0 夜の海

「せいやぁ」

 気合いの入った声とともにかすみが赤い巨人に鉄の両腕に青い稲妻を纏い、たたき込む。

 操り手のいない従者はあっけなく弾けて、血をまき散らして霧散した。

 オーヴァードの特殊能力で作られたそれは、見た目ほどに血を溜め込んでつくられたものではなく、幸いにも叩き潰したかすみが血を浴びる程度で済んだ。

 血まみれになってもかすみは気にすることもなく、右手の指を二本たててVサインをちよに向ける。


「隊長、大丈夫ですか」

 悲痛な声を漏らし、アイシェは両腕に傷ついた椿を抱えて心配そうに眉を寄せている。その腕を振り払うようにして椿が杖を支えに――どう見ても彼の肉体の半分は動いていない。

 不自由をしながら起き上がり椿が静かに、けれど鋭い声を発した。

「被害状況の解析と報告をしろ、アイシェ」

「・・・・・・はい。ここまでで保護した一般人たちはレネゲイドウィルスにあてられているようです」

 あてられる、とは急激なレネゲイドウィルスの上昇に肉体が耐えきれず気絶している、ということだ。

 オーヴァードに覚醒していないが、精神になにかしらの負荷を受けていないかは改めて確認する必要がある。

「では、死者は」

「今のところ、こちらでは確認できていません。幸いなことに・・・・・・ただ鯨により、怪我を負った者がかなり多いそうです。ジャーム化も今のところ、未確認です・・・・・・隊長のご判断のおかげです」

 アイシェの口から漏れる尊敬と敬意の念を椿は目を伏せて受け止めたあと、周囲を見回した。

「君たち二人が、MM地区の高見支部長が送ってきた優秀なチルドレンだな」

「え、あ、はい」

「・・・・・・たぶんですけど」

 かすみとちよがいきなりのことに緊張した顔をする。

 年齢はそうかわらないが、椿には自分たちにはないなにか壮絶さを感じたのだろう。

「保護した娘は?」

「気絶、しているみたいです」

 ちよが腕のなかに抱える少女の顔色を見て、安堵の声を漏らした。

「そうか。では、もう一つ、お前は何者だ」

 椿の鋭い問いは、へたれこんでいる女に向けられていた。

 赤毛の女が、その問いが向いていると理解するにはたっぷり一分必要だった。ゆっくりと首を動かして椿を捕らえる。

「私は」

 女が声を漏らそうとしたとき、がたんと大きく車両が揺れた。


「どうした、なにがあった!」

 椿を支えるアイシェが耳についたマイクに手をあてて怒鳴る。

「なに・・・・・・わかった。隊長に報告する! 大変です。マリンスノーの運転機能が破壊されたようです。ブレーキがきかず、このままでは終点の横浜駅に突入します」

 焦った顔のアイシェが告げるのに傍らによるきぃと人の姿になった侘助はことの重大さを理解していないのか不思議な顔をする。

 椿もまたひどく冷静に

「そうか。小細工がうまい男だ。おおかた従者を使ったな。あれは手数が多いからな」

 そのとんでもない事態に悲鳴をあげたのはちよとかすみだ。

「うっそーー、どうしよう。どうしようっ」

「ふぇえ、落ち着いて、かすみちゃん。ああ、けど、こういうときはどうしたらいいんですかぁ」

 保護した少女を抱えて二人が慌てふためく。

 それを見て赤毛の女はようやくこの世に戻ってきた、そんな顔で立ち上がり前に進み出てきた。

「私は、UGN本部、アッシュ・レドリック直属のエージェントです」

 懐から身分証明書を取り出し、掲げてみせたのは、UGNの身分証明書のカード。そこにはアッシュ・レドリックが自分の身分証明として使っている吠え立てるドラゴン――議員にはそれぞれ自分の身分を表すシンボルマークがある。

 アッシュのシンボルマークをその身に持つのは彼の直属の部下だけだ。

 女はさらに自分の手に持つドックタグを差し出した。

 血で汚れたそこには金でドラゴンが彫られたルビーが嵌められている。アッシュのお気に入り――私用で使うエージェントの身分示すものだ。一般の本部エージェントよりもさらに身分としては上だ。

