第23話

 あの日から俺は、また眠れない夜が続いていた。昼寝なんて言葉で二人には適当に誤魔化したけど、正直言って目の前が微かに霞んで見えていた。


 それでも事故だけは起こさないよう慎重にハンドルを切っていたが、隣にいるのが石原なら眠ってしまう心配もないだろう。なんせお喋りが好きな奴だから。


 今も彼女は後部座席に座った吉田に向かって、昨日の夜に食べたお菓子の味について熱心に語っているよ。くだらない話題が多いにも関わらず、こいつの話は聞いていてなぜだか飽きないね。生粋のエンターテイナーなんだよ。


 お菓子の味の表現で”おどろおどろしい”なんて言葉が登場するとは、思いもよらなかった。


「それで、二人は大荷物抱えて一体どこに行くんだ?」


 旅行が目的だということは聞いていたが、卒業旅行の時期には早すぎるし、ちょっとしたお出かけにしては大袈裟な荷物だった。


「ちょっとパリまでね」


「ちょっと散歩がてら、国境を越えるわけだ」


「奈央ちゃんはもう今年で卒業だし、冬には職場研修が始まっちゃうから、夏休みの間には旅行したいねってみんなで話してて」


 吉田の補足を聞いた俺は、バックミラーに映る彼女を見ながら相槌を打ち、「へぇ。それでパリか。楽しそうだな」と答えた。


 製菓の専門学校に通う石原の就職先は、確かホテルだったか。中学の頃からパティシエになりたいって言ってたから、その夢に一歩近づいたわけだ。


「言っとくけど、今回は男子禁制の旅だから」


 そう言ってふくよかな胸を張った石原は、本気で俺が羨ましがってると思ったのかもしれない。したり顔でこちらを見ながら肩をポンと叩き、「お土産は期待しててね」と言った。


「それにしても、こんな曇った日に出発とはな。今にも雨が降り出しそうじゃないか」


「良いのよ、別に。問題はパリの天気だから。むしろこっちが雨降った方が、何か勝った気がする」


「何と戦ってんだよ」


 こいつは昔から負けず嫌いなところがあるから、何でも勝ち負けで表現するんだ。中学の時にもよくテストの成績で言い争ったっけ。点数では負けてるくせに、『一番難しい問題を解けた方が偉いから、今回は私の勝ち!』なんて平気で言うんだぜ。


 ある意味、こいつには勝てる気がしなかったね。


「パリのお土産といえば、やっぱりエッフェル塔グッズかな?」


 吉田がそう言うと、石原は難しい顔で腕を組みながら、「適当にチョコで良いんじゃないの?」と投げやりに答えた。仮にもパティシエが適当にチョコを選ぶとはね。


「でも、チョコなら日本でも買えるし……」


「あ、じゃあこれは? モンサンミッシェルのサブレ」


 石原は、携帯電話で検索したお菓子を後部座席の彼女に見せた。すると吉田は困った表情を浮かべ、「でも、モンサンミッシェルって、今回は行かないよね?」


「パリのスーパーでも買えるって書いてるけど?」


「それでも、行ってないのにモンサンミッシェルのサブレっていうのは、私はちょっと……」


 俺としては、チョコレートでもサブレでも一向に構わなかったが、吉田の気持ちは非常に理解できた。どっかで頑固なところは、俺たちはよく似ているのかもしれない。


 石原のようにいい加減な気持ちで決められたのかと思うと、お土産の嬉しさも半減するよね。逆にエッフェル塔グッズなんてものには全く興味はなかったが、吉田が熱心に選び抜いてくれた品だと思うと、大事にしようと思えるもんだ。


 彼女らの会話を聞いていて、これからはお土産の品だけで思い遣り具合を判断するのをやめにしようと思えたよ。背景事情まで想像して、何を貰ってもありがたく頂戴すべきだね。


「まぁ、期待してるよ」


 俺がバックミラー越しに見ると、目が合った吉田はどこか恥ずかしそうに視線を逸らした。


 そうこうする間に彼女らを乗せた車は空港に到着し、俺は車内から彼女らを見送った。空港内には一緒に旅行へ行く予定の数名の女子達が待ち構えていると聞くし、荷物持ちは必要ないだろう。


「ありがとう! ほんと助かったわ」


「おう。今度は石原の奢りで、高いとこな」


 冗談っぽく俺がそう言うと、石原は一瞬だけ鋭い眼差しをこちらに向け、「仕方ないわね」と唸るように答えた。まったく。根は素直でいい奴なんだよな。


 石原が他の連中に携帯電話で連絡を取り始めると、ドアの前に静かに近寄った吉田は俺に顔を近づけ、「寝不足なのに、無理させちゃってごめんね」と小声で言った。


「そこは『ありがとう』って言うとこだろ」


 苦笑いを浮かべて俺がそう答えると、彼女は頬を赤らめながら、「うん、……ありがとう」と言って笑みを浮かべた。


 俺もさすがにその時は少し疲れが出ていたのか、彼女の笑顔が見られてほっとしたのか、「帰ったらゆっくりするよ」なんて取り繕うのも忘れて素直に答えていた。


「お土産、藤沢くんのために頑張って選ぶね」


 そう言うと、彼女はロングスカートを翻しながらキャリーケースを引き、颯爽と歩き始めた。

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