2.儚い泡のように。

「アメリカの、この大胆なラインはセクシーだよね」


 本を覗き込みながら、カケルは言う。


「いやいや、このロシアの大振りに見えて繊細な所もなかなか」


 同じ本を覗き込みながら、樫太郎は言う。


「でもやっぱり」二人は同時に言う。「日本のが一番だよねえ」


 教室のカケルの席で雑誌を見るカケルと樫太郎を見ながら、鈴は「やれやれ」とため息を吐く。


「あれで、男の子向けの、ちょっとHな雑誌でも見ているなら良いんだけどね」


「そうですね」と答えながらアリアーシラは、カケルと樫太郎が見ている本の見出し、『世界のエナジウムフレーム』と書かれた文字を見る。


「あれは」鈴は、興奮気味に鼻息の荒いカケルと樫太郎を見る。「正常な男子高校生の行動じゃないわね」


「そうですね」アリアーシラは、カケルが自分にも、あのくらい興奮してくれることは何かないかと考える。


「ねえ」鈴はアリアーシラを見た。「カケルはどうしようもないくらい平常運転だけど、あんたたち、上手く行ってるんでしょうね?」


 アリアーシラは鈴に、珍しいことを聞きますね、と思いながら、少し意地悪に返してやろうと思った。


「お鈴ちゃんと樫太郎君ほどじゃありませんけど?」


 ニヤリと笑うアリアーシラに、鈴は首と手をぶんぶんと横に振る。


「ないないないない!それだけは無い!絶対に!」


 そのとき、ガタリと椅子を鳴らして、樫太郎が立上がった。

「樫太郎?」あまりに真面目なその顔に、鈴はちょっと驚く。


「ない」


 樫太郎は力強く言った。


「ない。ナッシング。もし今の話の私の相手がアリアーシラちゃんであったならば、へらへらとニヤつく返答も出来るだろう。だがしかし、お鈴。お鈴が相手ではそのニヤつきも遠ざかろうというもの。高校生活での恋愛、それは、一見通過点のように見えて、そうでなくなること少なくない。つまり、高校生活での彼女が、その後の人生の伴侶になるという可能性はないものではない。そんな僕の大切な1ページを埋めるのが、お鈴!?そんなことはあってはならない。ちょっと最近、サンドイッチが上手になったからって調子に乗っているところが可愛くもあるが、基本はお鈴。百害あって一利なし。この樫太郎の人生において——」


 そこまで言った樫太郎の右頬に、鈴の放つ伝説のカンガルージョルトが突き刺さる。さらに鈴はぐらつく樫太郎の首に腕を掛け、高角度のネックブリーカードロップを決める。樫太郎はかなりの勢いで床へと叩きつけられた。

 ずんぐりむっくりした体で機敏に走り、滑り込んでくるゴリ松。ネックブリーカードロップからそのままフォールの体制に入った鈴の、樫太郎に対するカウントを、素早く取り始める。


「——1、——2」


 バン!バン!と床を叩いてゴリ松が、「3」と言いかけた瞬間、樫太郎の肩が奇跡的に持ち上がる。ゴリ松の床を叩く手が、すれすれで滑る様に宙へと舞った。


「カウント2・97ァー!」


 クラス中から歓声が巻き起こり、地団駄を踏み鳴らす。

 悔しがる鈴を見ながら、ゴリ松はハッと気が付いた。


「何やってんだ!お前らー!」


 ゴリ松は怒鳴りつけるが、カケルに「自分も乗ってたくせに」と冷ややかに突っ込まれる。


「うるさい!頼光!お前は二根を保健室に連れて行け!」

「はあーい」


 カケルは樫太郎に肩を貸しながら、「今日のはお前が悪い」とポツリと言った。


「首は、首は繋がっているか!?」

「繋がってるよ樫太郎」


          ○


 屋上で一人でカレーパンを食べながら牛乳を飲むゴリ松に、「今朝はごめんね」と手製のサンドイッチをおすそ分けする鈴。陽の光を背中に背負った教え子は、その日はいつもより、心理的にも物理的にも輝いて見えた。


「いつもホームルーム邪魔してごめんなさい」


 ほかの生徒よりも背の低い、ツインテールのこの少女に、ゴリ松はいけないと感じながらも、この瞬間だけときめきを感じてしまう。

 ああ、いつも女生徒からは「うるさい」だの「暑苦しい」だのしか言われていない俺が、こんなに優しくされるだなんて。ああ、いつもは面倒だと思っていた蓮尾が、こんなに優しい子だったなんて。


