第10話 清潔さが命

 翌日から、私達のマヨネーズ研究が始まった。


「おいナタ!」


 私とホルガーがレオンの家に到着するや否や、レオンがつかつかと歩いてくると、居間の小さいテーブルの上を指差した。その上には、かごに入った大量の卵が置かれている。


「なんで俺んちにいきなり卵が届けられるんだよ! 聞いてないぞ!」

「あ、そうだごめんなさい、言うのをすっかり忘れてたわ」


 研究場所が屋敷からレオン宅に変更となったことで、昨日ここから出た後、ホルガーに養鶏場まで馬でひとっ走りしてもらい、納品先を変更したのだ。自分の迅速な変更手配に満足した私は、変更になった納品先にその旨を伝えるのをすっかり忘れていた。


「ということで、今日からここに毎朝お届けに来てもらうから」

「ということで、じゃねえよ。早朝にドンドンドア叩かれて叩き起こされた俺の身にもなってくれよ」


 レオンはブツブツと文句を垂らし続けている。よく見たら、黒いブラウスのボタンがかけ違えたままだ。寝起きに相当慌てたことが窺える。


「レオン、ボタンがずれてるわよ」


 私が自分の胸元を指差してかけ違いを指摘すると、レオンがじっと私の胸を見た。


「お前、もう少し食った方がいいぞ」

「うるさいわね」


 人の胸を見て言う台詞じゃない。すると、ホルガーが羽織っていた薄手のショールをサッと私に巻いた。レオンを冷たい目で見る。


「ナタ、やっぱりこの場所はよくないんじゃないか」

「おい、お前な……」


 レオンがイラッとした表情になったところで、私は用意してきた純白のエプロンと三角頭巾を鞄から急いで取り出すと、今にも喧嘩を始めそうなイケメン二人の胸に押し付けた。


「はい! これ着てね!」

「え? おいなんだこれは」

「ナタ、これってどうやって着るんだ?」


 ホルガーは公爵令息だからエプロンなんて付けたことがないのは分かるが、レオンまで首を傾げているのはどういうことだろう。まあボタンをかけ違える位だ、不器用の所為で料理なんてろくにしたことがないのかもしれない。これは鍛え甲斐があるというものだ。


 私は、自分用の白いエプロンを着用し、三角巾もきゅっと頭に縛った。そしてまだエプロンを掲げているだけの二人に向かって言った。


「いい、二人共? 料理に大事なのは、衛生的であることです!」

「え、衛生?」


 ホルガーが尋ねる。私は深々と頷いてみせた。これに関しては、一切譲る気はない。卵、特に生卵は、衛生面に気を付けていかないと、お腹を壊す。割れた状態の生卵をそのまま数日冷蔵庫で放置し、賞味期限内だからと卵かけご飯にし、その後病院に半ば這う様にして行った私が言うのだ、間違いはない。


 生卵は、舐めちゃいけないのだ。


 私は人差し指をピン! と立て、二人の前を先生然としてつかつかと歩いた。


「まずは石鹸での手洗いを行ないます! これ必須!」


 二人は、両手を眺めた。


「あと、生卵の殻には鶏の糞が付着していたりします。えー、これはサルモネラ菌を保有している可能性が高いので、汚れはぬるま湯でさっと拭き取ります!」


 私は、お腹を壊した後に調べて何となく覚えていた、かなりうろ覚えの知識を披露した。


「ナタ、質問」


 ホルガーが手を上げた。


「はい! ホルガーくん!」


 一瞬不思議そうな顔をしたホルガーだったが、私の奇行については幼少期からよく知っているだけあって、ホルガーのスルー技術はかなり高い。よって、何にも触れることなく質問に移った。


「サルモネラ菌ってなに?」

「……ええと」


 当たり前の様に喋ってしまっていたが、この世界には菌という存在こそあれ、菌に種類があるという概念がない。中途半端に昔の西洋風なのだ。作者の雑な世界設定が、こういった瞬間に垣間見える。


「お、お腹を壊す菌よ!」

「ああ、成程。それをサルモネラ菌って言うのか?」

「あーうんうん、まあそうみたいよ! 本で聞きかじっただけなんだけど! あははは!」


 とりあえず無理やり誤魔化した私は、細かく突っ込まれる前に先に進むことにした。


「作業の合間に他の物を触ったら、その度に手洗いを徹底します! 道具も、毎日綺麗に清潔を保ちます! 分かったかしら?」


 私は、こちらを無言で見つめているホルガーとレオンを交互に見た。ホルガーは穏やかなホルガーらしい優しげな笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いている。よし、こちらは問題ない。


 レオンはというと、全く表情が読めない。いわゆる無表情ってやつだ。これまで私の近くにいたイケメンは、キラキラ鼻毛王子のアルフレッドに、この朗らかホルガーである。そういった意味では、レオンはその名前の通りちょっとワイルドな印象で、ちょっと新鮮だった。


 そんなワイルドな黒髪のイケメンが、白いエプロンを手に突っ立ってこちらを見ている。何も言わない。一体どうしたのだろうかと、私はレオンを観察し始めた。

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