3.春の日差しとお弁当。
昼休み。屋上のベンチの上が、カケルと樫太郎の定位置だった。晴れた春の日差しが気持ち良い。
「まさか転校してござるとは、な」
ずるぅっとカレー味のカップ麺をすすりながら樫太郎が言った。
「びっくりした。髪の色もなんだか違ってたし」
醤油味のカップ麺をスープ代わりに、カケルは焼きそばパンをもぐもぐと食べる。麺に麺、炭水化物に炭水化物のお祭りだ。
「彼女なりのカモフラージュだろう」
「苗字も何だか違ってたけど、あれもそうだろうね」
「神宮路の名前だしときゃ、いろいろ便利良さそうだしな」
カケルはカップ麺のスープで、焼きそばパンを流し込むと、ポケットから昨日渡されたGマークの腕時計のような物を取り出した。
「これ、試してみようぜ」
「良いね」
二人はブレスレットを覗き込む。カチカチボタンを押していると、Gマークのところが蓋のようにパカッと開いた。
「モニターみたいだな」
蓋の裏側を見ながらカケルが言う。画面には人の名前が表示してあって、横のダイヤルを回すと、名前の表示がクルクル変わった。
「あ、これ昨日の」
『紅間来花』のところで、樫太郎はボタンを押す。
「おい!勝手に押すなよ!」
慌てるカケルを他所に、ブレスレットから待機音のような音が鳴った。待機音は十秒程鳴って、その後、気だるそうな、それでいて艶っぽい声がした。
「——おはようございます」
小さい画面でも分かる、寝起きの来花。薄手の毛布で胸元を隠しているが、下着姿であるのは間違いない。狭い画面に、カケルと樫太郎はぐいっと寄った。
「カケル君?ごめんなさい、私昨日仕事で寝てないの。もう少し寝かせて」
「は、はい」
「じゃあ、また後で」
プツンと、映像は消える。神妙な顔で、カケルはGマークの蓋を閉じた。
「通信機のようだな」
「そのようだ」
樫太郎も神妙な顔で答える。
「何やってんのよ、あんたたち」
不意に鈴が声を掛ける。二人は「ぎゃあああ!」と変な驚きの声を上げた。
「なに?またオモチャ?」
カケルの手から、ブレスレットを鈴がひったくる。
「良い歳して、学校にまで持ってくる?」
じろじろとブレスレットを見回す鈴。カケルと樫太郎はドキドキが止まらない。
「お鈴ちゃん、どうか返してくだせぇ」
「ふん」
興味なさそうに鈴はカケルにブレスレットを投げ返す。カケルは急いでそれをポケットにしまった。
何故だ。これはただの通信機のはずなのに。何故、女子に見られたらまずいみたいな感じになっちゃってるんだ?
ああ、さっきの映像のせいか。
カケルは無駄な自問自答をする。
そんなカケルを気にも留めず、鈴はカケルと樫太郎の間に置かれたカップ麺の空容器やらを二人に持たせると、むりむりっとその開いた空間に座った。
「ねえ二人とも」
鈴は紙パックの苺牛乳にストローを刺すとくわえた。
「ん?」
「あ?」
「あの転校生とは知り合いなの?」
「ああ」樫太郎が眼鏡を直しながら答える。「カケルの嫁だ」
ぶふううぅっ!