 先生、感動だなあ。


「ありがとう。だがこれは、先生とお前だけの秘密だぞ」


 鈴の姿はもう無く、透き通るような青空だけが広がっている。頬を赤らめながらゴリ松が言ったその言葉は、誰の耳に入ることなく消えて行った。


 ああ、恥ずかしいなあ、とゴリ松は思い、中年の淡い恋心はそれきり泡のように無くなってしまうのである。


          ○


 おにぎりとスコッチエッグ、フライドポテトを前に、カケル、樫太郎、鈴の三人はごくりと唾を飲み込んだ。


「お弁当が茶色いことに、こんなにも惹かれるだなんて」

 ——蓮尾鈴談。


「イギリス料理を、甘く見ていました」

 ——二根樫太郎談。


「肉、玉子、芋。それだけのことなんです」

 ——頼光カケル談。


「さあ召し上がれ」


 両手を広げるアリアーシラ。早速、カケルがスコッチエッグを口にする。

「!」食べたカケルが目を閉じて味わう。


「カリッとした衣。心地よい歯触りの次に押し寄せてくる、肉の旨味。そしてそれを包み込むように広がる、これは玉子——」


 幸せそうにスコッチエッグを食べるカケルの横で、鈴がフライドポテトを口にする。


「あたしこれ大好きなのよね」口にした鈴が目を見開く。「これ高級なやつじゃん!お芋しっとりふかふかぁー。肉厚で美味しい」


 フライドポテトの旨味にやられている鈴を見ながら、やはり婦女子は芋か、と余計なことを考えつつ、おにぎりにかぶりつく樫太郎。その眼鏡が陽光に光った。


「中にそぼろが!甘しょっぱい鶏肉のそぼろと、玉子のそぼろ、ときどき感じる食感は細かく切ったピーマン!ご飯、鶏、玉子、ピーマン、ご飯、鶏、玉子、ピーマン——無限に食ーえーるーぞー!」


「良かった」三人の表情を見て、アリアーシラは微笑む。「皆さん、口の中が油と塩分で重くありませんか?」


 手際良くアリアーシラは、三人分の紙コップに緑色の透明な液体を水筒から注ぐ。三人は嗅ぎ慣れた香りに、喉が渇くのを感じた。


「緑茶です。どうぞ」


 ——完璧すぎる!


 三人は衝撃を受けつつも、お茶を飲み、ぱくぱくとご飯を食べる。その光景を眺めながらアリアーシラは鈴の作ったサンドイッチを口にして、また美味しくなりましたねと感心した。


          ○


 カケルと樫太郎が在籍する写真部は、部員数たった5人の、いわゆる弱小部だ。特に必須としている活動もなく、放課後も部室には人がいたりいなかったりする。


「カケル?」


 フィルムから現像した写真の映りを、ルーペで確認するカケルに、樫太郎は言った。


「最近、付き合い悪いなと思ってるだろ?」


 カケルは写真とルーペから目を逸らさずに答えた。


「思ってるよ」

「そうだよな」


 樫太郎は古ぼけた椅子の背もたれに深くもたれる。ぎしりと、椅子が鳴った。


「もう少し、もう少しで完成するから」

「何のことか分からねえな」

「分からねえよな、でももう少し、分からねえでいてくれないか?」

「まあ」カケルは小さくため息を吐く。「悪いこととかやってるわけじゃないんだろ?」

「そりゃあ、もちろん!」

「じゃあ、分からないでいてやるよ」

「おう、よろしく頼むぜ」


 もう一度小さくため息を吐いてから樫太郎を見たカケルに、樫太郎はニカッと笑う。


「ピントが甘い」

 不意に聞こえた声に、二人はビクッと驚いた。


「主体性がぼやけている。パースがきつ過ぎる。ボケに頼り過ぎ」


 カケルの写真を見ながら酷評する、小太りな眼鏡の男。


「先輩」


 カケルに言われてその上級生は、「ふんっ」と鼻を鳴らす。


「いつからいたんですか?」

「ずっといたよ。君たちぜんぜん気付かなかったけど、僕はずっといたね!」


 何か先輩の面倒臭いアピールが始まろうとしたときだった。


 ビービービー!


 カケルと樫太郎のブレスレットがけたたましく警報音を発する。それを確認したカケルと樫太郎は、大きく頷き合った。


「行って来る」笑みを浮かべるカケルに、「行って来い」と樫太郎は、笑みで答えた。


「何?何だか格好良いね君たち」先輩が興味深々に聞いてくる態度に、樫太郎は興味なさそうに答えた。


「そうッスか?」

「良いと思うなあ。ところでさ、今から公園に撮影でもしに行かない?」

「今日は無理ッス」


          ○


「カケル君!」


 階段を駆け上るカケルの後を、アリアーシラが追いかける。調理部のエプロン姿が可愛らしい。

 カケルはアリアーシラに速度を少し合わせつつも、階段を駆け上る。上った先の屋上のドアを開けると、強風が二人に吹き付けた。


「乗って!」


 腕でガードしながら風の中心を見ると、大型ヘリに乗った来花の姿があった。


          ○


 ラインフォートレスの艦橋で、集まったカケル、アリアーシラ、伝の三人を前に神宮路が言う。


「現在、地球側に残留するアポイントメントの数は7個。そして今回の戦闘で着弾したアポイントメントの数は8個。ゼールズ側に残るアポイントメントの数は20個だ。つまり今回の戦闘で、6個以上のアポイントメントを破壊することが出来れば、残り20個分の戦闘を行わずして、我々の、地球の勝利が確定する!」


 神宮路の話に、大きく頷く三人。


「勝とう。勝ってこの戦いを、終わりにしよう!」

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