6.遭遇と、回転寿司。

 日曜日だというのに、主は私を伴って外出していた。日曜に仕事か?と思ったが、私に当たるズボンの裾がいつものスーツではなく黒いカジュアルパンツだったので、主は間違って私を履いたのだと分かった。


 町なかの人ごみをかき分ける私に、主はほんの少しも気付いていない。いつもはスニーカーのやっている仕事を私はやりながら、改めて主の疲れを感じる。外見に気を配る性格の主が、こういった状況に気が付かないのは、疲れのせい以外の何ものでもないと私は思った。


 主が向かったのは、彼が仕事帰りに度々よっていた、ゲームセンターという所だった。そこで主はいつもの拳銃で1時間くらい遊んだだろうか。気が付くと周りには人だかりが出来ていて、私はその中に、思わず例の少年二人の姿を探した。


 だが、残念ながら見つけることは出来なかった。


 次に主は、本屋へと入った。特に買うものがあった訳ではないのか、ほとんど立ち止まることもなく、棚から棚へと大体いつも主が通る場所を行き過ぎると、本屋から出た。そこで、主は深いため息を吐く。そのため息は、以前この本屋を一緒に歩いた白いハイヒールの持ち主との記憶へ向けられたことなのか、日々の、仕事についての辛さから出るものなのか、それともその両方なのかは、私には分からない。ただ、主が疲れていることだけは、容易に感じ取れた。


 どこかぼんやりして見える顔を主は上げると、歩き始める。


 その足は、先ほどとは別のゲームセンターに向かっていた。

 主にとっては、拳銃を使ったゲームが気晴らしや気分転換になるのだろう。私は、少しでも主の気持ちが楽になるならと、その足に従った。


 あの少年たちに出会えたらと思いながら。


 再び、主は拳銃型のコントローラーを手にする。やはり30分もすると、人が集まり始める。私はあの少年たちの姿を探す。

 見つけたとしても、私に何か出来る訳ではない。

 少年たちが、主の人生を救うような言葉を言ってくれる保証など何処にもない。

 だが、何か変わるかもしれないのだ。

 1時間と少し、主は遊んでいただろうか。終わったのか、主が拳銃をもとの場所に戻す。残念ながら少年たちは現れなかった。

 まばらな拍手と、それに困ったように照れたように軽く会釈して立ち去ろうとする主。そのとき、私は人垣の隙間から、確かにあの少年たちを見つけた。

 こちらに向かってきている少年たち。だがここからは思いのほか遠く、人の波もあって直ぐに見失ってしまう。そしてこの場を立ち去ろうとする主の足が早い。


 このまま、行き違ってしまうのか。


 何も、少年たちと会うのは、何週間も何ヶ月も空くことじゃない。今日である必要などない。


 今日である必要など——。



 大体なんだ、私は靴だぞ。無機物に自我が宿り思考するということは、完全に絶対に100パーセントないことだとは言い切れないが、おおよそないものと定義するべきであろう。ならば私は何だ。この思考など所詮、バカげた小説家のいかれた妄想なのではないのか。そのいかれた妄想が主の心配など、おかしいにもほどがある。


 おかしいにもほどが。

 ほどが。

 だが——。

 だが!


 私は靴だという範疇を超えて、祈った。神頼みした。「どうにかしてくれ」と。私の主の毎日を、こんな状態から救って欲しいと。何か、何らかの力が働いて、この状況を打開してくれまいかと。

 不意に、私の左側の体が緩む。靴紐が解けたと、私は直ぐに気が付いた。そのことに気が付いた主が屈みこむ。少年たちが主の姿を見て、こちらに向かってくる。

 私は、神様を信じてみようかと、このとき思った。そして、その信じたての神様に「ありがとう」と思った。


         ○


「稲代伝さん!」


 靴紐を結び終え立ち上がったとき、伝はカケルに呼ばれて振り返る。


「君は——」


 ときどきゲームセンターで見かける少年と、その少年と良く一緒にいる眼鏡の少年、そしてあまり見かけたことのない、ぬいぐるみを抱いた少女。伝は名前を呼ばれたことに不思議そうな顔をした。


