第28話 餌付け

 スープを飲ませてもらっている間にどんどん元気を取り戻してきたレオンは、スープのおかわりを要求してきた。


「もう元気そうだから、あっちの部屋で三人で食べましょうよ」


 折角なら、なくなる前に私だって食べたい。


「三人ねえ」


 レオンは何か含みのある言い方をしたが、私はそれについては言及を控えた。不仲な二人ではあるが、レオンにはいい緩衝材かんしょうざいとなってもらわねばならない。余計な詮索せんさくはしないに限るのだ。


「ナタ、手を貸してくれ。動くと頭が痛いんだよ」


 ずるずるとベッドの端までってきたレオンが、片手を伸ばしてきた。


「非力な私が助けになるとは思えないけど」

「気持ちの問題だよ、気持ちの」


 レオンがあははと笑うので、私も苦笑してレオンに手を差し出した。レオンはそれを掴むと、ゆっくりと立ち上がる。すぐ目の前には、レオンの胸。上から降ってくる息は、まだまだ酒臭かった。


「全く、とにかくもう二日酔いはやめてよね」


 私がレオンを見上げてそう言うと、レオンにしては驚く程優しい目をして私を見下ろしているじゃないか。一体どうしたんだろうか。


「ナタ、昼飯も作ってくれるのか?」

「そ、そのつもりですけど?」


 毎日、予想以上の卵がお届けされる以上、すみやかに消費していかなければならない。なんせ、この世界には冷蔵庫がないのだから。


 レオンが、おかしなことを言い始めた。


「昨日お前が作った料理が忘れられなくて、それで晩飯を食う気にならなかったんだ」

「はい?」

「ナタの料理は毎日でも食べたいんだ。だから、これから毎日、俺の為に作ってくれないか」


 青い目をキラキラさせて、懇願こんがんするレオン。確かに、私が作る料理は前世の知識からくるものなので、基本切って焼いてソースを掛ける程度の料理しかないこの世界では、異端だ。


「ま、まあ卵は使わないとだから、マヨネーズが完成するまでは頑張るけど……」


 私は、身体を若干後ろにそらしながら答えた。


「昼も楽しみにしてるからな」


 レオンはふっと薄く笑うと、サイドテーブルにあったトレイを自分で持ち、台所へと向かって行った。


 私はしばしその場に立ち尽くしていた。どうやら、私はライオンを餌付えづけしてしまったらしいことに、遅ればせながら気が付いたのだった。



 スープが入っていた鍋は、あっという間にからになった。


 レオンはまだ多少頭痛は残っている様だが、腹が満たされたことで青白かった顔色がほんのりピンク色に変わっている。ぐぐ、と伸びをすると、腫れぼったい顔に笑みを浮かべてエプロンを手に取った。


「よし、もう大丈夫だ。ナタ、今日の作業内容を説明してくれ」


 レオンがそう言うと、ホルガーが紙とペンを持ってさっと構えた。皆、やる気の様だ。なかなか頼りになるじゃないか。私は心強く思い、腕まくりをしながらうんうんと頷いた。これなら、マヨネーズの完成も近いかもしれない。


「まず、昨日の反省点からよ!」


 人差し指をピンと立て、私は横並びに立って私に注目するホルガーとレオンの前をツカツカと歩く。


「何故卵と油は分離したのか? 私はひと晩考えに考えました」

「おお、それで結論は出たのか?」


 レオンが尋ねる。私はくるりとレオンに向き直った。


「多分、比率の問題じゃないかと思うのよね!」

「比率、と」


 ホルガーは、私の言葉を書き写している様だ。なかなか優秀な書記だ。


「だけど卵が多いのか? それとも油が多かったのか? そこが分からない。ということで、今日は両方のパターンで作業をしていきたいと思います!」

「と、いうと?」


 レオンが首を傾げた。


「油の中に卵を足していくのと、卵の中に油を徐々に足していく、その両方を試すのよ!」

「成程、それでその中間値を見つけるってことだね。さすがナタ、頭いいな!」


 ホルガーが、例の如く私をべた褒めした。さすがは我が従兄弟、私の持ち上げ方をよく分かっているじゃないか。私はどんどん伸びていきそうな鼻を頑張って抑えつつ、二人に指示をした。


「では、昨日と同様私は卵を割るから、レオンは撹拌かくはん。ホルガーは記録を取りつつ、私と分量を測っていくわよ!」

「任せろ!」

「頑張るから!」


 一致団結した私達は、早速作業に移った。昨日はエプロンすら自分で着用出来なかったレオンだったが、やれば出来る子なレオンだけあって、今日はするりと着用していた。ホルガーも当たり前の様に後ろで蝶々結びをしている。あれ? 昨日は出来ないとか言って人にやらせてなかったか? 


 一部に落ちない箇所もあったが、私はマヨネーズ求道に全集中することにした。余計なことは考えまい。研究に私情を挟むなど、あってはならないのだから。


「いざ! マヨネーズ!」

「おおおお!」


 掛け声と共に、私達の研究二日目が開始した。



 午前中は、油の中に卵を徐々に足していくパターンを試したが、結論からいうとこれは失敗に終わった。油の中で、卵が孤立するのである。


「これ、昨日と一緒じゃないか?」


 レオンがボウルの中を覗きながら、言った。私もボウルの中身を凝視ぎょうしする。どんどん足されたはいいが、結局は混ざらなかった卵の残骸ざんがいが、物悲しい。食べ物を無駄にしているんじゃないかという罪悪感が、どうしても拭えないのだ。これがマヨネーズの原材料と考えると、余計だ。


「じゃあ、これはなるべく掬ってお昼の材料にしましょうか」


 私がそう言うと、レオンの目がキラン! と光った。どんだけ飢えてるんだろう。


「今日の昼は、何を作るんだ?」


 レオンが、『わくわく』と聞こえてきそうな期待に満ちた目で私に近付く。


「レオン、近い」


 ホルガーがピシャリと言うが、レオンは聞いちゃいなかった。私のすぐ横に立ち、子供みたいなキラキラした瞳で私を覗き込んでいる。そして言った。


「何であろうと、絶対美味うまいんだろうな」


 食べ物に、余程飢えているらしい。これは一人で寂しい食事を取っていた以上に、余程貧相ひんそうな食生活を送ってきたのではと推測された。


 私はほだされない。そんな流される女ではない。だから絶対絆されないんだってば。


「……任せなさいっ」


 私は胸をドン! と叩いた。ああ、だからもう、ホルガーまで嬉しそうな顔をして、餌付け対象が二人に増えちゃってるじゃないか。そんなことしてどうするんだ、と思い。


「あはっあははははっ!」


 ここには敵意が一切ない。


 それがこんなに楽しいことだなんて、私は初めて知ったのだった。

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