4.二人の手は離れて。

 ゴーカートを終えて、カケルとギックーはアリアーシラとギアナの元に戻ってくる。

 デッドヒートを制したギックーはカケルに、「無免許とは思えない走りだったよ」と言い、カケルは「ギックーさん、本当に速いです」と答えた。


「すみません」ギックーはギアナに謝った。「ほったらかしにして、つい夢中になってしまって」


「気にしないで」ギアナは相変わらずの笑顔で答えた。「夢中になってるギックーを見ているのも、楽しかったわ」


 ギアナに言われて、ギックーの顔が今日何十回目かの蕩け顔になる。蕩け顔を必死に普通に戻しつつ、ギックーがギアナのことを見ると、ギアナは遠くのほうを見ていた。思わずギックーもその方向を見る。


 そこでは、ソフトクリームが売られていた。


「食べますか?」


 ギックーが聞くと、


「はい」


 ギアナは嬉しそうに答えた。


 四人はソフトクリームが売られている屋台の前まで移動する。

 それぞれがソフトクリームを頼み、受け取り、会計する段になってギックーが財布を開くと、カケルも財布を開いた。それを見てギックーが、「こういうときは大人にカッコつけさせるもんだ」と言うと、カケルは意味を理解して財布をしまった。


「いただきます」


 ギアナはソフトクリームを口にする。先ずはバニラの風味が、そしてそれから牛乳の甘みが、どこか微かに感じる玉子の甘みと混ざりあいながら、喉へと落ちていく。


「ずっと、食べてみたかったの」


「地球のソフトクリームを?」ギックーは聞いた。


「はい。この白い渦巻きを食べたら、どんな味がするんだろうって、ずっと想像してた」

「どう?」

「思っていたよりずっと美味しかった」


 満面の笑みを見せるギアナを、少し惚けながら見つめるギックー。

 ぽたりと、シャツの裾にチョコレートのソフトクリームが垂れた。

 それを見たギアナは、「あら、いけない」とハンカチを取り出すと、ギックーのシャツの裾を拭いた。


「だ、大丈夫ですよ」ギックーは慌てる。「ハンカチが、汚れてしまう」


「あら」ギアナは微笑む。「シャツが染みになるより良いわ」


 そう言われてギックーは、顔を赤くしながら、遠慮なくシャツを拭かれることにした。そして、ギアナの手の動きが止まるのを見計らって、言った。


「あの——」

「もうこれで大丈夫よ」

「——ギアナ?」

「はい?」

「また会って、いただけますか?」


 溶けかけのソフトクリームが再び垂れないように気を使いながら、ギックーはギアナに聞いた。ギアナはそんなギックーの姿が、ちょっと場違いなセリフがおかしいと思ったが、それ以上に彼の言葉が嬉しく、また、彼の誠実さをそこはかとなく感じて、自然と笑みがこぼれた。


「もちろん。私もまたあなたに会いたい、ギックー」




 ソフトクリームを食べ終えて、さあ、次はなにに乗ろうか、というタイミングでその音は鳴り響いた。


 ビービービー!


 カケルとアリアーシラは、ギックーのことを思い、残念そうな表情でブレスレットを見た。

 通信端末を手にしたギックーは、心から残念で堪らないといった表情で、ギアナに「ごめんなさい」と言ってから、端末に応答した。


「兄さん?」


 端末から聞こえた声はリゴッシのものだった。リゴッシは今日のギックーの状況を良く理解している。そのリゴッシが連絡を寄越すということは、緊急な状況を表しているとギックーは直ぐに悟った。


「大変なんだ」

「アポイントメントか?」

「うん。今回確認されたアポイントメントは、一ヶ所に集中型の20。でも、それだけじゃないんだ」

「何だ、どうした?」

「とんでもない数のミノ・タルタロスの軍勢が集結している」


 リゴッシからそう伝えられたギックーは、思わずギアナのほうを見た。その表情は、ギックーがここから立ち去らねばならない状況であることを語っていた。その表情を理解したのか、ギアナは寂しそうな影は纏いつつも、微笑みで返した。


 ごおっ。


 不意に強い風が、ギックーの髪を、衣服を乱す。風の主は、カケルとアリアーシラを迎えに来たヘリであった。


「私も乗せてくれ」


 ヘリに乗り込もうとするギックー。


「ギックーさん」

「ギックー」


 カケルとアリアーシラは、あなたはここに残れば良いのにという言葉を飲み込んだ。地球と火星のゼールズが同盟を結んでいる以上、ギックーがただ、ここで最愛の人と居たいなどと言う我儘は、立場上許されない。大人の事情に、カケルとアリアーシラは言葉が出なかった。


「ギックー」


 不意にふんわりと、ギックーの背中を抱きしめたのはギアナだった。

 彼女の行動にギックーは、驚いたように、だが嬉しい気持ちで目を見開き、それから今度は、苦渋の決断をするかのように目を強く閉じ、天を仰ぐ。そして目を開くと、ゆっくりと優しくギアナに向き直った。


「私は、行かなければなりません」

「何事か、なさねばならないことがあるのね」

「はい」


 羽のように、柔らかくギックーはギアナの手を包む。ギアナは悲しそうに、だが、笑顔を浮かべた。


「分かったわ、だけど——」

「「きっと、また——」」


 ギックーとギアナは同時に同じことを言おうとした。だが二人の「また会いたい」の言葉は、ヘリから発せられた風と、音が、無情にもむしり取って行く。

 上昇するヘリ。離れてしまう二人の手。

 見る見るうちに二人の距離は、遠ざかって行く。

 今日はこんなにも楽しかったのに。

 また会えると約束したのに。

 このくらいの寂しさなど、耐えられる大人なのに。


 なのに何故か、二人の頬を、すうっと一筋の涙が流れた。

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