第32話 人の鼻は摘まないで下さい

 レオンが、眉間に皺を寄せつつ私に尋ねた。


「ナタ、お前一体王都で何をやらかしてきたんだ?」


 これは絶対さっきの私のレオンへの発言に対する仕返しだ。そうに違いない。こいつもそこそこ性格悪いな、と私は内心イラッとした。もしかしたら、顔にもちょっとこの苛つきが出ているかもしれない。


 事実、はっきりと出ていたんだろう。


「そんな顔をするな。冗談だ」


 レオンはそう言うと、あろうことか私の鼻の頭をつまんで笑ったのだ。つま、つま、摘んだ!? 私は今一体何をされているのか、一瞬自分がどこにいるのかこの先の目的も全て見失ってしまった。何でこの人は、当たり前の様に人の鼻に触れて笑っているのか? 謎すぎた。


 すると、後ろから覗き見をしていたナッシュが、レオンの肩をちょんちょんとつついた。


「レオン様、その距離感は一般的ではないと思いますよ」

「ん? どういうことだ?」


 私が思考停止して固まっていたからか、助け舟を出してくれたらしい。お喋り従者もなかなかやるじゃないか。


「レオン様はまだナタ様に愛の告白はされていないんでしょう? やはり男たるもの、告白の前にあまりにも堂々とベタベタと触るのは紳士の振る舞いとしてはいかがなものかと思うんですけど」


 前言撤回、やはりお喋り従者は駄目だ。この間から何かを盛大に勘違いしている様だが、自分の地位向上の為とはっきりと口にしていたから、主人を思っての言動ではないのかもしれない。


 にしても、何故ナタとレオンをくっつけることがナッシュの地位向上に繋がるのだろうか。その論理も全く以て謎だった。


「愛の告白……」


 レオンはきょとんとナッシュを見た後、まだ鼻を摘んだままの私を見て、慌ててパッと手を離した。


「な、ナタ! 怒って……ないよな?」


 言葉の最後の方は、垂れ下がったライオンの耳と尻尾の幻覚が見えてきそうだった。その背後から、ナッシュが声を掛けてくる。


「ナタ様、お顔が赤いですよー」


 いっぺん殺したろか、この従者。私がナッシュを睨みつけると、ナッシュはぺろりと舌を出して笑った。更に殺意が湧いたのは、仕方のないことだろう。


 ゴホン、と咳払いしたレオンは、今度は冗談は言わないことにしたらしい。


「あー、ナタ?」

「……なに」

「こいつは、口は軽いが嘘は言わん。だから、あれが王国騎士団だというのは本当のことだろう」


 私はナッシュを見た。私に向かって、サムズアップをしている。やっぱり殺そうかな。


 だが、このままここで殺人を犯しても私のメリットにはならない。マヨネーズ求道にはあってはならないことだ。私は心を落ち着かせるべく、頭の中にマヨネーズの容器のあのフォルムを思い浮かべた。――よし、落ち着いた。


「……分かった、そこは信用するわ。で?」

「ナタ、お前に何か思い当たる節はないか? ナタの名前を出したということは、お前が町娘の格好でこの街に滞在していることも把握しているんじゃないか?」

「うーん?」


 屋敷を出た時から、もしかしたら後を付けられていた可能性もある。だけど、どうして私に接触してこない? 王国騎士団なら、正面から訪問されたら断りなど出来ないのに。


「何か、王族の恨みを買うようなことはなかったか?」


 王族の恨み。私が知っているのは、王様に王妃様、そして元婚約者のアルフレッド。彼らの親類もいるが、あまり深く関わることはなかった。王様と王妃様には行儀のいい義理の娘候補として接していたし、別に嫌われていた様な記憶もない。アルフレッドとは会話らしい会話も殆どなくなっていたし、そもそもあいつは私を振った側だ。恨みこそすれ、恨まれる筋合いはない。


 ということで、私は首を横に振った。


清廉潔白せいれんけっぱくよ」


 うーん? とレオンが首を傾げる。


「お前は結構ズバズバ物を言うからなあ、気付かない間に何か相手の逆鱗に触れることでも言った可能性はないか?」

「あのね、人を何だと思ってる訳? 王宮で過ごしてる間は、私は模範的な王太子妃候補をしてたわよ」


 私がふんぞり返ると、レオンがいぶかしげな顔をして更に首を傾げた。やっぱりこいつはむかつく。


「本当か? その割には俺には随分と言いたい放題な気がするんだが」

「あんたはこの国の王族じゃないでしょうが」

「当然だ。俺にはあんな酷い鼻毛は生えちゃいないからな。ほら、鼻毛を見れば違いが分かるだろ?」


 レオンはそう言うと、わざわざ私に鼻の穴を見せた。――まあ、レオンの鼻毛は見えない。というか、なんだ、鼻毛が出てるのは、やっぱりちょっとおかしかったのだ。異端だったのは私じゃない、あの一族ってことだ。


 私はレオンに頷いてみせた。


「少なくとも血縁でないのは分かるわ」


 あの遺伝子は強そうだ。遠縁ということもなさそうである。


「あれは、誰も指摘しないのか? 俺は、見た瞬間思わず視線が釘付けになったんだが」


 レオンが呆れた様に笑う。やっぱり視線はあそこに行くのだ。私は心強い味方が出来た気になった。私は間違ってなかった、間違っていなかったのだ!


「指摘なんて出来る訳がないでしょ、王妃様だって当然だみたいな顔をしてるし、王様や王太子に鼻毛出てるよなんて言ったらどうなっちゃうか」

「まあ、あの王太子なんかカーッと怒りそうだよな」


 はは、とレオンが笑う。私はレオンの腕をぽんと叩いた。


「でしょお? もうね、アルフレッドったら自分を非難するようなことをちょっとでも言うと、グワーッと怒るんですもの。毎回発言に気を使ってしょうがなかったわよ!」


 私もあはは、と笑った。そして、はたと我に返った。


「……レオン、何で鼻毛のこと知ってるのよ?」


 レオンが思い切りギクーッ! と反応した。目は泳ぎまくりだ。


「ゆ、有名な話なんだよ!」

「だって、視線が釘付けになったって言ってたじゃないの」


 どう考えても、レオンの発言は直接目の前で見た人間のものだ。


 怪しい。私はレオンを半眼で見上げた。

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