鈴の口から、それはもう勢いよく苺牛乳が出た。
「はあああ!?」ぼたぼた苺牛乳がこぼれたまま鈴が言う。「あんたね!昔っからそう!無害判定みたいな顔してるくせに、急にとんでもないことやらかすの!なんなの!?嫁って!?比喩表現?それとも書類上!?信じらんないんですけど!」
「やー、俺も信じらんないんだけどね」
飛んでくる苺牛乳でべっとべとになるカケル。
「昨日プロポーズしたんだと」
樫太郎はそっと火に油を注ぐ。
「きゃああ!何事!?どおなっちゃてるの?ちょっと!いつからなの?なんであたしに黙ってたのよ?」
「だって出会ったの昨日だし」
「うっわ怖。どうやったらそうなるの?バカなの?知ってはいたけどあんたバカなの?うわー世の中怖いわ。てゆーかだったら!だめじゃんあの子お昼誘ってあげなきゃ!寂しくしてたらどうするの?」
「その通りです!」
急にベンチの後ろから声がして、三人は「うわあ!」と飛び上がる。そこには、怒った顔をしたアリアーシラが立っていた。
「その子の言う通りです! ひどいです。折角お昼、一緒に食べようと思ってお弁当作ってきたのに、先に自分だけ食べちゃうなんて!」
何だろう。なんだか若干論点に相違を感じるが、まあいいか。
「ちょうど、あんたの話をしていたところよ、転校生」
「そうだったんですか。ええと——」
「蓮尾鈴よ」
「鈴さん。可愛い名前です。そうだ、皆さんも、よろしかったらいかがですか?」
カケルの横にアリアーシラは座ると、お弁当を広げ始める。今それどころじゃない、あんたにもカケルにも聞きたいことがいっぱいあると鈴は言いかけたが、アリアーシラの膝に広がったお弁当に、言葉を飲み込んだ。
おにぎり、鶏のから揚げ、ほうれん草のお浸し、卵焼き。
内容こそ特出したものではないが、一目見て美味そうだと分かる外見をしている。
ごくり、と、三人の喉が鳴った。
「では早速」から揚げに樫太郎が手を伸ばす。「これは——」
樫太郎の眼鏡が光る。
「美味い。冷えてもなお表面がカリッとしている。全然油の臭みがない。それでいてこの、噛むごとに溢れる鳥の旨味とジューシーさ!」
おにぎりを手にしたカケルは驚愕する。
「お米が立ってる。のど越しがぜんぜん違う。しかもこの握り方。お米が潰れることなくふんわりと、だが崩れやすいことなどなくしっかりと形を保っている。そのバランスが完璧だ。塩加減も素晴らしい。いくらでも食べられるぞ」
二人の反応に、鈴はほうれん草と卵焼きを口にする。
「気遣い。ほうれん草が水っぽくならないよう、お魚の容器に別にお醤油が入ってる。当たり前だけど嬉しい。そして卵焼き。しっかりと焼かれた卵が何重にも層になっていて、適度な噛みごたえと上品な甘み——。美味しい」
食べる三人を見て、おにぎりを持ちながらニコニコ微笑むアリアーシラ。
「喜んで頂けて、嬉しいです」
「ほんとに美味しいよ。すごいね」
カケルは口元にご飯粒をつけて、から揚げをかじりながら言う。そんなカケルを見て、アリアーシラの表情が益々ほころぶ。
「おばあさまの言ったことは本当でした」
「おばあさま?」
「はい。人心を掴むなら、先ず胃袋を掴め、と」
なかなか率直な家系なんだなあ、とカケルは思う。
「で——」鈴がすっくと立ち上がると、カケルとアリアーシラに向き直る。
「あんたたちのプロポーズがどうだのこうだのって話を聞かせて貰おうかしら?」
「威張って聞くことかよ」
言った樫太郎の腹部に、鈴の細い足が突き刺さる。うめき声と共に樫太郎はうずくまるが、鈴は無視した。
「さあ、どうなのよ?」
「カケル君」アリアーシラがカケルを見る。「鈴さん、私たちの馴初めを聞きたいみたいですね。私、照れちゃいます」
「そのことなんだけど——」カケルは真面目な顔でアリアーシラを見る。その口元には、まだご飯粒がついていた。
「俺は君に、変な誤解をさせてしまったみたいなんだ。この国では、女性の肩に手を置いて『俺が戦う』なんて言ってプロポーズする風習はないんだ。君の国でそんな風習があるなんて知らずに、ごめ——」
ごめん、言いかけたカケルの口元をアリアーシラの手が触れる。ご飯粒をそっと取った。
「知っています」手にしたご飯粒をアリアーシラは口に含む。「そんなことは知っていますよ、カケル君」
