2.少女、そしてアフロ。

 戦闘開始14分前——。


「タイラード、制御効きません!」


 ゼールズ戦艦の中で、スーツ姿の男性戦闘員たちが右往左往する。


「バカな!戦闘態勢にはなっていないのに、何故!」


 はらり。


 男の濃いブルーの髪が、抜け落ちていくのがまるでスローモーションのように見えた。


「ぎゃああああ!」


 悲鳴に反応してそちらを見たとき、さらに自分の髪が大量に抜け落ちていくのが見えた。

 恐怖に震えながら、髪の毛を触る。

 ごそっと髪が抜けたのを感じながら手が触れた感触は、髪ではなく頭皮だった。


「ああああああ!」


 男が悲鳴を上げる。抜け落ちた髪は、ぞぞぞと動き、タイラードの中へと入って行った。


          ○


 戦闘開始1時間1分前——。


 時刻はまだ夕方であったが、この廃村は随分と薄暗い。


「あんな話を聞いた後で、この戦場は嫌すぎです」


 アリアーシラはクウラインのコックピットで、頬をぷうっと膨らませる。


「カケル君は怖くないんですか?」

「禿げるのは怖いけど、怖い話は割と平気なんだ」

「私は禿げるのは怖くないですけど、怖い話は苦手です!」


 カケル君は理不尽だと、半ば怒っているアリアーシラに、伝は聞いた。


「君たち、怖いだの怖くないだのって、何かあったのかい?」

「聞いてください、伝さん。カケル君たら——」


 アリアーシラがそこまで言いかけたとき、カケルはモニターに映る林の中に人影を見つける。


「何だ?」


 カケルがモニターを拡大すると、そこには白地に紫の花の描かれた和服を着た、髪の長い美しい少女の姿があった。


「避難に遅れた人かもしれない」


 カケルはゴオラインのコックピットから飛び出す。高さ8メートルの着地も、ラインテクターならば平気だった。


「あ、待ってくださいカケル君!」


 カケルの後を、クウラインから降りたアリアーシラが追う。


「避難に遅れた人って——」グランラインのコックピットで、伝が呟く。「ここ、廃村だよね?」


          ○


 戦闘開始54分前——。


白地に描かれた紫色の花は、カケルが知る限り一度も見たことがない花だ。どこかで見た何かの花に似ているが、どの花でもなかった。歳は10歳くらいだろうか?美しい顔立ちをしている。酷く色白で、長い髪はしっとりと黒かった。


「どこから来たの?」カケルは少女に聞く。「ここは今から戦いが始まるんだ、こんな所に居たら危ないよ?」


 微笑むカケルに、少女はニヤッと笑う。その笑顔は何故か、少女というよりも老婆を連想させた。


「お父さんお母さんは?」


 カケルの問いに少女は首を左右に振る。


 困ったな——。


 ラインフォートレスで預かって貰おうかなどと考えながら、カケルは癖で、タブレットからラムネを取り出す。取り出しながらカケルは、それをじいっと見つめる少女に気が付いた。


「食べる?」


 カケルが聞くと、少女と、いつの間にか追いついて来ていたアリアーシラが、大きく首を振って頷いた。

 カケルはタブレットケースをカシャカシャ振って、ラムネを取り出す。手のひらに乗せたラムネを、少女とアリアーシラが手に取り、アリアーシラが口に含んだのを見て、少女も真似るように口に含んだ。

 ラムネは口に含むと甘く、噛むと独特の食感とともにしゅわしゅわした舌触りと微かな酸味を口の中にもたらした。まるで初めて食べたみたいに、少女は目を丸くして喜んだ。


「美味しい?」


 カケルの質問に、少女はこくこくと頷く。


「あげるよ」


 タブレットケースごと少女に与えるカケル。少女はぱあっと、ほころんだ笑顔を見せる。


 こんな子供相手に、やきもちを焼いてはいけないと、アリアーシラはグッと我慢する。


 少女は嬉しそうに両手でタブレットケースを持って、胸元の辺りで大事そうに握る。少し感慨にふけってから、帯の間にタブレットケースをしまうと、代わりに袖から、30センチほどの組紐を取り出した。

