が証明した。二週間の密偵で、あなたはただの学生だって分かったから」


「二週間って……。まさか、そのために居候になったのか?」


 そう。察しの良いお前さんならすでに予想していたかもしれないけどさ、あの夜にミカゲが俺に声を掛けてきたのも、その後で彼女がうちに居候になったのも、全部仕組まれてたんだ。


 ちなみに、俺が根性焼き野郎を成敗したって話も全部でっち上げで、情けない話、実際はミカゲが酒の中に睡眠薬を混ぜ込み、トイレから帰って来た俺はその後すぐにぶっ倒れたって彼女が話してくれたよ。


 それから先は、今までに書いてきた通りさ。


「あなたが何かを隠しているのは、すぐに分かった。だから私は、あなたに取り入るよう指示されていた」


 なぁ。笑えるだろ。俺はすっかり彼女の色仕掛けに惑わされて、奴らの手のひらの上で弄ばれていたんだ。そんで密偵の期限前日にそれを達成した彼女は、さっさと俺の部屋からとんずらしたってことだ。


「俺の部屋を出た直後は、奴と連絡がついたのか?」


「あの人には直接連絡できない。私は連絡員の番号に電話して、空港まで運んでもらった。そこにあの人が来る手筈になっていたから」


「その連絡員って、レトロなベンツに乗った男か?」


「どうして!? それを……」


 ひどく驚いたように彼女は目を見開いていたが、慎重に思い返してみればすべてが繋がるもんだね。


 まったく。ひどい女だよな。何だって俺は、そんな女を助けてまた家まで運ぼうとしてるんだか。


 その辺の道端に捨てちまうか、警察に突き出すのが一番いい方法なんだろうけど、その時の俺にはあまり彼女の話に現実味を感じられず、――いや、それは嘘だな。


 俺は甘いんだよ。どこまでも甘ちゃんで、彼女を裁くなんて発想を持てなかった。


 それでも拳が震えるくらいには憤慨していたから、俺は少しばかり嫌味を言ってやった。結果的には、その後に俺がした行為が一番彼女を苦しめたのかもしれない。


「それで、空港でいつまでも待っていたが、ミカゲはあんたを迎えには来なかった。ってことだな」


「捨てられてない! 真宙さんは仕事で忙しいだけ。もう少し待てば、きっと……」


 そう言うと彼女は、助手席の扉を開いて外に飛び出そうとした。俺は必死になって止めたよ。自分でも器用な真似をしたって思う。ブレーキを踏みながら片手でハンドルを切り、もう片方の手で彼女を押さえ込んだりしてさ。


「止めないでよ! 早く戻らないと、あの人が今来たら、私は何て謝ればいいの? あの人を待たせちゃいけないのに……」


「来ないよ。奴は迎えになんて来るがわけない」


 俺は彼女の両肩を掴むと、こっちを向かせて睨みつけた。


 今では何に対してあれだけ怒っていたのか、ちょっと分からないな。彼女に利用された俺自身の怒りなのか、それとも俺と同じように利用された彼女に対する同情から来る怒りなのか、どちらにせよ、俺の心は燃え上がっていたね。


「端からあんたは、ミカゲにとって使い捨てだったんだ。要件が済んだらぱったり連絡を寄こさなくなったのがその証拠だろ。一週間もほったらかされて、まだ希望を持ってんのか? いい加減あきらめろよ!」


 彼女は、俺の言葉にひどく取り乱した。怯えたような顔で俺の目を見ながら大泣きして、叫んで、次第には風船が萎むみたいな調子でシートに項垂れちまった。


 その間に何台か後続の車がクラクションを鳴らしていたが、俺は構わなかった。こんなイカれた車は勝手に追い越していけば良い話なんだから。


 彼女がすっかり意気消沈したところで、俺は再び車を走らせた。行き先は分かるだろ。警察でも、空港でも、その辺のごみ捨て場でもない。


 そう。あの狭い、俺の部屋さ。


 なぁ。お前さんならどうしてたかな。俺はやっぱり、あの空港に彼女を戻してさよならって訳にもいかなかったし、さっきも言ったように、警察に突き出すなんて発想はそもそもなかった。


 行く当てもなく、放っておいたらいくらでもあの場所で待っていそうな彼女をどうすればいいかって、一方では怒りに震えながら、また別の軸では助ける方法を考えようと頭が回転を始めていたんだ。


 自宅に着く頃には、雨は上がっていた。太陽は我が物顔で地上を眺め、俺たちに熱い視線を送った。彼女を部屋に上げると、ひとまず風呂に入れた。こう言っちゃ悪いが、結構臭ってたし。


「着替え。置いとくからな」


 俺はひとまず自分のTシャツを寝間着として置いておいた。キャリーケースの中身は後でゆっくり整理してくれってことでね。


 こんな風にしてると、彼女が初めてやって来た日を思いだすよ。あの時は多少の迷惑さと戸惑いと、ちょっとばかしの期待が入り混じっていたが、今回は特に何も感じなかった。


 その辺の捨て猫を拾って来たのと大した違いもなく、反射的に世話を焼き始めているに過ぎなかった。


「……いいの? 私を部屋に置いても」


 扉を一つ挟んだ向こう側で湯船に浸かる彼女は、少しは落ち着いたのか俺にそう声を掛けてきた。部屋に来てからやっと普通に話し始めたかと思ったら、第一声はそんなくだらない台詞か。


「他に行く当てでもあんの?」


 ホテル暮らしでも野宿でも、彼女がそうしたければ好きにしてくれて良かったけど、俺としては慣れた自分の部屋に連れてくる以外に方法が思いつかなかったんだ。


 その辺で拾った猫を、わざわざホテルに預けたりなんて普通はしないだろ? そういうことさ。


「出ていくなら好きにしろ。――けど、あの屋敷が奴らの取引場所だったのなら、そのうちまたかもな」


 俺はそう言うと、風呂場を離れて廊下にある冷蔵庫を開いた。ひどい生活をしていたのはお互い様らしく、冷蔵庫の中身はほとんど空っぽだった。こりゃ、色々と買い足しておかなきゃならない。


 鍵を手に取った俺は玄関で靴を履くと、近所のコンビニに向けて歩き始めた。

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