第五章
第13話
一緒に暮らし始めて一週間くらいは、何の問題もなかった。
小さなハンドバッグ一つで居候生活を始めた彼女は、初日こそ俺の服を漁ってTシャツをまるでワンピースのように着こなしていたけどさ、次の日に夕方バイトから帰ると大量の服や下着が宅配で届いていた。
やはり向かいの邸宅に住んでいただけあって、資金源については申し分ないってわけか。
それなら適当なホテルにでも滞在すれば良いじゃないかと思ったが、一度引き受けてしまったものを今から撤回するのも何だか忍びなくて、俺は狭苦しいワンルームの一室で彼女と二週間の共同生活を過ごすことをしぶしぶ受け入れた。
しぶしぶとは言ったものの、彼女は意外と献身的で、俺のいない間に家事を引き受けてくれているようだった。
「唐揚げ作ったけど、食べる?」
帰宅した俺に彼女が用意してくれたのは、唐揚げのほかにもきんぴらごぼうやら、ほうれん草のお浸しやら、肉じゃがやら、いつの間に作ったのかと思われるほどの品数だった。
「味噌汁はしょっぱくない?」
正直言って、どれも恐ろしく美味かった。家庭的な味なんて何だか懐かしかったね。俺が頷くと彼女は嬉しそうに微笑んで、まるで恋人を見るような目つきでこっちを眺めていたんだ。
料理、洗濯、掃除。彼女は家政婦張りの働きで瞬く間に俺の部屋を新品同様にしていった。さすがにベッドの権利は譲ったものの、彼女は何度も床で寝ると言い張った末にベッドの隅で横になりながら、いつでも隣に入ってきて構わないと申し出てきた。大胆にもほどがあるだろ。
詳しい年齢までは聞かなかったが、恐らく二十代後半といったところかもしれない。幼い顔立ちと華奢で小柄な姿から初めは年下かと思ったくらいだが、仕草や話し方から彼女の洗練された部分を垣間見ると、途端に雰囲気が大人びて感じられた。
正直、悪い気はしなかったね。向かいから眺めていた彼女はどれも破天荒な行動を取っていて、同居生活なんて絶対に不可能だと初めは予想していたが、一緒に住み始めると案外大人しいし、何より俺に好感を持ってくれていると感じられた。
家にいる日は二人でテレビを観たり、酒を飲んだりして過ごし、彼女に乗せられて俺は普段よりも少しばかり飲みすぎる傾向にあった。一緒にいると妙に気分が良くってさ、いくら飲んでも回る気がしないんだ。
それで昼間のバイトでは身体が重くて、頭もふらついた状態のなか働くわけなんだが、部屋に帰るとまた彼女が色々と尽くしてくれるもんだから、それに甘えて俺はまた元気を取り戻しちまうんだな。
「明日は何か予定あるの? いつ帰ってくる?」
彼女は俺の毎日の行動と帰宅時間を知りたがった。どうしてそんなことが知りたいのかと尋ねると、彼女は「決まってるでしょ」と恥じらうような素振りを見せた。好きな相手は束縛したいタイプなのかね。
だが俺には、ここまで彼女から溺愛される筋合いはないように思えた。あの夜に彼女とどのような遣り取りを交わしたのかは思い出せなかったが、これではまるで同棲中の恋人同士じゃないか。
きっと、遊ばれているだけなんだ。窓の向こうに見た彼女は、毎夜のように誰かと夜を共にしていたんだから。たぶん相手は誰でも構わなくて、今はその相手が俺ってだけの話なんだろう。
そうは思いながら、今まで夜遅くまで飲み歩いていた俺も、彼女が来てからはバイトが終わるとすぐに直帰するようになった。
アパートの外に漏れ出す部屋の灯りや、扉を開けると漂ってくるご飯の匂い、それに、彼女が醸し出す包容力があまりに心地良かったからさ。
彼女がうちに来て五日くらい経った日の事だったかな、俺たちは二人でクラシックコンサートを観に行くことになったんだ。
それも偶然なんだけど、バイト先の先輩が恋人と観に行くために買っておいた前売り券が二枚あって、つい最近になってその子と別れたから譲ってやるって言うんだよ。何だか縁起も悪いし、普段なら絶対何かしらの理由をつけて断っただろうけど、彼女がクラシック音楽に興味があるって話をしていたのをふと思い出してさ、俺は気まぐれに貰ってきちまったんだよ。
「まぁ、行かないかもですけど、一応貰っときますよ」
冗談っぽく俺がそう言うと、普段なら「いやいや、貰うなら行っとけよ!」とか言って元気に返す先輩も、その日ばかりは意気消沈していて、「好きにしてくれ。俺にとってそれは、もう価値のないチケットだからさ」なんてしょんぼりした様子で答えた。
家に帰って試しに彼女を誘ってみると二つ返事でオーケーしてさ、当日は二人してお洒落しながら外に出たわけ。
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