第206話 旋回する質問と渦巻く暗鬼⑬


「村長は手の甲にと……」


とマーベルが乾いた声で呟き


「ちょっと失礼しますね」


 リヒトの許可を得ないまま勝手に彼の腕の袖をめくる。彼の皮膚は湿疹の名残のような薄い赤が二個ほど見えるが、肌の色と区別がつかない。

 打ち身の痕じゃないな。しまった。軽く叩いておけばよかったか。


 マーベルは目の周りの皺を押し上げるように目を見開き、穴が開くほどジッと、腕を見つめた。瞳が動揺したように揺れているのが分かる。


 無礼な老婆を殴るかもしれないと、あたしは一瞬ヒヤっとしてリヒトの顔色を窺う。彼は嫌そうに眉をしかめただけで拒絶はしなかった。


「なにも、ありませんね……」


 肩透かしをくらったように呆けながら、マーベルはそっと袖を元に戻す。そして数秒無言になり、ため息をついた。ゆっくりとリヒトから距離を取ると、恭しく頭を下げた。


「申し訳ありません。腕を見せていただき有難うございました。どうやら村長の誤診のようですね。旅の方が発病していなくて良かったです」


 マーベルが安堵した笑顔を見せた瞬間、リヒトの顔が引きつった。おぞましい生物を見たかのように眉をしかめると、すぐにマーベルから視線を外して、椅子を動かしてまで距離をとってから食事を続ける。


「村長が脅すような言い方をして申し訳ありません。でも分かってください。彼も貴方を心配していたのです」


「……」


「気分を害したのは謝ります」


「……」


 リヒトが完全にマーベルを無視したので、彼女はあたしに話しかけた。


「お連れ様がご無事で良かったですね」


 いや誤診ではない、治っただけなんだ。とは言えず、あたしは「そうだな」と頷く。


「症状を把握していないないから不安だったが、そう言って貰えるとホッとする」


「そうですね。………良かったですね」


 マーベルは笑顔だったが、あたしはその笑顔を見て背筋が凍るような思いがした。

 本心なのかそうではないのか、腹に何を思ったのか、想像は出来るが考えたくはなかった。


 料理を食べ終わったリヒトは若干軽蔑した眼差しを向けつつ、マーベルに話しかける。


「今日の昼でここを去る」


 マーベルが「え?」と答え、あたしは「え?」と聞き返す。


 寝耳に水なんだけど。

 そう思ったが、訂正は入れないでおいた。

 成り行きを見守ろう。


 マーベルは驚きで目を見開く。垂れ下がった瞼がパチッと開かれ、完全に目の形が見えるほどだ。


「今、村から、出る、と? おっしゃいましたか?」


「そうだ。早く助けが必要だろう。早急に手を打つよう伝えてくる」


 マーベルは言葉を選んでいるのか、口が開いたり閉じたりしている。


「本来なら来てすぐ引き返せばよかったんだが、俺がこのザマだったからな。すまなかった」


 はあ? 口先だけでも謝っただと!?


「え? いえ、そんな」とマーベルは狼狽して口ごもる。


「すぐに綺羅流れに連絡をして村に応援を呼び、この状況を打破する」


 リヒトは立ち上がりマーベルの肩を優しく掴む。頼れと言わんばかりの態度が、演技かかっているような気がする。


「貴方達が不安を感じる日々をこれ以上続けない様、全力を尽くす」


 いつもとは若干違う雰囲気を出しながら、マーベルの『何か』にむけて説得しようとしている。少々っていうかかなり芝居かかった言い回しだが、マーベルの信頼度がグングンあがっていくのを目の当たりにした。 『言葉巧み』ってああいうのを言うんだな。

 いや、どうしたよあいつ。びっくり仰天なんだけど。


 あたしはぽかんと小さく口を開けてリヒトを眺めた。

 明かりを消して二人だけにライトを当てたい気分だ。朝なので無理だけどな。


「あ……有難うございます! 有難うございます!」


 涙を浮かべたマーベルは憑き物が落ちたような……今度こそ本当に安堵したという希望に満ちた笑顔になった。

 それをみて、リヒトが半眼になり小さいため息をつく。

 老婆に安心感を与えたかったという話ではないと思う。

 あたしはまだ彼の真意が理解できなかった。

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