第212話 疑心者は魔王に救いを求める④

 心の中でもいいから盛大に落ち込む時間が欲しい所だが、どうやらそんな時間は得られそうにない。


 強大な邪気がナルベルトの体に収まり、彼の体から黒い靄が昇り始める。

 やっとあたしは動けるようになった。

 色彩が戻ったような感覚がした途端、強烈な熱が額に広がる。

 依代完了、あれは魔王ですシグナル発動だ。


「いっで!」


 今までで一番の激痛に小さく呻いて、荷物を投げ捨てながら、腰に吊るしてある刀に手を添えた。すぐに攻撃出来るよう構える。


 あたしの緊張が伝わったのか、木こり達が異変に気づき訝しげに周囲を見渡す。


「どうした?」

 

「なんだ……?」


「ナルベルト? おい、どうした?」


 木こりの一人がベルナルトの異変に気づく。

 顔をあげた彼は鬼の表情で固定されており、ブツブツと聞き取れないほど小さな声で何かを呟いている。


「ヒィ!?」

「お、まえ、その顔は一体!?」


 その異様な姿に木こり達は数歩後ずさる。

 仲間が離れたことで、あたしの姿が見えたのだろう。


「アアアアアア!」


 ベルナルトはあたしを睨みつけて甲高い声をあげた。

 裏声というよりも、声帯をフルに使った金切り声で、耳障りな音だ。


「そうだよ! 村に来なければよかった! 希望を持たせて絶望をひっさげたのはお前だぁぁぁぁぁ!」


 彼が発した声に木こり達は度肝抜かれた。

 真っ青になって、異形な物を見るような目つきになり、顔を歪ませていった。


「ど。どうした、ナルベルト?」


 ティンモは恐る恐る声をかけるが、ナルベルトは彼を無視し、仰々しい立ち振る舞いをして群衆に演説するかのように声を張り上げた。


「あの霧をどうやって抜けた!? 偶然なわけないだろう、何か秘策があったんだ! ただ黙って知らぬふりをしているだけだ。この村の者じゃないからどうでもいいんだろう。あいつはローレンジ病の特効薬も持っている。現に連れのガキはぴんぴんしてるから間違いない。ローレルジ病にかかったら絶対に助からないのに助かっている! これこそ薬がある証拠だ!」


 こっちの言い分なんにも伝わってねぇぇぇ!!


 ツッコミしたかったが耐えた。

 ナルベルトは目をギラギラさせながら、口から黒い靄を吐き散らかしている。

 何か狙っているのは間違いない。


「俺達が一番よく知ってる。霧に包囲されてもう一年だ。一年だぞ!? その間に病気が蔓延して子供からバタバタと死んでいった。死んでいったんだ!」


 ナルベルトの声を受け、木こり達が悲痛な表情に変化する。

 深く共感した者の口の中に黒い靄が吸い込まれていった。


「外に助けを求めに果敢に霧に入った同志を何人も見送った! だが皆すぐ傍で倒れて、遺体さえ回収できずにそのまま、そのまま……腐って朽ち果てて」


「ああ、そうだ、どうしてだよ」


「あいつの体、まだ残ってるんだ。むごいよ……」


 ナルベルトは両目から大粒に涙を落としながら、口角をあげて歯を見せながら豪快な笑い顔を作る。

 顔面の筋肉が痙攣しているようにも見えるし、目元で哀を口元で嘲りを表現しているようにも見えた。


「ローレルジ病だってそうだ! どうして妻は患ったのに俺だけ患わないんだ!? どうしてだ!? 俺が身代わりになりたかった! 薬がなければ助からない」


「そうだ。薬があれば」


「なんだ、簡単な事だったのか」

 

 黒い靄が木こり達の顔を鬼に変化させた。

 同じ意思を持つ者を感化させ同調させ、眷属を作っているようだ。


 あれ? これはかなりヤバイ?


 額の熱はナルベルトだけではなく、木こり達にも反応し始めた。


 ナルベルトはあたしを睨む。


「もう一度聞く。なんでお前は無事なんだ?」


 他の木こり達もナルベルトの言葉に賛同してこちらをギラっと睨む。


「そうだな、なんでだ?」

「おかしい、おかしい」


 寒い日の息の白さのように、喋ると口から靄が出る。


「何か知ってるはずだ」

「問い詰めないと」


 彼らから怒気と殺意は伝わるのに、眼は虚ろで生気がない。


「ほらな。おかしいだろ? 薬をよこせクソガキめ」


 ナルベルトは斧を構えた。その動きに習って木こり達も武器を構えた。


 ここにいる者、全員が眷属に成り下がったか。

 さて、どうしようかな。

 戦うか、門まで逃げるか。

 構えながら考えていると


「どうしたんだみんな!?」


 ティンモが仲間たちの豹変に狼狽し、辺りを激しく見渡している。彼は黒い靄に支配されていない。


 なんで支配されていないんだ?


 疑問があるが、今は放置だ。

 眷属集団のすぐ近くに、正気の奴がいるなんて、悪い予感しかない。


「なんでそんな、怖い顔に?」

 

「あんた、今すぐそいつらから離れて、逃げろ」 


 あたしの警告にティンモが「え?」と声をあげる。依代シーンに気づいていないから、現状を全く理解できていない。


 この場合、把握出来たあたしが異常なんだろうけど。


「そいつらはもうあんたの知ってるヤツらじゃない。早く離れろ」


「何を言ってるんだ! ここにいる皆は幼なじみだ。俺が一番良く知っている」


 ナルベルトの視線があたしから彼に移った。

 非常にマズイ。と直感する。


 「ティンモ」と、ナルベルトが呼びかける。

 ティンモはパッと木こり達に体を向けた。


「ナルベルト。それに皆も。あの子に向かって武器構えて。一体どうしたんだよ?」


「早く離れろ! そいつら災いに支配されている!」


 最終警告でそう叫んだが、ティンモは「はぁ?」と変な子を見るような視線を向けてきた。


「あの子、急に何いってんだ? なぁ、みんな」


 ティンモが呼びかけると、ナルベルトが斧を握る手に力を込めながら、低音で嗤った。

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