4.茶菓子と、希望。

 広大な神宮路家の一角、日本庭園を見渡せる縁側に、神宮路は和服で座っていた。その横にそっと、同じく和服に身を包んだ花音が、緑茶の入った湯呑と和菓子を置く。


「良い季節だ」


 風に揺られて散る、遅咲きの八重桜を見ながら、神宮路は湯呑を口に当てた。

 暑い季節が始まろうとする中、まだ風は優しくほのかに涼しい。木々が、芝生がさららと揺れる。


「稲代伝様のことですが——」花音が口を開く。「本当にカケル様にお願いしてよろしかったのですか?」

「ああ。君にお願いすれば1時間と掛からなかっただろうけどね」

「ありがとうございます。来花に指示なさらなかったのはご英断です。あの子に任せたら最後、面白がって余計なことをして、ひと月は掛かります」

「そうだね」


 ははっと、神宮路は笑った。


「今回の件は」練り菓子を楊枝で切りながら、神宮路は言う。「私なりにラインマシンのパイロット同士の、人と人との繋がりを考慮してのことだ。知っての通りゴオラインは、他のラインマシンとドッキングすることでその能力を飛躍的に上げることが出来る。ならば、私たちがただ連れてきただけの稲代伝君よりも、カケル君が直に会い、会話し、交友関係を持った稲代伝君の方が信頼関係を築き易いというものだろう」


「私が早急にお連れして」花音が言ったとき、ちょうど鹿威しがカポンと鳴った。「なるたけ早くお二人のコミュニケーションをとっていただいたほうが早いのでは?」


 無言のときが過ぎる。鹿威しの水の音と、小川のせせらぎ、風の音だけが聞こえる。


「アリアーシラ君は——」


 神宮路は練り菓子を一切れ口にする。程よい甘みの餡が、口の中でほどけて行く。


「無事到着しただろうか?」

「問題なく到着されたようです。アリアーシラ様の不在、グランラインのパイロットの欠如、所謂ピンチという状態に陥っているかと思われます。今、アポイントメントが落下してこないことを祈るばかりです」


 藪蛇だったなと、神宮路は思いながら緑茶をすする。さっぱりした果実感のある香りが鼻腔を抜け、餡の甘さを心地よく流した。


 今日と言わず、アポイントメントなど落ちてこないに越したことはないが。今日は特に、落ちてこないことを願おう。


 カポンと、鹿威しの音が響いた。


           ○


 主のあまり良くない状態は、白いハイヒールの持ち主との関係も悪化させた。悪いことは重なるもので、ハイヒールの持ち主もあまり仕事が上手く行ってはいなかった。彼女も職場ではそれなりの地位らしく、それが彼女の苛立ちにもなっていた。

 あるときは公園で、あるときは玄関に聞こえるほどリビングで、主とハイヒールの持ち主は激しく口論していた。

 彼女の去った公園で、彼女の去った玄関で、見上げる主の顔は、本当に痛々しかった。


 そうして次第にハイヒールの足は主の玄関から遠ざかり、ついには、姿を現すことがなくなった。


 主は仕事を続けていたが、成績は日ごとに悪くなって行った。客に必要なものを、自社の商品に誇りを持って提供する、が信条だった主にとって、誰も必要としない商品を無理に売りつけることは、苦痛でしかなかった。

 それが仕事だと言われてしまえば、もう逃げる道は残っていない。


 私は、主に仕事を辞めて欲しかった。


 気持ちをすり減らし続ける主を見ているのが辛かった。

 主ならばその仕事を辞めてもほかに出来ることはいくらでもあると、そう言いたかった。私の声が出ないことを、これほど恨めしく思ったことはない。


 だが、主は仕事を辞めることはなかった。


 仕事終わりの暗い帰り道、主の足は家とは別の方に向くことがあった。そこはいつも眩しくて、騒音がしているところだった。ゲームセンターと、主が言っていた気がする。主が行く店は何件かあったが、どの店でも決まって、拳銃のような物を持って遊んでいた。私からはゲームの画面が見えることはあまりなかった。主は画面に向かって拳銃を撃つような動作をする。30分もすると周りに人だかりが出来て、私は何だか誇らしい気持ちになったものだ。

 人だかりの中に、良く見る顔があった。二人は名前を、カケル、カシタロウと呼びあっていた。他にも良く見る顔はあったが、取り分けこの二人のことは良く覚えた。なぜだかやたらに、主と画面を見る眼がきらきらしていたからだ。ときどきいる斜に構えた訳知り顔の者と違って、この二人は本当に楽しそうに、憧れるような眼で見ていた。


 私はどうにかこの二人と主を、会わせたいと思った。

 主に、そんなきらきらした眼であなたを見る人たちがいるよ、と教えたかった。


 出来ることなら。

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