第2話「マリン、さかなの旅・後」
1.笑わないで聞いてほしい。
「計器が異常な数値を?」
ラインマシン格納庫で、花音から報告を受けた神宮路がゴオラインを見上げる。
「はい。カケル様がゴオライン搭乗中、とある言葉を発せられたときに通常時では考えられないほどの共鳴状態を感知しました」
「『その手は桑名の焼きハマグリ』と、『恐れ入谷の鬼子母神』か――」
真顔でそう呟く神宮路に、耐えきれなくなった来花が「ぶふっ」と噴き出した。来花の態度に、神宮路は顔を赤くして慌てる。
「いや、今のは違うのだ、私が言いたくて言ったのではなく、カケル君が言った言葉を復唱しただけであって——」
見れば花音も赤い顔をして、口を真一文字に結び、笑いを堪え震えている。抱えたタブレットPCと、豊かな胸につけられたラインマシンチームバッヂが当たり合って、細かくこちこちと音を立てた。その様子にさらに笑いを誘われた来花が、お腹を抱えて爆笑する。つられて笑いを我慢出来なくなった花音が、しゃがみこんでまで笑いを噛み殺す。
「君たち——」
世界経済をも揺るがし、地球の救世主とまでなった男、神宮路が、かつてないくらいに嫌な汗をかきながら立ち尽くす。
何という恐ろしい単語だ。私を、ここまで追い詰めるとは!
ひとしきり笑った花音と来花の息はまだ荒く。神宮路の嫌な汗はまだ冷たく。だが、花音は、大きく深呼吸すると、報告を続けた。
「その他に、三人のパイロットの会話中にも共鳴状態の異常値は検出されています。カケル様たちの話によれば、ラインマシンが勝手に動いたような感覚を認識したそうです」
「そしてさらに」来花が呼吸を整え、咳払いする。「伝さんがグランラインで使った、あのダイナミックな投げ技ね」
「『大雪山お○し』か——」
答えてから神宮路は、二人の様子をうかがう。そして、今の単語は大丈夫なのか、とホッと胸を撫で下ろした。
花音は話を続ける。
「大雪山お○し——。ロボットアニメに出てくる技です。それをグランラインが再現したことは驚きですが、伝様の口から発せられたというのが更に驚きです」
「まあ、口から出たのが、ロボットオタクのカケルか樫太郎だったらそんなに違和感はないんだけど」
来花の発言に二人は、こくりと頷く。
神宮路は、再度ラインマシンを見上げ、見渡した。
「花音くん。ゴオライン、クウライン、グランラインに見られた、いずれかのパイロットをいずれかのマシンは拒否してしまう現象、ツインラインでは見受けられたかね?」
「いいえ」
花音は即答する。
「ツインラインでは確認されません。また、世界各国及び国連地球防衛軍の所有するEFからも、そのような事例は確認されておりません」
「では、この3機のラインマシンだけか」
「そのようです」
今一つ出口の見えない会話に、来花はため息を吐くと、小さく両手を肘から上にあげた。
「両者の違いといえば、エナジウム合金の含有量とパイロットのエナジウム因子等級——それ以外に何かあるかしら?」
「ううーむ」神宮路は考え込む。「やはり、機体のエナジウム合金率に何かがあるのだろうか?」
「現状——」花音は言った。「機体に対するエナジウム合金率と、その純度以外に想定出来る違いはありません。我々が使用しているこの、エナジウム合金は、まだまだ未知の金属なのかもしれません」
「そのようだ。今、答えを急いでも明確なものは出ないだろう。花音君、来花君、以降も引き続き注視してくれたまえ」
「「了解」」
神宮路はもう一度、ラインマシンを見上げる。謎の現象は問題ではあったが、不思議と、ラインマシンからは不安や心配といった嫌な感覚を感じない神宮路であった。
○
梅雨の晴れ間の日曜の午後、カケルと樫太郎はオタクの聖地と呼ばれる街に降り立った。最近、この街は観光客が激増している。激増している内訳は外国人観光客だけではなく、『異星人』である。
街並みを見ながら、カケルは言った。
「ここの風景も、大分変ったな」
「ああ——」樫太郎はメガネを直す。「衛星軌道上に、宇宙連合機構が設営した臨時の宇宙港が出来た。異星人はそこからどんどんやってくる」
「うん。そのせいでファーストもルゥイちゃんも、大分忙しいみたいだ」
「ルゥイちゃん!」