「私は、命令でマスターレギオンを追いかけていました」

「・・・・・・国をまたいだエージェントか。生きたのを見たのははじめてだ」

 物珍しげな椿の言葉にエージェントは顔色一つかえない。

「名前はエージェントでいいのか」

「はい。この場はあなたがたに従います。接近戦などは得意ですが、それ以外はブラム・ストーカーの力が使えます」

 冷静な言葉に椿は、深く嘆息した。

「承知した。アイシェ、対応するぞ。お前たちもわんわん泣いている暇があれば動け」

「え、けど」

「どうするんですかぁ」

「さすがに、私たちの乗ってきた車両にこの場の全員を移すのは難しいです。隊長」

 三人の言葉に椿は頭をかいた。

「わかっている。だから、後ろの車両に全員を移動させ、その車両を切り離す。その上で僕たちの乗っていた車両で引っ張って速度を落として止める」

「しかし、そうすると、残った車両の速度があがります」

「それは僕たちがなんとかして止めればいい。あとは最終地点にいる支部長に連絡して、最悪の事態に備えさせろ。時間がない。部隊に命令と指示は、アイシェ、君がしてくれ」

 椿の言葉にアイシェの顔が強ばった。

「隊長はどうするんですか」

「・・・・・・ブレーキをとめられないか試す。無理なら出来るだけ減速させる。オーヴァードだ、死んだりはしないさ」

「隊長! しかし」

「時間がない。お前がもたもたしていると僕が死ぬ可能性が高くなるぞ。前はするべきことを出来るだろう」

 アイシェが唇を噛み、激情を飲み込むと背を向けて歩き出し、マイク越しに部下たちに命令をしていく。

「きぃ、蟲で減速をさせる。瓶をすべて開けろ。侘助、お前は自慢の牙で乗車の切り離しを手伝え。エージェント、お前もブラム・ストーカーなら血でものを作れるなら、この走り続ける車両のスピードを落とすのに力を貸せ」

「死なない程度でいいなら、血を流して車両に粘着させられると思うけど、私一人だからたいした量はならないわよ?」

「構わない。さて、お前たちにも手伝ってほしいのだが?」

「あ、はいっ。なにすればいいです。私、この腕があるから力仕事なら」

「ブラックドックだな。だったらブレーキが本当にきかないか試してこい」

 ブラックドックは雷を操るというが、それはネットワーク、電気類に関してかなりの適応能力を持っている。

 マリンスノーが最新型であるならば、運転操作は機械にかなり頼っているはずだ。

 椿が上に立つ者らしい傲慢な命令を下す。それに今反論を誰もしないのはここで一番合理的に動けるのが彼だからだ。

「あの、待ってください」

 ちよが少女を抱えたまま椿に声をかけた。

「この子を避難させてあげたいんですが・・・・・・一般人の人たちと一緒に、そのメガネのお姉さんにお願いを」

「それは出来ない」

 鋭い声で椿は言い返した。

「どうしてですか!」

「マスターレギオンが連れていた。ただの人間ではないだろう。その娘からはレネゲイドウィルスの反応がある」

 オーヴァ―ドには他者がオーヴァ―ドか否かがある程度までならばわかる。

 自らすすんで隠していない限りは、体内のレネゲイドウィルスが他のウィルスが近づくと反応して、活性化するのだ。

 出会ったときに感じたウィルスの活性化。それに海のようなワーディングが少女の涙とともに現れたことなど不可解な点は多い。

「けど、じゃあ、どうしたら」

「守りたいならばお前が守れ」

 突き放す言葉にちよは反論出来なかった。

 至極全うだ。

 ここでちよだけ何も出来ない。

「待ってよ。私、ちよがいないと力がうまく使えないの。ブレーキを止めろっていっても、ちよが計算してくれないと出来ないよ」

 かすみが、いつものようにちよを助けてくれる。

 ここにかすみとちよがきたのは二人で一人前だからだ。

 かすみは力のコントロールがうまくない。戦闘で力任せに殴る、破壊する、だったら問題はないがそれ以外のことはてんてだめだ。そんなかすみのためにちよはノイマンとして優れた頭脳で演算計算を行い、ソラリスの力で思考を同調してサポートする。とはいえ誰にもというわけではない。ちよがそんなことができるのはかすみだけだ。

