第18話 絶対絶命
「昨日の事なんだが……」
イワンは神妙な面持ちで語り始めた。
これは昨日の話である。
私は妹のニコといつものようにダンジョンに潜っていた。今日の目的は繁殖力の非常に強いグラトニーアントの討伐であり、その住処は巨大な蟻が大量発生しているジャングルであった。
視界の悪い森の中で囲まれては分が悪いので、近くにあった廃墟の建物におびき寄せ、狭い室内で少数を相手取る算段を立てた。
はじめはうまくいっていたのだが、次第に周囲の壁からギリギリとした不快な音が聞こえてきた。正面の蟻との戦闘が続いていたので、音の正体を探るのは後回しになっていたが、それからしばらくして音の正体が自ら姿を現した。
壁がボロボロと音を立てて崩れ落ち、壁の向こうから複数の蟻が迫ってきたのだ。先ほどまでの音は奴らが壁を壊す音。あっという間に周囲は蟻に囲まれてしまった。
建物に入り、狭い空間での一方向からの攻撃には対応できていたが、壁を壊された今は、360度全方位から攻撃を受けなければならない状態に陥っていた。何とか蟻からの攻撃に耐え、致命傷は避けているが、足、腕、頭と着実に傷を負っていく。
二人で対処するにはあまりにも敵の数が多すぎる。このままではやられる。私は死を覚悟したが、この命に代えても妹だけは守り抜きなんとか脱出させる。そういう覚悟をも決めた。
絶体絶命、その時だった。
背後の蟻の群れが大きな爆発音とともに吹き飛んだのだ。
「大丈夫か兄ちゃん!」
聞き覚えのある声だ。先ほど蟻から受けた攻撃で頭がおかしくなったのだろうか。声の主は昨夜の料理店で話をした男のようだった。
「これも神の思し召しってやつかね。俺たちも戦闘に参加するぜ。もうひと踏ん張りだ兄ちゃん!」
勘違いではなかった。彼も冒険者だったのか。朦朧とする意識の中で必死に槍を振るい続けた。増援に助けられ苦しかった戦況を抜け出すと、張り詰めた糸が切れるように気を失った。
目を覚ますと見知らぬ部屋のベッドの上だった。痛む体に鞭を打ち、ベッドから起き上がるその時にちょうど部屋の扉が開いた。
「おう兄ちゃん、目が覚めたのかい。飯の時間だぜ。降りて来なよ」
男はそう言うと踵を返し廊下へと消えた。俺はゆっくりと立ち上がり彼の後を追ったがすでに階下へ降りたようで姿は見えなかった。片手で手すりを掴んで階段を下ると、そこは多くの客で賑わう食堂であった。
「こっちだこっち!」
男が大声を出し俺を呼んでいる。私は広い食堂を見回していたが、意外と近くの左手前の席に座っていたことに気が付いた。テーブルには食べ終わった皿が何枚か重ねてあった。
座席にはニコが座ったまま眠っていた。状況を整理するために私は記憶を辿った。
「あなたが助けてくれたのか……」
「おうよ。でも気にしなくていいぜ。きっと神への祈りが届いたんだ」
「いや、死んでもおかしくない状況だった。本当に感謝している……」
「いいっていいって。気にすんな兄ちゃん。ほら、飯でも食おうぜ」
ニコは幸せそうに眠っている。腹いっぱい食べたのだろう。その表情と空の皿が物語っている。
その後、私は食事をとりながら彼と様々な話をした。彼の名はゴルエフ。ベテラン冒険者であり、この大衆食堂の店主とその妻のよっちゃんとは古くからの知り合いであること。彼とその仲間が俺たちに加勢し、気を失った俺をここまで運んで手当てしたこと。
彼には本当に感謝している。それは言葉では言い表せないほど。命の恩人である彼のためならば、どんな頼みでも引き受けたいくらいだ。
そんな中、ほんの少しだけ変わった出来事があった。
それは食事の直前。
「それじゃあ食前の祈りをするか」
ゴルエフは勢いよく椅子から立ち上がった。確かクレインも昨夜そんな話をしていたな。頭が痛くてどんな祈りだったかまでは思い出せないが、たしか古代の……ギョウザドン?がどうとか言っていた気がする。
まあ覚えていなくても問題はない。彼も知っているということは、きっとこの地では以前から知られている祈りなのだろう。彼の真似をすれば良いだけだ。私はゴルエフの動きに合わせ床に両膝をついた。
「嗚呼、偉大なるギョウザドン様よ。我らは地の底からの祝福に感謝し、天へと向かう道の糧としてこの食事をいただきます。ギョウザドン」
なんだかクレインの祈りとは違う気がするが、彼の後に続いて私も祈りを捧げた。
「俺はよう、神なんてろくに信じてもなかったんだがよう、今日兄ちゃんらに会って祈りってのは大切だって思ったぜ。それのおかげで助かったのかもしれねえな」
たしかに昨日初めて出会った男と偶然ダンジョンで再開し、助けてもらったのが祈りを教わってすぐだなんて出来過ぎている。神の御業と言ってもおかしくはない。
「そうかもしれないな。これから祈りは欠かさずするとしよう……」
「俺も毎日祈るぜ!」
「私もやってみようかしら」
「東ってどっちだっけな」
「こっちの壁の方向だよ。後で印付けといてやるよ」
「流石よっちゃん仕事がはやい」
隣のテーブルの男が唐突に話に加わると、たちまち周囲に広がっていった。私が来る前にニコやゴルエフから祈りの話を聞いていたのだろう。店中の人がすでに祈りについて知っているような雰囲気だった。
「それでこいつが今回の報酬だぜ兄ちゃん」
ゴルエフが布の袋を取り出すと、テーブルの上へ中身をゴロゴロと乱雑に並べた。それは通常より二回りほど大きな魔石だった。
「あのグラトニーアントは普段と比べるとやけに強かったよな。こいつを見りゃそれも納得だ。異常な成長をしてたみたいだぜ」
モンスターを討伐すると手に入る魔石。これの大きさや質はモンスターの強さに直結している。魔石が大きいということはそれだけ強い魔物だったということだ。
「今回の報酬分として半分ほどいただいていくが、兄ちゃんはそれでいいかい?」
ゴルエフは分け前について私に確認をする。だがそれでは納得できない。
「今回はあなたに助けられた。すべて持っていってくれ……」
「おいおい、そりゃダメだ。全部だなんて言わんでくれよ。半分は兄ちゃんたちのもんだ。貰うわけにはいかねえよ」
「それでは私の気が済まない。妹も私もあなたには一生かかっても返せない借りができた。それを受け取ることはできない」
「じゃ、じゃあよ、半分にする代わりによう、俺の願いをちょっとばかし聞いてくれってのはどうだ」
私は彼の提案に乗ることにした。彼の願いをひとつ叶えるのだ。
「――そして今に至る……」
「だからまったく話が繋がってないんだが」
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