名詞に反応し、空気と自分の両肩を抱きしめる樫太郎。彼なりの好きなものに対する愛情表現なのだろうが、カケルは素直に気持ち悪ぃなと思った。
「地球とゼールズの戦争は、全宇宙に対してかなりの宣伝になったろうからね。これからも、アポイントメント戦争があるごとに観光客は増えるんだろうなあ」
気持ちの悪い樫太郎を放っておきながら、カケルは話す。樫太郎は変なポーズを解除して、再び眼鏡を直した。
きらりと、レンズが陽の光を反射する。
「良いことだ、非常に良いことだ。日本が、地球が、たくさんの観光客を獲得することによって、地球外貨が増える。地球外貨が増えれば景気が良くなる。景気が良くなれば神宮路財閥が儲かる。そうすりゃあ、おめぇ、俺たちの給金もどんどん上がるって寸法だ。お金持ちになったらどーしよっかなあ、あれもこれも買っちゃえるなあ、うきうきするなあ」
くねくね身をよじる樫太郎を、やっぱり気持ち悪いなとカケルは思う。だが、確かに樫太郎の言うことには一理ある。そして、お金のことに関しては、カケルも気になっていることがあった。
「おい、お前」
カケルは樫太郎の頭を押さえて、MPを削りそうな踊りを止めさせる。
「なんざんしょ?」
「お前、神宮路財閥から、貰ってるよな?」
カケルは指で、『金』の形を表す。樫太郎はそれを確認すると、真顔になった。
「貰ってる」
「そうだよな。どのくらい、貰ってる?」
「サラリーマンが引くくらいの額だった」
二人は顔を見合わせて、ニヤァと笑う。そして直ぐに真顔に戻って、樫太郎は言った。
「管理は、どうしている?」
「管理か!」
カケルは痛みを堪えるような渋い顔になった。
「——母さんが、成人まで管理することになった」
「お前もか!」樫太郎は額を叩く。「俺も母君に全権握られてござる」
母。それは思春期の少年にとって、ときとして立ちはだかる最大の壁の一つである。優しく、厳しく、大いなる愛をもって場合によっては理不尽も振りかざす者、母。カケルと樫太郎も、例外ではない。いやむしろ、事、金銭に限ったことで言えばこの二人に対してはただただ英断じゃないかと思われる。
「だから相変わらずの貧乏生活よ!」
カケルと樫太郎はそう言って、肩を組んで「わっはっは」と笑った。
○
目的地に向かう道すがら、カケルは雑踏の人を見て思う。
以前、アリアーシラが言っていた、この星を、私が変えてしまったんじゃないかって言葉。彼女はあのとき海で、そう言いながら涙ぐんでいた。
確かに、この星は変わった。地球外の宇宙、その情報は、この星の景色を変えてしまっている。この雑踏の中に、地球以外の人はいったいどのくらいいるんだろう。地球人とあまり変わらない種族の人は、見た目ではほとんど分からない。たまに地球人と違う外見の異星人がいて、驚く人はいるけど、それも一時のことだ。皆、そういうものだと理解し、驚かなくなってきている。
これは変化だ。地球外に触れたこの星の。
でも、日常は驚くほど変わっていない。驚くほど、以前の通りだ。俺は学校に行き、樫太郎に、鈴に会う。そこにアリアーシラが加わっただけだ。たまに地球への侵略者と戦うためゴオラインには乗るが、日常は、ほとんど変わっていない。
いや待てよ、アリアーシラが来て、大分俺の日常は変化してないか?
なんか、家の形から変わりまくってるような気もするが。
「——おい」
ぼんやりしていたカケルの首根っこを、樫太郎が掴む。
「お前、人と一緒にいるときに考え事か?一人のときにしろよ。それに、危ねえ」
言われてカケルは周りを見る。樫太郎が捕まえてくれていなかったら、赤信号を堂々と渡ってしまっていただろうことに、カケルは気がついた。
「悪い、助かった」
そう言いながらカケルが、赤信号にしては前に出過ぎた、空中に浮かぶ左足を引込めようとしたときだった。
「危なぁーいっ!」
「だはーっ!」
横からの猛烈なタックルに、カケルの口から変な声が漏れる。突如、現れた黄色い人影に、カケルは横倒しにされる。
「危ない!赤信号は渡っちゃダメだってば」
そう言ってカケルに注意する者は口を尖らせる。いや、最初っから筒状に突き出している。
驚くカケルの瞳に映るのは、黄色い帽子をかぶり黄色い服を着た『イーイ』の姿だった。
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