第12話 異端令嬢

 一体どうしたというのか。さすがに居心地が悪くなって私がもじもじし始めると、レオンが、私の目の奥を覗き込むように見ながら言った。


「お前の目、凄く緑色だな」

「それって褒めてる? それともただの感想?」

「いいんじゃないかっていう感想だ」

「何よそれ」


 私はハッと笑うと、レオンの背後に回った。大して知らない男にこんな距離で顔を覗かれるのは、さすがに照れくさかった。この照れが顔に出ていなければいいのだが。


 何せ、前世では社畜の超ぽっちゃり女子だった私だ。出会いなんぞそもそもなかった上に、ぽっちゃり好きにも好きになるサイズの程度というものがある。明らかに既定値オーバーだった私は、そもそも女子として見られていなかった様に思えた。


 ということで、死んだ年齢が彼氏いない歴と同じ。勿論何一つ経験はない。そして婚約破棄された身としては、今世でもファーストキスすら果たして出来るかどうか。


 小さく溜息をつきつつレオンの横にぶら下がる紐を手に取ると、私はホルガーにしたのと同じ様に、レオンの腰にきゅっと蝶々結びを作った。レオンの背中の方が、ホルガーよりも少しがっしりしている。無駄な肉が一切ないが、そもそもこの人は普段何をしている人なんだろうか。


 今更ながらに、私はレオンのことを何ひとつ聞いていなかったことに気が付いた。まあ、作業中に少しずつ知っていけばいいだろう。マヨネーズ開発に名乗りを上げる位だ、とりあえず定職についてはいなそうだったが、かといって貧乏そうでもない。立ち振舞も洗練された雰囲気がするので、どこかいいところの坊っちゃんがふらついているだけなのかもしれなかった。


 それもいずれ知れよう。


「はい、出来上がり」


 これまたホルガーと同じ様に背中をポンと叩くと、レオンが肩越しに私を見下ろした。


「この国の令嬢っていうのは、皆こんなに気安いものなのか?」

「はい?」


 私が聞き返すと、丁度ホルガーがバケツに水を汲んで持って入ってきたところだった。


「これは台所に置けばいいのか?」

「うん、お願いね」


 こちらの世界には、下水が整備されていない。せめて上水だけでも設置されていたら大分生活は楽だったのだろうが、残念ながら作者にはそういう頭はなかった様だ。もうちょっと、実際に住む人間の身になって考えてもらいたかった。この小説の作者は、大体において設定の詰めが甘い。


 私が改めてレオンを見上げると、レオンは私のことを観察する様な目つきでじっと見ていた。間違ってもそこには色気など一切なく、人間観察というよりは実験動物を観察している様な目だった。思わず、私の顔が引き攣る。


「な、なによ」

「いや……なかなか興味深いなと思って」


 そして、クスッと小さく笑った。その笑い方に若干嫌味な空気を感じ取った私は、半眼でレオンを見る。何だか他のまともな令嬢まで馬鹿にされた気分になった。私だけを見て、他もおかしいと思っては欲しくないので、私は頑張る他の令嬢の為にも誤解を解くことにした。


「一応言っておくけど、他の令嬢はとてもまともよ。私が特殊なだけだから、勘違いしないで」

「まとも? 一体どういうのがナタの中でまともになるんだ?」


 こいつはまともな令嬢を目にしたことがないのだろうか。私は呆れ、腰に両手を当て仁王立ちをしてレオンに説明を始めた。


「王都には行ったことない? 日差し避けのレースの日傘を差して、歩幅はあくまで小さく。口を開けて笑ってはならず、一人で出歩くこともなく、夫の後ろをしずしずと歩く! 大声を出さない! 怒っちゃ駄目! いつもにこにこ、気品を持って!」


 いつもいつも繰り返し王城での后教育時に言われていた言葉を並べ立てている間に、段々腹が立ってきた。


 あの教育係は、いつか抹殺してやりたいと思っていたが、そんなことをひと言でも発したら現実になってしまいそうだったので、いつも心の中に留めていた。そういうことすらも、全てがストレスだった。


 その話をうんうんと聞いてくれていたのは、ホルガーだけだ。つまり、ホルガーだけが私の恨みつらみを知っている。あいつも延々と愚痴を聞かされて、よく笑っていられたものだ。私だったら間違いなく発狂している。


 私の羅列は止まらなかった。


「仕草はたおやかに! 走らない! 一度にいっぱいお皿に盛っちゃ駄目! 口いっぱいに頬張るな! ああああっ無理無理! 私には無理!」


 レオンは、キョトンとして私を無言で見返している。台所から戻ってきたホルガーは、腕組みをしながらうんうんと何度も頷いていた。そりゃそうだ、これまでの私の苦労を、こいつは全て知っている。だからきっと、今のこの自由な私を見て、ホルガーもようやく解放されたと内心むせび泣いているに違いない。これまで大分ホルガーに苦労をかけたな、と少しだけ反省した。


 私はビシッと指を立てた。


「――つまり、私は特殊。令嬢の中では珍種、異端。お分かり?」

「へえ」


 レオンの目が、少しだけ笑った。こんな話をしている場合ではない。卵の鮮度は、刻一刻と落ちていくのだから。


 私は今度はレオンをビシッと指差した。


「レオン、三角巾を頭に巻いたら、手洗いをしてきて頂戴!」

「はいはい」


 レオンは素直に私の指示に従うと、三角巾をきゅっと縛りつつ、ゆったりと井戸へと向かって行った。結ぶのは、すんなり出来ていた。

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