4.見えはじめた狂気。

 岩場をひょこひょこ歩きながら、生き物を探すカケル。水中眼鏡を額に付け、プラスチックのバケツと手製の小さな釣り竿を手にしている。


 なーにか生き物いっないかな。


 岩場の隙間を覗き込み、小さな魚やイソギンチャクを観察する。


 蟹だ!


 見つけた小さな蟹に、手製の釣り竿から糸を垂らそうとしたとき、その歌声は聞こえた。


「鳥よ 鳥よ 籠の中——」


 綺麗な澄んだ歌声に、カケルは耳を澄ませ、そちらの方を見ると、岩場の波打ち際にアリアーシラがいた。

 いつも学校などで見る光学迷彩の黒髪ではなく、美しく偏光する水色の髪は、彼女の姿を空の、海の水色の中に溶け込ませてしまうようだった。


「鳥よ 鳥よ 籠の鳥——」


 このままアリアーシラが風景の中に消えてしまうような錯覚に、カケルは思わず彼女に声を掛けた。


「アリアーシラ」


 名を呼ばれた彼女がこちらに振り向き、カケルの姿を確認すると優しく微笑む。アリアーシラが風景の中に溶け込んでしまうような錯覚は消え、彼女が現実に舞い降りたような実感を感じた。

 カケルは彼女と風景を写真に撮らなかったことと、自分の子供みたいな恰好を後悔した。


「カケル君」


 カケルはアリアーシラの傍まで行くと、空っぽのバケツをひっくり返して、椅子にすると、どうぞ姫と言わんばかりの身振りで、彼女にそれを進めた。

 アリアーシラは「くすっ」と笑うと、ひっくり返ったバケツに座った。


「何をしてたの?」カケルは聞いた。

「海を——」アリアーシラは答える。「空を、この星を見ていました。カケル君は?」


 カケルは恥ずかしくなって顔を赤くする。


「ぼかぁだね、その、海洋生物の生態調査をだね——」


 何とか難しく言おうとするカケルに、アリアーシラは「ふふっ」と笑った。


 静かな波が、寄せては返す。岩場の隙間から顔を出した小さな蟹が、慌てたようにすぐに引込んでいった。


「私——」アリアーシラが口を開く。「私はずっと、籠の中の鳥だったんです。籠の中ではどれだけでも動けるけど、決して籠からは出られない、鳥だったんです」


 カケルはアリアーシラを見る。アリアーシラはカケルに微笑む。


「ゼールズの姫の一人でありながら、私はゼールズの考えには同調しきれなかった。ゼールズの本分は侵略と開拓。ですが実際は、惑星の保護が目的です。ゼールズに支配された星は、宇宙連合機構の規制する範囲内で、その惑星の収益の15パーセントを搾取します。その対価としてゼールズは、その星を他の侵略星から守る。15パーセントは大きい数字に見えますが、その星の防衛費と考えれば安いものです。そこには相互関係が成り立っていて、システムとしては完成されています」


 いつになく饒舌なアリアーシラを、カケルは見つめた。


「でも、その星はいくら文明が、文化が保護されていても、ゼールズの色に染まってしまう。その関係はいつまでたっても、対等ではなく支配者と支配される側です。私は、地球に、そうはなって欲しくなかった。だから私は、籠の中を抜け出し、この地球へと来たんです。そしてゼールズの情報を、技術を神宮路財閥に伝えました。でも、ときどき思うんです。私がやったことは、結局ゼールズがしていることと同じじゃないかって。この星を、私が変えてしまったんじゃないかって」


 うっすら涙を浮かべるアリアーシラ。カケルは意を決すると、彼女の肩に手を置いた。


「カケル君?」

「君がしたことは間違いじゃない、アリアーシラ。どの道この星は、この星の外を知らなきゃいけない時期に到達してたんだ。君は、少し早く来ただけ。君が来なかったら、財閥の独自研究とゼールズの技術が融合しなかったら、エナジウム合金は出来なかった。今頃、地球はゼールズの属国になっていたよ。もう一度言う、君は、間違いじゃない」


「カケル君!」


 立ち上がり、カケルの胸に飛び込むアリアーシラ。カケルは再び意を決すると、彼女の両肩を抱きしめた。ぎこちなく。緊張しながら。


「ごめんなさい」アリアーシラが言う。「この綺麗な海と空を見ていたら、何だか私のしたことが、不安になってしまって——」

「良いんだよ、アリアーシラ」


 緊張のせいで、変なイントネーションで答えるカケル。アリアーシラはそれを察して、彼の腕の中から、微笑んで見上げる。カケルは何だか恥ずかしくて、視線を海へと逃がした。


