第19話

 内心で俺は、奴らを<赤髪>、<狼少年>なんて呼んでいたが、決して口には出さないようにした。


 会場では終始中立を装って過ごしていた俺は、周りから白い目で見られるのが嫌だから奴らのことは最後まで放っておきたかったんだけど、懇親会が終わった後に内定者だけで飲み直そうってなった時、あの二人だけは誘わない方向で話が進みそうだったから、さすがにそれは可哀そうに思えてきて俺は奴らの側についたんだ。誘うくらいしたらどうかってね。


 そしたら俺とはまた違った攻め口で、要領よく先輩方に取り入っていた小賢しい男がいてさ(名前は忘れちまったけど)、そいつは俺の存在を疎ましく感じていたのか、手早く周囲の奴らを誘導し始めたんだ。


 これがまた口の上手い奴でさ、俺の話に乗る振りをしながら人数が多いから二手に分かれようかって話に発展させて、俺だけその妙な二人組を連れて別行動を取ることになったんだ。


 まだ入社前なのに、これじゃ完全に腫れ物扱いじゃないか。懇親会に参加してる奴らなんて全員が入社するわけでもないのに、この二人には果たして助ける価値があったのかって思ったよ。


 予想通りこの二人はまんまと内定を辞退することになったんだが、それには俺にも少しばかり責任があったかもしれないね。


「――ほんとさぁ、ひどいと思わない? ちょっとした嘘くらい流してくれればいいのに。あの小平こだいらって女は、何であんなことを言うかな」


 店に入るなり、狼少年は弾丸のように愚痴を言い始めた。


「『私は一応その年の絵画コンクールで入賞をしましたが、あなたの名前には見覚えがありません』だって。一応って、何! 入賞者全員の名前を覚えてるって言い切れんの? ……マジでむかつく。何げに自分がコンクールで入賞したのもアピールしてんだぜ、あいつ」


 真っ先にそれを実行したのはお前だろうと思いつつ、俺は向かいに腰かけた狼少年に励ましの言葉を送ったよ。懇親会は今回だけじゃないし、挽回のチャンスはあるってさ。


 そしたら斜め向かいの赤髪が突然泣き出しちゃって、「どうした?」って聞くと、奴さんは涙を流しながらビールを一息に飲み干して、「ぼ、僕は上司に嫌われたから、もうあの会社では生きていけない……」って嘆き始めるんだよ。


 なんて大袈裟で悲観的な野郎なんだか。こんなにも心配性なくせして、よくもまぁ思い切ったことをしたもんだよ。


「まだ終わりじゃないよ。次に行った時、ちゃんとしてれば平気なんだから。ギャップ効果でむしろ気に入られるかもしれないだろ」


 俺はなるべく軽い調子でそう言ってやったが、一杯しか飲んでいないビールで顔を真っ赤に染め上げた赤髪は、トロンとした目つきで一丁前に俺に噛みついてきやがったんだ。


「き、君はいいよね。先輩にもいち早く好かれてる感じだったし、ぼ、僕らとは端からスタートラインが違うんだから」


 ほう。「よく言った!」って褒めてやりたい所だったが、その時の俺は心底腹立たしかったね。何がスタートラインだ。そんなもんはみんな同じなんだよ。


 俺なんてどちらかと言えば他の奴よりもレーストラックを大回りするタイプなのにさ。こいつらは何も分かっちゃいない。自分から派手に転倒しておいてよく言えたもんだ。


 一応先に言い訳しておくと、その頃の俺は何かと感情の起伏が激しかった。ちょっとしたことで苛ついたり、感極まって泣いたり、忙しなく切り替わる思考回路を淡々と制御しながら過ごしていた。


 それも数日前の彼女との件があってから、多少タガが外れやすくなってたみたいで、……要するに、そういうことさ。


 赤髪の言葉に便乗した狼少年は、これまた隣の野郎に引けを取らないくらい酒に弱い奴だった。なんで揃いも揃って面倒な奴っていうのは、悪酔いするタイプなのかね。


 奴は俺が先輩を相手にズルをしてると言ってきかないんだ。前もって情報をどこからか入手しているだとか、先輩とコネがあるだとか、横のつながりで弱い者たちを排除しようとしてるだとか適当なことを言い連ねてさ、自分の正当性を主張しようと必死だったんだろうね。


 それで俺はまた、頭に血が昇っちゃったわけ。彼女の前で一度苛立ちを漏らした経験があったせいか、今度は上手く(上手くやるもんでもないだろうけど)怒りを表現することができた。気づいた時には、もうぼろくそにあいつらを言い負かしちゃってたね。


 何を言ったって? お前さん、頼むからそれは聞かないでおいてくれよ。


 ちなみに殴ったり蹴ったりしたのは机や椅子だけだったし、最後には二人揃って青ざめた表情を浮かべたまま口元が少しばかり震えていたように見えたけど、途中で俺は金を置いて出てきちまったから、その後のことは知らないんだな。


 それきり、奴らの姿をどこかで見かけることはなかった。内定を辞退したのは確かだと思うけど、次こそは奴らが要領よく生きられるように陰ながら祈っているよ。いや、これは本心でさ。


 またやらかしちまった。この頃の俺は、本当にどうかしてたんだ。他人の前でみっともなく本心を曝け出すなんてさ、そんなのは俺らしくないだろ。


 定められた役割からも逸脱している。どうにか精神状態を整えないと。こんなんじゃいずれ、社会から爪弾きにされちまうかもしれない。

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