第248話 腹を割って語り合う夜⑧
重苦しい空気が流れている。あいつは負の空気製造機か。
勘弁してほしいものである。もう子供じゃないんだから言いたいことくらいは言ってほしい。
そこまで考えて、あたしは「ふぅ」と音を出した。口腔の温かい空気が指にかかる。
さてと。話を進めよう。
あたしは鋭い視線をリヒトに送る。
「あたしから提案がある」
彼はコップの端を口につけたまま動きを止め、目だけであたしを見た。少しだけ落胆しているような光を宿していたが、
「……分かってる」
そう静かに言いながらすぐに視線を逸らして、ズズズっと茶を飲む。
妙に重い口調だったが、気のせいだろう。
「そうか! 話が早くて助かる」
あたしの要望をくみ取っていたようだ。一から十まで説明する手間が省けたことに、そして容易に受け入れて貰えたことに手をたたいて喜んだ。
あれ。なんか空気が重くなった気がするな。
多少は頼ろうとしていたのかもしれない。注意事項はしっかり伝えておこう。
「ならばこの件は他言無用で。血清は頻繁に使うとすぐにバレてしまうから、毒消しが効かない上、生死に関わる時しか使用しないのでそのつもりでいてほしい。あたしからは以上だ」
コトン
リヒトが真顔のままコップを落としてお茶を零した。
中に入っているお茶は足にかからず地面を濡らし、遅れてコップも地面に落ちた。
「…………」
コップを落とした姿勢のまま数秒固まっている。
珍しくコミカルな姿を晒しているなぁ。と思いながら眺めた。
「なにやってんの? 笑えるんだけど」
「……はぁ?」
思わぬ事態に吃驚した表情になっているリヒトが可笑しくて、あたしはつい笑いがこぼれてしまった。
「だから傷に障るから…………だめだおかしい! ふはははは! どうした! どうしたんだ一体!? イタタタタ! 傷が!」
「ちょっと待て」
コップを拾い上げたリヒトは少々動揺したように首の後ろをこすった。少し汗をかいている。
そのまま数分沈黙して、こちらを一瞥した後に言葉を続けた。
「心を読める奴がいたら気持ち悪いから、今後は別々に旅をして災い退治をする。……という提案じゃないのか?」
「はあ? なにそれ?」
急に突拍子のない事を言ってきたので、今度はあたしが目を丸くした。
こいつほんとにサトリなのか?
さっきの会話、どこをどう捉えたらそんな結論になる?
「何言ってんだよ。あたしは自分の保身を確実にしたいだけ。催促されて再々血を与えるなんてゾッとするし、他所に情報が流れてもゾッとする。素知らぬふりを貫けって念押ししたいだけだ」
「それだけか?」
念を押されたので頷く。
「それ以外になにかある?」
「あるだろう」
「じゃあ。気を付けてほしいことは何だよ。あー。分かった。サトリについてだな。それを言うなってことだろ。もちろん秘密にするぞ約束する」
「……は?」
リヒトは再度、間が抜けた声をあげた。
鳩が豆鉄砲を食ったように目をきょとんとさせている。
「『は?』じゃない。違うのか?」
「いや……」
リヒトは困惑したように瞬きを繰り返す。
あたしはピンときた。やっぱり血清について根掘り葉掘り聞くつもりだ。呆れたと軽蔑の眼差しをむける。
「あんたもしかして、毒とかバンバンに受けても平気って安易に考えてるよな。残念だがこれは奥の手だ。滅多な事じゃやらないからな! 普通の毒消しを頼れ!」
「……な、……え?」
リヒトは驚愕の表情になって右手で頭を触った。理解できない、耳を疑うという動作にみえた。
なんて奴だ! あたしの危機感理解してないぞ!
「うっわ! マジで人を毒消しに使う気だったのかこの鬼畜! 人でなしが!」
「……ちょっと待て」
リヒトは狼狽しながら立ち上がった。あたしは冷ややかな眺める。
「ちょっと待て! ちょっとまて!」
「何だよ、この人でなし鬼畜小僧」
「サトリであろうがなかろうがどうでもいいって本気か!? 奇人変人の類かよお前は」
思いっきり指差しされた。
腹が立ったのであたしも立ち上がる。痛いので動かないけども。
「誰が奇人変人だ!」
「お前だ! なんでそう平然としてるんだ意味わかんねぇ! 心を読まれると気づいたら、もっと不気味がったり、軽蔑したり、逃げたり、果てはサトリ能力がある連中から問答無用で殺されそうになるんだぞ!」
「なんか。どっかで聞いたセリフだな」
あたしはポンと手を打った。
ルイスだ。あいつも同じようなことを言っていた。強すぎるサトリは迫害されるのかもしれない。気の毒なことだ。
そこまで考えて、会話がかみ合ってないことに気づく。
あたしの伝えたかった事は『血の特性』について。それ以外に興味はない。
しかしリヒトは『サトリ』について考えていたようだ。
お互いが自分の秘密について警戒しているならば……あいつが驚いている理由は一つだ。サトリと知られても攻撃されなかったことだ。
「なーるほど」
同情心がでてしまって、あたしの怒りが鎮火した。
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