「確か、格闘ゲームなんかで良く遊んでいるの見たことあるけど、僕に何か用かな?」

「伝さん。お願いがあります」

「お願い?」

「はい。俺と一緒に戦ってください」

「戦う?僕はあんまり格闘ゲームは得意じゃないんだけど——」

「一緒に、地球を守ってください」

「——え?」


 何のことだろうと、困惑する伝。


「あんたね」


 鈴の真っ直ぐな足刀が、カケルの脇腹を抉る。


「少しは会話の段階ってものを踏みなさいよこの熱血直情単純バカ」


 脇腹を抑え、おねえ座りで苦しがるカケルが、「うぐう」と呻いた。


          ○


「勧誘でカフェやファミレスは良くあるけど」


 伝は微笑みながら向かいに座る樫太郎に言う。


「回転寿司ってのは斬新だなあ」


 回転寿司のテーブル席に着いた四人。通路側に樫太郎と伝、レーン側にはきゃっきゃとはしゃぐカケルと鈴が座っている。


「うちのバックはとんでもなく裕福でして」


 樫太郎はちらと財布から銀色のプリズム柄のカードを見せる。


「それは!」立ち上がるくらいの勢いで、伝は前のめりになる。「神宮路印のプリズムカード!噂には聞いたことがあるが、本当に実在するとは」

「そういう訳で、接待費のことは気にせず、何でもつまんでくだせえ」

「俺マグロ!」カケルが手を上げる。

「待ちなさい」鈴が注文用のタブレット端末を操作する。「先ずは今が旬の白身魚から攻めるわよ」

「じゃあ真鯛!」

「あー、良いわね。どんどん頼んじゃいましょ!」

「カツオ!」

「先ず白身からって言ってるでしょ。今だとサヨリかな」


 はしゃぐカケルと鈴を放っておいて、樫太郎は伝の前にコトリと湯気の立ち上るお茶の入った湯呑を置いた。


「ここは、回転寿司の形態をとってはいますが、ちゃんとした職人が握ってくれる。値段の割にネタもシャリもかなり良い物です」

「とりあえず」伝は一口お茶を啜る。「君たちのような学生が、接待で使えるような店でないことは解る。そのプリズムカードが本物だとしたら、君たちは一体何者なんだ?」

「申し遅れました。私は神宮路の関係者で、二根樫太郎と申します。伝さんの隣の、頭悪そうなのが、神宮路の誇るあの巨大ロボのパイロット、頼光カケルです」

「頼光カケルです」


 頭悪そうな、の所でちらっと樫太郎を睨んでから、カケルが挨拶する。口元に米粒が付いていて、残念ながら頭が良さそうには見えない。


「君があのロボットのパイロット——」


 素直に驚く伝に、カケルは少し照れる。


「そして君は?」


 伝に聞かれて、鈴は慌てて箸を下してお澄ましする。


「あたしは蓮尾鈴。親しい人はお鈴って呼びます。全くの部外者で、この二人の幼馴染の同級生です」


 言い終えると鈴は、注文して届いた寿司の皿をどんどんテーブルの真ん中に並べる。伝は、鈴の自己紹介になんと返して良いか分からず、「ははは」と困ったように笑う。


「それで君の言う」伝はサヨリの握りの乗った皿を手にする。「一緒に戦ってくれ、地球を守ってくれとは、どういう意味なんだい?」

「それは」マグロの中トロの皿を取りながら、まだ米粒付きのカケルが真剣な顔で答えた。


「俺が乗るあのロボット、ゴオラインを含むラインマシンは、乗り手の持つエナジウム因子に反応します。その因子の力が強いほど、強力な力を発揮します。ですが、その因子を持つ人間は少なく、ラインマシンの適合者となるとさらに少数です。そして伝さん、あなたにはラインマシンに乗る資格があります」