 いそいそとカケルのそばに少女は行くと、彼の左腕を引き、その手首に組紐を蝶々結びに結んだ。


「くれるの?」


 カケルにこくりと頷く少女。何だか面白くない気持ちを抑えるアリアーシラ。

 カケルは赤や黄色の糸で編まれた組紐を触ると、「ありがとう」と少女に伝えようと顔を上げた。


 そこに、少女の姿はない。


 慌てて周りを見渡すカケル。


「アリアーシラ?」


 カケルに声を掛けられ、地面の落ち葉を不満そうに蹴っていたアリアーシラは我に返る。そこで、少女の姿が無いことに気が付き、慌てて周りを見回した。


「カケル君?」

「あの子がいない。目を離した隙に、いなくなった」

「大変です!」


 アリアーシラはラインフォートレスの来花に連絡した。


「来花さん、この辺りに、10歳くらいの女の子の生体反応はありませんか?」

「ないわね、あなたたち二人だけよ?」

「そんなはずはありません、ほんのちょっと前まで、女の子がいたんです!」

「ちょっと待ってね、今、データを遡って確認するから」

「お願いします!」


 来花からの返答を待つ、カケルとアリアーシラ。


「アリアーシラ、聞こえる?残念なお知らせよ」

「えっ?」


「その場所にはずっと、あなたとカケル君以外の生体反応は無いわ」


          ○


 戦闘開始42分前——。


 おかしい。何が起こっている?


 来花はラインフォートレスの艦橋で思う。

 アポイントメントの戦闘範囲内の避難民の有無を確認する自衛隊員に起きている不可思議な現象。何故か男性隊員だけが、頭髪に異常をきたしたという報告が相次いでいる。女性隊員には、その症状は出ていない。頭髪に異常をきたした男性隊員の話によれば、抜け落ちた頭髪が、ひとりでに動いたなどという報告すらある。

 25メートルの人型兵器が動く時代に、そんな馬鹿な話があるのか?

 そして、今あったアリアーシラからの通信。彼女たちは明らかに、このラインフォートレスの機器類に反応しない何かと接触していた。


 何だ、何が起きている?


 そのとき、艦橋内に悲鳴が響いた。

 声の主、男性オペレーターの頭髪が、ばさばさと、不自然に抜け落ちていく。抜け落ちた髪は、ぞろぞろと蠢き、床のダクトへと消えて行った。


 同様のことは、フォートレス各部署で起きていた。

 各部モニターに映る惨劇と悲鳴を、来花は見る。

 各部署で繰り広げられる、阿鼻叫喚の地獄絵図。どの部署の映像を見ても、抜け落ち、そして留まらぬおのが頭髪に、恐怖に震える男性ばかりである。


 ラインフォートレスから、アポイントメントに向かって空を降下する、頭髪の黒い群れ。

それは、男性にとっては、この世の終わりのような映像であった。


 整備部の彼、噂は本当だったのね——。


 こんなときだというのに、妙に冷静な気持ちで来花は、格納庫の映像を見る。そこには、一人だけふさふさの髪をした整備員がいた。

 この怪奇現象、カツラには反応しないようね。


「落ち着きたまえ諸君!」


 神宮路の声に、どんな坊主頭が待っているのか、少しだけわくわくしながら振り返る来花。

 しかしそこに立っていたのは、アフロヘアーの神宮路であった。


「司令には——」花音が説明する。「混乱を避けるため、しばらくこの格好でいて頂きます。」


 わざわざティアドロップのサングラスまでかけている神宮路。白いパンタロンと、袖に糸状のひらひらの付いた、フリンジ袖の上着まで着ている。


「諸君!特に男性諸君には緊急事態であるとしか言えない!だが!我々にはこの星を守る使命があるのだ!どうか、どうか、落ち着いて各担当の業務を遂行されたい!」


          ○


 戦闘開始15分前——。


「開始15分前です」


 アポイントメントから、女性の声が告げる。そのアポイントメントの周りを、濁流のように蠢く毛髪。


「さあ、暴れるが良い」


 空中に浮かんだ紫の花の和服の少女が、蠢く頭髪に告げる。


「そして、倒されなさい」


 少女は老婆のような表情で、ニヤリと笑う。

 濁流のごとき毛髪の中から、毛に塗れたタイラードがむくりと起き上がり。真っ赤な、溶けた蝋のような巨大な瞳が光った。

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