第243話 腹を割って語り合う夜③

 少し間をあけて、パタンと本が閉じる音がする。


「背中に手が届かないなんてよっぽど硬いんだな、武術嗜んでいる身としては致命的じゃないか?」


「違うわボケが! 気づけ! 痛くて届かないんだって!」


 憤慨して叫ぶと、リヒトはやや間をあけて本をポケットにしまってから「仕方ないな」と立ち上がった。

 

 良かったような、良くないような。

 あたしの心情は複雑である。

 だって同年代の男子に背中とか見られたことない。手当は女子か大人達がやってくれたから、正直、初めての展開なのだ。妙に緊張してしまうのは仕方がない。あたしも一応女子なのである。

 

 リヒトは立ち上がった。振り返る前に苦々しい虫を見つけたかのように嫌悪に満ちた声をだした。


「前しっかり隠しとけよ。最低限の気を使え」


「うぐぐぐ悪かったな! 気を使うからさっさと塗ってくれ」


 なんだこいつほんとに失敬だ。

 絶対にあたしを女子と思ってないな畜生!

 薬の代わりに土でも塗りこむんじゃないか!?


 イラッとして睨んでいたら


「早くしろ。俺はさっさと飯を作りたいんだ」


「はらへりか! 隠したぞほら、こいよ!」


 あたしは長めの上着で前を隠しながら背中を向けた。どうせ焚火の明かり以外は暗くて見えにくい、これでちゃんと隠せただろう。


「ったく」


 リヒトは毒づきながらやってきてあたしの背後に座る。


 軽口に毒づいて緊張が緩んだがーーーーうん、凄く緊張する。色んな意味で。


 そんなあたしの狼狽した心の内を完全に無視したリヒトは、まず呆れたように盛大にため息を吐いた。


「お前、手当が雑」


「んな!?」


 背中は無理だろうが! という反論をする前に、水で濡らした布が背中に当てられ「冷た!」と叫んでしまった。


「我慢しろ。こんな汚い背中に薬塗ったら、薬が腐るぞボケが」


 背中を綺麗に拭いたリヒトは数秒背中を観察する。


「ふぅん。深くないが、筋肉の浅層はやられている」


「やっぱり」


「範囲が広い。肩甲骨から腰まで袈裟懸け。お前にしちゃざっくりやられたな。まだ血が止まってない。あと肩の傷は……こっちは骨近くまで到達してるが、骨折は……」


 リヒトはあたしの左腕を取り色々動かす。肩の可動域を確認してから


「骨折は免れてるが靭帯と三角筋が切れている。……練り状の止血剤と回復薬でなんとかなるだろう」


 横に置いてある薬のラベルを確かめてから、遠慮ない力で傷口に塗りたくる。思ったほど痛くはなかった。


 なんだか緊張して銅像のように固まっていたあたしだが、ふと、横を見ると、薬の瓶に指を入れ内容物をすくい取り手のひらに擦りつけている動作が見えた。

 怪我の度合いによって、効果が高まるよう薬を混ぜることはよくあるが、それは薬を調合する者か、手当や治療を日常的に行う者だ。


 怪我とは無縁と思っていたが、本当に混ぜているのか……気になる。


 好奇心に背中を押され、思い切って後ろを振り返ると、その動きに吃驚したリヒトが手を引っ込めた。あたしは彼の手に注目する。四種類の薬を適量取り、手の平で混ぜながら使っている。色があるので絵の具のパレットのようになっていだ。


「……なんだ?」


 怪訝な眼差しを向けるリヒト。あたしは彼の手を示した。


「薬混ぜてるんだな」


 目分量の推測だが、化膿止めと血止めと痛み止めを回復薬で纏めている。あたしの……いや、母殿の使い方に近い。

 

「当然」


 リヒトは少し苛ついたように頷いた。


「マジか」


 やはり上級者だ。実際に治療の経験がなければ扱えないやり方である。

 あたしが関心していると、「チッ」とリヒトが盛大に舌打ちをかます。視線を少しだけ外にそらし、不機嫌を全面にだした。


「前に向き直れ。やりづらい」


 あー。もしかしたら、ちょっと胸の谷間見えたかも。まぁいいか。谷間だし。害はない。


 あたしはズレた上着を正して胸を持ち上げるように両手を前で組みながら前を向く。服でしっかり潜れたら、リヒトは手当を再開した。


 綺麗に塗り終わった所で、傍に置いてあった布に回復薬を浸して傷に沿って貼り付けていく。ピタリと皮膚に吸い付くとすぐに成分が傷に浸透し始めた。痛みがゆっくりと消えていく。


「包帯」


「そこ」


 示すとリヒトは一番太い包帯を手に取った。


「どうせ肋骨も数本イってるだろ。背中全部包帯で固定しておくから、軽く腕を上げろ」


 何故分かると言いたいが、これは愚問だな。


「息を大きく吸え」


 断る理由もないし、あたしは素直に指示に従う。

 前を隠すために持っていた服が邪魔だったので足元にかけた。両腕を軽くあげて胸郭を広げるように息を吸い止めると、リヒトの腕が脇の下から伸びて包帯がグルグルと巻かれていく。露わになった胸がすぐ包帯で巻かれて見えなくなる。


「固定の強さは?」


「丁度いい」


 そうか。とリヒトは呟いて、テープで包帯を止めた。そしてすぐに次の包帯を手に取る。

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