 幼馴染で一緒に覚醒した、その絆の成せる技だ。

「だから、ちよ、ついてきてよ」

「う、うん。けど、この子は」

「私らがぎゅうとすればいいじゃん? 絶対に成功させるから」

「・・・・・・うんっ」

 どういうことになっても大丈夫といいたげなかすみの笑顔にちよは頷く。

「では、作戦開始だな。はやくいけ」

 椿が口にし、懐からありったけの瓶を取り出してたたき割った。

 そこから溢れる蟲、蟲、蟲――彼らがわさわさと動いて小さな隙間から外へて出ていくのに、ちよとかすみは声にならない悲鳴を飲み込んで、急いで運転席に向かった。

 通路でかすみがちよに笑いかける。

「できることをしなきゃね」

「う、うん」

 が。

 運転席は、血の海だった。

 仕事に準じていただけの一般人である運転手は腹から裂けて真っ二つにされている。乱暴な力業での殺害に思わず二人の顔が歪んだ。だが、ここでためらってもいられない。

 かすみが、ごめんって口にして死体をどかして血塗られた運転席を見た。ご丁寧にたたき壊された機械は見ただけではちんぷんかんぷんだ。

「ちよ、手伝って」

「うんっ」

 ノイマンの力で、すぐさまに理解、分析、解読、――頭がフル活動する感覚は、映画のコマ割りみたいに一瞬、一瞬がとても長く感じる。

 ちよはそろそろと手を伸ばすと、かすみが手をとってくれた。

 ソラリスの力――自分の体内で科学薬品を生み出し、伝播させる――かすみの精神に自分の思考を落とし込む――ちよはそれだけに意識を集中させる。

 かすみはあらがうこともなく、ただ受け入れてくれる。

 雷撃が鉄の両手で唸る。

 かすみが両手で機械に触れ、ちよが干渉を行う。

 沈黙が広がるなか、二人の額から汗が噴き出す。

 ぎぃぎぃと鉄の音がする。

 ふっと、なにかが軽くなる――連結の切り離しに成功したのだと理解すると同時に軽くなったぶんだけ加速が早まる。必死にブレーキをかけるが、あまりにも早すぎる。

「っ、ちくしょうおおお」

 我慢できずにかすみが咆哮し、全身に銀の雷撃が光を纏う。

 あまりの力にちよは尻餅をついた。集中も切れて、呆然と見る先には光の柱のようになったかすみが立っている。

「かすみ、だめっ」

 触れれば痛みが走るがちよは構っていられない。

「そんなことしたらかすみが死んじゃう」

 悲痛な声にかすみが、ようやく力を停止させた。

 ぷすぷすと焼け焦げた姿で、泣き出しそうなかすみはちよを見つめる。

「だって、だって、止まらないよ、これ。ブレーキをかけてもっ」

 ブレーキはかけた。

 予想以上にスピードが出ているから、めいいっぱいブレーキをかけると横転の危険性があるため、ゆるやかなそれはたいした抑制しかできない。

 このままだと確実に突っ込む。

 ちよのノイマンとしての結論をかすみは無意識にも受け取ったのだ。

 と

「よくがんばったな。お前たちは衝撃に備えろ」

 絶望した二人の耳に――ちよがつけているイヤフォンから聞こえてきたのは支部長である高見の声だ。


 深海みたいな宵闇の空の下。

 本来、金曜日となれば、人でごったがえす駅のなかはとても静かだ。

 MM地区のUGN支部長である高見が、本部の伝達により駅の一部を閉鎖し、さらにワーディングを展開したおかげで人払いは完璧だ。

 マスターレギオン。

 各国でテロ活動を行う男の捕獲任務となれば、支部総出であたる。

 緊張している支部員たちのなかで高見は仕事服――メイド服のまま仁王立ちしていた。

「まったく着替える時間くらいは欲しかったぞ。まさか仕事服でここに来ることになるとはな」

 MM地区の支部は表の顔は喫茶店だ。

 赤字出ない限りはどんな支部もUGNからは許可が下りる。表の顔として喫茶店、カラオケボックスといった密室で話せ、若者がはいっても不思議がられないとして支流だ。

 カワイイものが好きと断言する高見は自分の支部をメイドと執事のいる本格化喫茶店として営業している。

 本人もメイド服を着て仕事場に出る。なんせ、メイド服はカワイイ。

「仕方ないよぉ、三時頃にわかったんだろう? そのあと任務頼んだり、仲間呼んだりとか着替える時間ないよぉ」

「戸口、貴様はいつもながら緊張感のない」

「あははは~。私はたいして役に立たないしね」

 ボブヘアに、とろんとした目の下には隈が浮かぶ白衣の女は戸口。UGNに属する科学者だ。

 オーヴァードとしての能力は皆無だが、その分、彼らは知識でサポートをしてくれる立派な裏方だ。今回は相手が相手だけに科学者たちも来ている。

「何かあれば貴様の知識が必要だ」

「ジャーム化していたり、レネゲイド値が高くなっちゃった人とかいないといいねぇ」

「・・・・・・そうだな」

 高見は静かに答える。

 マスターレギオンのテロは各地で強力なレネゲイドウィルスを発生させ、周りの人間たちをジャーム化あるいはオーヴァード化させていると聞き及んでいる。そのなかには死者も出しているとも聞く。

