2-10共有された秘密

第240話 腹を割って語る少し前(リヒト視点)

 毒霧を抜けたころには陽が沈みきり薄暗くなった。


 毒の霧には移動ルートがあり、それに沿って移動している。その中に入らなければ影響を受けることはない。

 毒の霧は相手を殺すためではなく、近寄らせないための手段だ。

 更に詳しく述べるならば、『依り代が逃げた道』と『チヒギ村の木こりが通る道』以外に霧は来ない。



 村から四百メートル離れた地点で地面に降り立った。

 焚き火跡残っているここは、俺が毒に倒れる前に野宿した場所だ。

 適度に草が刈られ平地で近くに川もある。暗くなった森ですぐ準備をするのに丁度いい。


「おい」


 軽く揺すって呼びかけてみるが返事はない。規則正しい呼吸音と寝息が耳をかすめる。

 移動の途中で静かになったと思ったらミロノは意識を失っていた。

 あれだけのダメージを受けているのだから、当然といえば当然か。


<シルフィードよ。荷物を受け取り置け>


 体からふわっと荷物浮き上がる。勿論ミロノも荷物なので浮き上がる。


<シルフィードよ。リュックから寝袋取り出しミロノを置け>


 シルフィード達は指示通りに動く。

 リュックから寝袋をだしてゆっくりとミロノを置くと、他の荷物も地面に置いて、すぃっと効力を消す。


 言葉は意思を伝えるための記号だ。

 馴染みのある言語で精霊に分かりやすい指示を与える方が、細かい調節ができる。

 攻撃魔法は言葉のニュアンスで対応される可能性があるため、意図的に伝わりにくい言葉にしている。

 実際は『あいつを燃やせ』とか『家を燃やせ』とか、そんな簡単な言葉でも十分効果がでる。

 熟練者になればなるほど、よくわからない言葉を使う。『特殊言葉』と呼ばれているが、まぁ、オリジナルの言語みたいなものだ。


 そんなことを考えながらも、野宿の準備を進める。風が袖の中を通り抜けると、ぶるっと身震いした。冬が近くなった。日が完全に沈む前にに焚火を用意しないといけない。


<シルフィードよ。薪を集めろ>

<サラマンドラよ。焚き火を起こせ>


 風が乾いた薪を集めながら地面を掃除し、薪を並べて網を置く。そこに火種がポッとつき、自然と燃え上がって周囲を明るく染めた。

 こんなものだな。

 精霊に頼るといろいろ早く済む。

 こうやって準備するのは一年半ぶりくらいだ。野宿準備を押し付けられないようにするためだったが、今は良いだろう。

 寝袋の端を持って、火の熱がじんわりくる位置にミロノを引きずって移動させる。


 さて、次は湯を沸かそう。

 このまま起きない可能性がある。放置できる傷ではないので手当をしなければ、助かるものも助からない。


 精霊に頼もうとして、目眩がした。

 過去の記憶がフラッシュバックする。頭痛と吐き気が襲ってきた。

 村に立ち込めていた負の感情が、遅まきながら俺の精神に影響を与えてきたようだ。


 今で良かったとホッとする。

 とはいえ、物凄く気分が悪い。少し体を動かした方がよさそうだ。

 水は……近くに川があるからそこに汲みに行こう。


 俺は折り畳み式のバケツを持ち、野宿場所から離れた。

 周囲はすっかり闇に染まっている。

 焚き火から少し離れただけで、ほとんどみえない。


<サラマンドラよ。松明の明かりがほしい>


 ふわっと、人魂のような明かりがふよふよ浮かび上がり、数メートル先を照らした。

 歩きやすくなった森の中を進む。


 水のにおいと小川の流れる音が聞こえてきた。

 川に出る。一キロぐらいの横幅でとても大きい川だ。地面と段差があるので軽く飛び降りる。砂利っと石を踏んだ。

 河原を歩き水辺へと向かうが、俺の足取りはとても重い。

 水辺に立ち、見下ろす。火の玉がふよふよと川を照らす。光を吸い込んだ水面は澄んでいた。水量は膝下くらいでそこまで深くはない。流れも穏やかだ。

 バケツに水を汲んで、砂利に置いて、俺はそのまましゃがみ込む。

 水音も、緑の匂いも、満天の星も、何一つ俺の気持ちを晴らしてはくれなかった。


 はぁ。とため息をつく。


 次の魔王の手がかりも得られた。

 一蓮托生も救出した。

 居心地の悪い村から脱出した。

 最悪な状況を脱したのに、とても気分が悪かった。


 原因は分かっている。


 チヒギ村の様々な負の感情を深く解析した結果、人間の憎悪の感情が渦巻いていた。

 常に鈍器で押しつぶされるような嫌な圧迫感と、濁った水を無理やり飲まされたような感覚が、とても気持ち悪かった。

 そのせいで、一石投じるように俺の中に残る記憶が蘇り、精神を蝕んでいる。


『気持ち悪い――――』

『――――気持ち悪い』

『気持ち悪い』


 彼らの声が……幻聴が聞こえてくる。

 頭を振っても消えていかない。


 感情と記憶は結びついている。

 誰かを嫌悪する感情や、誰かを憎む感情に触れると必ず記憶が蘇る。

 だからいつまで経っても忘れることはない。


『気持ち悪いリヒト――――』

『――――リヒト気持ち悪い』

『リヒトは気持ち悪い』


 故郷の村の大人たちの声が響く。

 存在を否定する言葉に、たまらず胃液を吐いた。


「は……はは。情けない」


 全く関係のない悪意でダメージを受けてしまった自分がおかしくて、少し笑う。

 呼吸を整えながら、少しだけ昔を思い出す。

 悪い記憶の中にも、良い記憶がある。

 良いモノだけを探し出し、強く思い浮かべて気持ちを落ち着かせた。


 ゆっくりと立ち上がる。気持ちが切り替わったので水を汲んで戻ることにした。


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