第239話 詰問からの脱出⑭

 空に放り出されたような浮遊感があり、あっという間に外壁を飛び越え、多少の砂煙をあげるが音もなく地面へ降り立つ。

 まるで体重を感じさせない着地だった。


「なん、だと……」


 茫然とするあたしを余所にリヒトはスタスタと森の中へ入っていく。外壁から数メートル離れた地点にリヒトの荷物とあたしの愛刀が置かれていた。身をかがめて取るのであたしの体も少し揺れる。


 驚いて「うわわ!」と声を出しながら咄嗟にしがみ付いたら「ぐえ」と声が聞こえた。慌てて力を緩める。


「ごめ、……急に動くな、落ちるところだっただろー! 今、受け身をとる自信がないんだ!」


 リヒトは肩をすくめただけで怒らなかった。


「……今なら余裕でお前を殺せるな。視野にいれとく」


 「この野郎」とあたしは呻く。


「さてと。森を超えるには飛ぶほうがいいか」


「飛ぶ?」


 リヒトは涼しい顔をして森を見上げてから詠唱を行う。


<シルフィードよ。舞い上がり支えたまえ>


「!?」


 また視界が上にスライドして浮遊感、木々の上へ抜けた。

 そのまま空中で固定される。


 「これは」とあたしは小さく声を出す。


 風の音が耳元でゴウゴウ鳴る。少しだけ舌を出すと風の動きがわかった。

 上から吹く風が螺旋状に体を包み下から持ち上げるようにしてまた上空へ戻って行く。風で作った風船の中に入って浮いているみたいな感じだ。


「すご……空を飛んでる」


 歩く速度で空を飛んでいる事に興奮を覚えつつ、眼下に視線を移すと、木々の隙間から毒の霧が立ち込めているのが確認できる。


「霧の上まで来たのか」


「木の上には出てなかったからな。こうやって飛んで行ったほうが安全だ。霧が無い場所まで移動する。そこで……」


「これもう人間業じゃない」


「聞けよ」


「あんた以前さあ。トチ狂う木々の宴のとき」


 リヒトは大きなため息をついて「なんだ」と呟いた。

 あたしの言葉が強かったので、こちらを先に終わらせるほうがいいと思ったみたいだ。


「あたしが水平に木を駆け上がったのを見て、人間業じゃないって罵倒してよな」


「したな」


「あんたも同じじゃないか。人間業じゃないぞ」


「これはアニマドゥクスの力だ」


 リヒトはドキッパリ言い切った。何をくだらないことを言っているという響きも含まれている。


「普通じゃない」


 「だから」と苛立ちを含めた言葉が返ってくる。


「神業的なすごい能力だ。尊敬するぞ」


 あたしは素直にそう思ったので伝えた。

 空を飛んですごく感動したし、興奮したからだ。


 世界に存在する自然の力の塊の総称、精霊。これを扱う人間をアニマドゥクスと称した。

 かの戦争で暴悪族が得意とした能力の一つであり、敗北した後に廃れたと伝わっている。

 実際に体験してみると色々な場面で重宝する。なるほど、勝利を左右するほどの力と呼ばれるに相応しい能力だ。

 

 リヒトの能力を侮ってはいなかったが、ここまでだとは思わなかった。

 やっぱり凄いやつなんだな。

 

 リヒトは少し黙った後、チッと舌打ちをした。


「これは精霊の力を借りているだけであって俺が凄いわけではない。それとアニマドゥクスは細々とだがちゃんと継承されてる。廃れてはいないし、空を飛べる人間もちゃんと存在している。……隠しているだけだ」


「そんなもん?」


「能ある鷹は爪を隠す、っていうだろ? 強大な力は底辺と上部からやっかみを買うんだよ」


 リヒトは少しだけ頭を振ってから話題を変えた。


「話を元に戻す。今日は川の傍で野営する。獰猛獣が水を飲みに来るリスクはあるが、血の匂いを消さないのはマズイだろう。手当するなり着替えるなりしろ」


「気遣い有難い」


「……」


 リヒトが無言になったので、あたしも無言になる。

 何気なく、肩越しに後ろを見ると村が見えた。日は完全に落ち、西の空がもう薄暗くなっているから余計に炎の明かりが目立った。

 黒煙が狼煙のように昇り、一つの焚火のように村を明るく彩っている。


 脳裏に地下室のことを思い出す。

 あの状態から命を拾い、五体満足で退却出来たのが今更ながら信じられなかった。

 もしやこれは夢ではないか。痛みすらも夢の感覚ではないか。

 そう疑念にとらわれそうになったが。

 

 耳元で聞こえるリヒトの規則正しい呼吸と、体越しに伝わる体温と心音が妙に心地良くて。


「……はは、嘘だろ」


 視界が急激に暗くなった。

 安心して緊張の糸が切れたなんて…………笑うしかない。

 あたしは自嘲しながらブラックアウトした。

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