にっこりほほ笑むアリアーシラだが、その瞳の奥は全く笑っていない。彼女から発せられる真っ黒い重圧が、カケルの体を押さえつけた。
「あのとき、私は聞きました。それはカケル君の本心かと。あなたは答えた、本心だと。ならば、風習の有る無しなど、どうでも良ろしいではありませんか?」
アリアーシラの両手がカケルの両手を包む。大した力など入っていないはずなのに、カケルは身動きが取れない。
「なかなかやるじゃない、あの子」
樫太郎の影に隠れて、少し怯えながら鈴が言う。
「カケル、骨は拾ってやるぞ」
遠い目をしながら樫太郎が言った。
アリアーシラは、ぐいとカケルに顔を近づける。すっかり怯え切ったカケルに、彼女は不意に心からの笑顔を見せた。
「こう考えましょう、カケル君。あなたの私に対する気持ちが、無意識のうちに私の心を読み取って、あの行動を起こさせた。もしくは運命の仕業です。運命の仕業なんて言ったら、もう何でも有りです。いずれにしてもあなたは私が好き。結婚したいほど。それで決定にしましょう」
恐怖からの解放。そして優しい態度と新たな提案。人が懐柔されるパターンに、カケルは抗えなくなって行く。最早、頷き始めたカケルに、樫太郎と鈴の視線が集まる。
ピンポンパンポーン——。
急に鳴り響く校内放送の音に、カケルはハッと自我を取り戻す。
「何だ!?」自我を取り戻した勢いで、カケルは特撮ヒーローみたいな仰々しいポーズで立ち上がる。
「校内放送だろ」当たり前に樫太郎が突っ込む。
せっかく良いところだったのにと、アリアーシラはため息をつく。
ピンポンパンポーン。
「只今より、世界同時配信にて、国連代表より発表があります。全校生徒は速やかに、テレビの視聴出来る場所若しくは、インターネットにて視聴出来る環境に集まって下さい。繰り返します——」
「いや、結構重要な内容だし!」
カケルは変な調子のまま、特撮ヒーローみたいな動きで樫太郎を指さす。ぞんざいにその指を払いながら、樫太郎は立ち上がる。
「教室戻るか?」
「あ、あたし今日の通信量カツカツ」
鈴はひらひらと手を振った。
カケルはごそごそと自分のスマホを取り出す。
「俺、通信量大丈夫!」
カケルの一言で、ここでスマホで見ることになり、再び一同はカケルを中心にベンチへと集まる。
「動画配信サイトを開いて——」
カケルが一般的な動画配信サイトを開くと、直ぐにそれらしきライブ映像が出てきた。そこには、演台を前に立つディアドルフ大統領の姿があった。
「全世界の諸君——」
鈴が横から手を伸ばし、カチカチとスマホのボリュームを上げた。
「どうか落ち着いて聞いていただきたい。大変信じ難いことだが、今、地球には侵略者の魔の手が迫っている」
「はあ?」鈴はいぶかしそうに言った。「何これ。フェイク動画か、サイト間違ってんじゃないの?」
言ってから鈴は、三人が真顔なのに気が付く。それから、昨日、カケルと樫太郎が行っていた場所と、それに関わる動画、巨大なロボットと巨大な双円錐が戦っていた映像を思い出す。そうだ、あれはニュースで流れていたし、その場に居たんだ、二人は。この大統領だって、テレビで何度も見たことがある。間違いない。
——でも。信じたくない。
きっとあたしみたいに、世界中の人が思ってる。本当は昨日、戦ってるロボットを見て思ったんだ。『今までは』はもう終わりで、『これから』が始まるんだなって。
分かってる。
でも信じたくない。まだ今までみたいに、樫太郎とカケルと、バカなことやっていたいよう。
「あたしの毎日は、変わっちゃうの?」
「大丈夫だ」カケルが力強く言った。「お鈴たちの日常は、俺が守る」
「何よ?」
ちょっと涙目だった鈴が、いつも通りの悪態をつく。
「急に格好良いこと言って、あんたに何が出来るって言うのよ?」
ポンと、樫太郎が鈴の肩に手を置いた。
「あるんだよ、こいつには。主人公みたいなこと言う資格が」
「主人公属性のカケル君、素敵です」
ぎゅうっと、アリアーシラはカケルにくっつく。困った顔をするカケルと、妙な安心感のある樫太郎。鈴の瞳から、潤んだ涙が乾いていった。
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