「そこまでだ」


 不意に聞こえた聞きなれない声に、カケルとアリアーシラは振り返る。そこには、深緑のツンツン髪で、ダークブルーのスーツを着た男が、銃を構えて立っていた。


「誰だ!?」


 カケルはアリアーシラと立ち位置を入れ替えて、彼女を庇う。その光景を苦々しく思いながら男は、サングラスを外して胸ポケットに入れた。


「ご挨拶だな、ゴオライガーのパイロット!俺だ!アシーガ・ツッターだ!」


 分からない、と言った顔で、見合わせるカケルとアリアーシラ。


「誰だ?」

 再びカケルが聞いた。


「この間戦っただろうが!」アシーガはイライラしながら答える。


 あっ、とアリアーシラは気が付いて、カケルに耳打ちする。


「この間の、ティオーンのパイロットです」

「ああ——」カケルも思い出す。「何の用だ!」

「何の用だと?知れたこと!私の姫様を返して貰いに来たのだ!」


「私の姫って言ってるけど?」とカケルはアリアーシラに聞く。


「やっぱり知らない人です」と、アリアーシラは大きく首を左右に振った。


「——って、言ってるけど?」


 聞くカケルに、アシーガは憤慨する。


「おのれゴオライガーのパイロット!姫を誑かしたな!」

「いや、誑かしてはいないよ?」


 首と手を左右に振るカケル。その動作を見たアシーガは、カケルの首から下がる石に注目した。


「まさか、その石は——」



『戦士の石』。


 ゼールズに伝わる、婚約の儀礼に用いられる石だと、アシーガは直ぐに見抜いた。しかも、青く透明なものは、王家に用いられると言う。


「貴様、その石をどこから?」


 青ざめるアシーガに、アリアーシラはきっぱりと言った。


「わたくしがこの方に送ったものです」


 アリアーシラの言葉に、全身の血が抜け落ちたような衝撃を味わうアシーガ。カケルに向ける銃口が、ぶるぶると震える。


「バカな、そんなバカな!姫!あなたは騙されているのだ!そうだ、きっとそうだ!あなたが私との日々を、忘れるはずがない!おのれ、ゴオライガーのパイロット!姫に何をした!」


 怒りに震えるアシーガが自分に向ける銃口が、いつ火を噴いてもおかしくないとカケルは思った。右手をゆっくりと、左腕のブレスレットにある、ラインテクターの転送スイッチへと動かす。


「思い出してください!楽しかった二人の思い出を!——そしてゴオライガーのパイロット!貴様は死ねえ!」


 銃口から光弾が放たれるよりもほんの1秒早く、カケルの体をエナジウム合金のプロテクターが包む。弾かれる光弾に、驚くアシーガ。


「バカな!亜空間転送だと!?」


 転送された青いラインテクターに全身を守られたカケルが、増幅した力で、一気にアシーガとの間合いを詰めると、アシーガの持つ銃を蹴り飛ばした。


「ちっ」と舌打ちして、後ずさるアシーガ。

「ふん。戦闘用外骨格は貴様らだけの技術ではないぞ!」


 アシーガが右手を振り上げると、ほんの一瞬、全身が黒い稲妻に包まれる。黒い光が消えると、そこにはビジネススーツをかたどったようなデザインのプロテクターに、ヘルメット姿のアシーガが立っていた。


「行くぞ!」


 アシーガの飛び蹴りを、カケルは腕で受け流す。アシーガは受け流された脚とは逆の脚で、直ぐに回し蹴りを放つ。後ろに引いて、躱すカケル。それを追うように、着地したアシーガが前蹴りを、回し蹴りを、足刀を次々と繰り出すが、カケルはそれらを受け流し、いなし、横に回り込む。アシーガが後ろ回し蹴りを放ったところで、流れが一度切れた。

 見逃さないカケルが、攻撃に転じる。飛び込みながらカケルは、上段下段中段、右から左から、雨あられのように拳を繰り出す。始めは拳をさばいていたアシーガだったが、徐々に回転が追いつかなくなり、被弾し始めると後ろに飛び退いて距離を取った。


 互いに構えを取る、カケルとアシーガ。


 二人は同時に飛び出した。


 カケルの頬を翳めて、横に抜けるアシーガのストレートパンチ。アシーガの胸の装甲を、ひしゃげさせるカケルの中段突き。

「ぐふっ」と息を漏らして、アシーガが膝を着く。


 まだやるか?と睨むカケルを、バイザー越しに睨み返しながら、アシーガはニヤリと笑った。とたん、アシーガのプロテクターから黒煙が噴き出す。


「また会おう、ゴオライガーのパイロット」


 煙が晴れたとき、もうそこにはアシーガの姿は無かった。


「カケル君!」

 アリアーシラが駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」


 カケルはヘルメットを外して、「大丈夫だよ」と笑って見せる。


「良かった」


 安堵の息を漏らしたアリアーシラが、ふとアシーガのいた岩場に目を落としたとき、そこには、小さな蟹が、踏み潰されて死んでいた。


「私——」アリアーシラはカケルの腕を掴む。「何だかあの人が怖いです。嫌な、気配がします」


 カケルはアリアーシラの視線に気付き、彼女が見ている蟹の死骸を見る。


「そうだね。何だか、嫌な感じがする」

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