 そんな男がどうしてわざわざ小さな島国にやってきたのか疑問は尽きないが、今は対処するしかない。

「支部長っ」

 元気な声がしたのに振り返ると、支部員の一人である大賀輝生だ。

 人なつこい笑顔と青みかかった黒髪、くりくりの瞳と愛嬌たっぷりだが、その戦闘能力は恐ろしいほどの破壊力を持つキュマイラ。

「かすみとちよちゃんたち大丈夫ッかね」

 同期の二人のことが気になるらしい大賀に高見は微笑んだ。

「平気だろう。あの二人なら」

「大変だよ~」

 話に割って入ったのは戸口だ。

「いま、通信がきたよ。マルコ班から、ブレーキ壊れたって」

「は、なんのだ」と高見。

「マリンスノーの」

 のんびりとした口調で戸口が答える。

「・・・・・・嘘だといってくれ、あれがつっこんでくるのか?」

「かすみたちが止めようとしてるけど、難しいみたい。あともうすぐこっちにくるってさ」

「馬鹿者が」

 高見は悪態をつくと、スカートをひらりと揺らした。

「まったく、鉄の塊と喧嘩なんぞできるか。しかし、かすみたちがいるのであれば止めるしかあるまい」

 神妙な顔で悪態と心配を呟く高見に大賀がやる気を出して片腕をあげた。

「任せてください。オレ、がんばっちゃいますよー!」

「こら、まてっ」

 マスターレギオンと戦うと、やる気を出していた大賀が遠くに見えるマリンスノーを確認すると、駆け出していく。

 大賀の能力の一番は変身だ。

 それも巨大な四つ歩行――種類としてはメガテリウムという大型のナマケモノになることだ。

 ふわふわの姿でつっこんでいくのは、なんともユーモア満点であるが、恐ろしい破壊力があることは支部員たちみんな知っている。

 大賀が両腕を差し出して力任せに止めようとする。かすみたちの力もあってだいぶスピードは落ちているが、それでも鉄の塊と戦えば普通ならば力負けするのはわかりきっている。

「あいててて、あいててぇ。わーん、やばい、やばいよー。このままだとオレ、挽肉ハンバーグになっちゃう!」

 つっこむ前に気がつけ、阿呆と高見はため息をついた。

「通信から、かすみたちが泣いてる声がするよぉ~」

「まったくこれではいつものアレではないか」

 ヒールで地面を叩き、スカートを揺らす。なかに隠してある折りたたみ式のUGN製の鉾を素早く組み立てた高見は苦笑いする。

 手によくなじんだ武器をくるくると回転させ、高見は片手を戸口に向けて差し出す。

「かすみたちに私の声は聞こえるか?」

「聞こえるよ~」

「ふむ。では、見栄をはるか」

 マイクに向けて言葉を放ち、高見は駆け出していく。

 恐ろしいほどのスピード――ハマヌーンの力を合わせ、自分自身がまるで放たれた矢にして。

「大賀、横に逃げろっ」

 その声に限界がきた大賀が変身を解いて人に戻ると、ふらついて地面に倒れた。

 マリンスノーに突っ込んだ高見は手の中の鉾を放つ。

 かん、と鉄と打ち合う。

 矛先が突き刺さる。

「はぁ!」

 さらに加速。

 乗っているかすみとちよ、正面からぶつかっていった大賀によって幾重にもスピードが落ち、減速したマリンスノーに高見がぶつかる。

 ぎっと音をたてて火花を散らしてさらに減速、減速、減速・・・・・・停止。

 マリンスノーに突き刺さった鉾は砕けてしまっている。いくらUGN製の特殊合金といえ、無理をさせすぎた。

高見の背には、もうあと五センチほどでアスファルトの壁があった。もし、あのまま止まらなかったら挟まれて潰されていたところだ。

 本当にぎりぎりの停止に高見は息を吐き、首を軽く捻った。

「だいじょうぶかーい?」

 のんきな戸口が顔を出す。

「私の気に入りの鉾が壊れた。スペアを頼む。あと腕と足を二回ほどもっていかれたが、なんとかなった。いや、今、片腕がやられているので三度目か。うむ。鉄の塊は強いな。喧嘩をするものではない」

 肉体が限界を迎えてもリザレクトと加速を同時に行いながら、目の前のマリンスノーにつっこんだのは、高見の豪胆な性格のおかげだ。

 武術家として来る敵の攻撃をすべて受け止めてきた壮絶な人生によって培われた強さだ。

 高見は駅へと降り立ち、マリンスノーのドアが開いたのに一瞥を向けた。

「さて、蛇が出るか、だな」

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