「僕に、その資格が?」伝は真鯛の皿を手にする。

「はい」答えるカケルの口の中に、マグロの酸味と脂の旨味が溶け合う。


 樫太郎は初ガツオのさっぱりとした風味を堪能して言う。


「率直に言います。伝さん、あなたにはラインマシン、グランラインのパイロットになっていただきたい」


「僕が」伝は真鯛をごくりと飲み込む。「パイロットに?」

「伝さん」カケルはイカの皿を手にした。「俺と一緒に、地球のために戦ってください」


 伝の目が、テーブルに置かれた皿の上を泳ぐ。


「僕は、君たちが思うような、あ、カツオとイカを追加で。君たちが思うような人間じゃないんだ。仕事も出来ない、保険の一つも売って来られない、彼女にも愛想を尽かされる、そんな男なんだ」


「そんなことないですよ伝さん!」


 カケルはイカを飲み込んで言った。


「伝さんのガンシュー、俺たちは良く見てました。すごい技術です。しかもあなたに乗ってほしいグランラインは、その技術こそ生かせる機体なんだ!」

「でも」伝は箸を止めて、マグロの皿を見つめた。「今の僕には何の自信もないんだ。何かが出来るって気がしないんだよ」



「あたしならやらない」



 注文用の端末を操作しながら鈴が言う。三人は、その発言に少し驚いた。


「地球を守る?そんな大それたこと出来ないわよ。頭がロボットとヒーロー漬けのカケルじゃないんだから。無理。やらなくたって誰かに責められることじゃないなら、やりたくなんかない。誰かがやってくれれば良い。——だけど」


 鈴は端末を置く。


「きっと、誰も責めなくても、あたしはあたしのことを責めると思う。ずっと。だから結局やるんじゃないかなあ。その方が楽だし、自分から責め続けられるよりは」


 そこまで言って鈴は、三人が箸を止めて自分の話を聞いてることに気が付き、何だか急に恥ずかしくなる。


「すみません。何だか勝手なこと言って」


「伝さん」カケルは伝のほうを向いて言った。「はじめてガンシューやったときのこと、覚えていますか?筐体に、コインを入れたときの気持ち。そのくらいの気持ちで、やってみませんか?出来なくても、責める人はいません。でも、俺たちの話を聞いてしまったあなたは、やらないときっと自分を責めてしまうと思います。それなら、やってみませんか?」


「僕は——」伝は答える。「何も自信がないって言ったけど、ごめん。ガンシューだけは自信があったよ。後は、少しくらいなら他のゲームもね。君が言うそのロボットは、僕にでも動かせるものなんだろうか?」

「はい!伝さんくらいゲームの出来る人なら楽勝です」


「なら——」伝はお茶を一口啜る。「僕もコインを入れてみようかな」


「やった!」立ち上がってハイタッチするカケルと樫太郎。


「ところで」カツオの皿を手に伝が言う。「ここの寿司、やたら美味いな!」

「それはもう」樫太郎がニヤリと笑う。「特別製ですから」


 そのとき、カケルと樫太郎のブレスレットがビィビィビィ!とけたたましく鳴り響く。それは、二人からだけではなく、店内中から鳴り響いた。


 ぴぽぱぽぱーんぴぽぱぽぱーん。


 今度は店内中のスマホが鳴り響く。


「緊急アポイントメント警報です。該当地域の方々は、速やかに、政府機関の指示に従って避難してください」


 あっちからもこっちからもスマホの音声が聞こえる。

「やばいな」と言ってるつもりでもごもご言う、慌ててテーブルの上の寿司を食べるカケル。

「この近辺だな」と言ってるつもりでもごもご言う、寿司を食べる樫太郎。

「あーん。茶碗蒸し食べたかったのにぃ」悔しがる鈴。


「これは——」


 一般市民の動きでは無く、統制のとれた組織じみた行動や伝達をする店内の客やら従業員やらに、伝は驚く。


「ご安心を」


 伝票を置く寿司職人。およそ寿司職人らしからぬ豊かな胸に、伝は目を奪われる。


「ここにいる者はすべて、神宮路の関係者です」


 伝に向かって微笑む、寿司職人の恰好をした来花。


「はい!8番テーブルさん、おあいそ!」

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