第211話 疑心者は魔王に救いを求める③

「そんなことはないよ」


 澄んだ声が草原に響く。


「ごめん旅人さん。ナルベルトが大変失礼な事を言った。だから、そんな事は言わないでくれ」


 ティンモが申し訳ないと言わんばかりに頭を下げた。


「この村に旅人さんが来てくれた事、皆、本当に嬉しかったんだ。霧が消えていなくてガッカリした人が大勢居るけど、俺は逆に希望がみえた。霧は部分的に薄くなっているかもしれない。と希望が持てたんだ」


 ティンモの言葉に木こりの半分が頷き、もう半分が疑心の眼差しを宿した。


「ティンモの話は確証がない。待っていれば霧が消えるなんて思えない」

 

「俺は行かせるのは反対だ。みすみす見殺しにするようなもんだ。子供に背負わせる事じゃない」


「でも、突破して来れたヤツだろう? なら、霧を超えられる可能性は高いんじゃないか?」


 反対する者と賛成する者が意見を交わす。

 その合間に、


「あいつの荒れる気持ちも分かるが、さっきのは完全に言い過ぎだ。俺たちも止められず、すまない」


「言い訳になるが、ナルベルトは時間がないんだ。あいつの気持ちも察してやってくれ」


 木こり達があたしに軽く謝罪した。

 別に気にしてない。と返事を返す。


「しかし、こいつが、薬を」


 放心状態のナルベルトが呟くと、ティンモが傍に寄り添う。肩に手を添え、俯く彼を宥めた。


「もうよさないかナルベルト。旅人さんの言葉を信じるんだ。もし本当に薬があるなら分けてくれたはずだ。でも無いと言い切っている。無いものはないんだ。仕方ないんだよ」


「ティンモの言う通りだ。奥さんの容態が悪化したのはわかっている。だけど彼女に当たるのは筋違いだろう?」


「外に助けを呼びに行くと言ってくれてるんだ。賭けてみようじゃないか」


「そうだ」


 木こり達がナルベルトに声をかけ始める。ナルベルトは無反応だが、彼らの言葉できっと落ち着くだろう。


 そして、あたしが森へ入るのを良しとしたようだ。

 助かった。

 これならトラブルもなく外へ出られる。


 あたしがそう安堵した瞬間。


『だまれ、おまらにおれのなにがわかる』


 ベルナルトの体から、エコーのかかった声が大音響で響いた。

 

「!?」


 しかし、木こり達は聞こえていないようだ。


『じかんがない。くすりをつまにあたえなければしんでしまう。まつじかんなんてない』


 俯くナルベルトの体から、もう一つの黒い影が立ち上る。殺気の塊のような影が天を仰ぎながら大声を張り上げた。


『たびびとがくすりをわたさない。おれたちをみごろしにするつもりだ。にがすものか。くすりを手に入れるまでは絶対に諦めない』


 陽炎のように揺らめきながら、黒い影が天にゆっくり伸びあがる。

 と、同時に空の一部が暗雲で覆われた。

 

 底冷えするような忌まわしい気配が周囲に漂う。近くにいては巻き添えを食らう予感がして、あたしはナルベルトと更に距離を開ける。


 通常なら、対策練るために一時撤退を選び門へ向かうのだが、ぬっとりとした気配に絡め取られたように、体が上手く動かせない。


【のぞむ】


 暗雲に覆われた空から魔王の声が響いた。

 それに呼応するようにベルナルトは上を見上げる。

 彼は毒を食らったような、苦悶の表情だった。


 血走った目に、己の舌を噛み千切らんばかりに噛みしめた口、体中緊張しているのか筋肉の痙攣が伺える。


【のぞむ……か?】


 この声が聞こえたのはベルナルトとあたしだけだ。木こり達はまるで時間が止まったようにピクリとも動かない。

 

「ああ、ああああああああ」


 ナルベルトは天からの声に歓喜の涙を流しながら、血反吐を吐くようなだみ声で応える。


「望む、望む!! 今すぐでないと、間に合わないんだ、助けてくれ、助けてくれ……神でも魔王でも誰でもいい。誰でもいいから俺の望みを叶えてくれぇ。妻を助けてほしい、子供が産まれてきてほしい。村から災いを消してほしい。望む代わりに、貴方様の望みを叶えるから。俺が必ず貴方様に成るかた」


【のぞむ】


「薬だ。今すぐ薬がほしい、助けるために薬をよこせ、薬が手に入るだけでいい、どこにある、取り上げる、奪う、俺のものだ、薬は全て俺のものだ、俺は妻を殺そうとする奴らに災いを与える!」


 ナルベルトは必死に天に呼びかけた。

 自らの体から伸びた黒い糸を握り、引き寄せようとする。


「そして、姫のためにこの地に災いを根づかせる! 俺の全ては姫のためだ!」


 天に広がる魔王がニタリと嗤った気がした。


【かなえよう】


 暗雲から、スウウっと一筋の水滴が垂れる、ベルナルトへ降りる。

 否、水滴ではない。黒い人型が両手を広げてナルベルトの頭上へ落ちてきた。


【我と同じ物を望む者よ、汝は我だ】


「貴方は俺だ」


 水の落ちる速度で魔王はベルナルトの中に吸収された。


「……」


 あたしは悪寒を感じながら、ナルベルトが依代に変化する様を棒立ちで眺めていた。

 強烈な邪気に中てられ恐慌状態に陥ってしまい動けない。

 動けていたら、盛大に頭を抱えていた。


 うわぁ、なんてこった……。

 魔王が猛威を振るっている場所でも、誰かが渇望すれば新たに魔王が誕生出来るなんて。

 そんなの有りか!?


 一つの場所に一つの災い、ではない。

 そもそも場所なんて関係なかった。


 人の数だけ、願う数だけ、災いの依代と成り得るなんて。これは酷い。

 同エリアで同時刻に災いが多発することも有るって事だ。


 絶望しかないぞこれ!

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