第7話

「どうだった? 三人とも、見つかった?」

「いや、駄目だ。見つからない。遠くへ行っているんじゃないかと思って駅まで行って聞いてみたんだがな、あの子たちらしき三人組は駅を利用していないみたいだ。防犯カメラにも、それらしき人物は映っていなかった」

「本当に三人とも、どこに行っちゃったのかしら……スマホに電話をかけても全然繋がらないし、メールにも返信がないし、送ったメッセージには既読すらつかないもの」

 朝美と夕美の父親である上条 春明とその後妻・上条 椿は途方に暮れていた。

 夕食までには帰ってくると言って出かけた娘たちと甥が、一晩経っても帰ってこない。遠くへは行かないと言っていたので、朝美と夕美はスマートフォンだけ、透真はスマートフォンとスケッチブックとペンケースだけしか持っていなかった。所持金は、出かける前に椿がお菓子やジュースでも買いなさいと三人それぞれに渡した千円札だけ。三人合計しても三千円にしかならない。だから、駅を利用したとしてもそこまで遠くには行けないはずである。

「もしかして、三人とも誘拐されちゃったのかしら? もしそうだとしたら……私、どうしたらいいの?」

「身代金目当ての誘拐なら、既に何かしらの連絡が来ていてもおかしくはない。一番怖いのは、殺人目的の誘拐だな。ひと気のない場所で惨殺して、遺体はそのまま放置……ということも考えられる」

「貴方、そんな縁起でもない話、止めてちょうだい! どうしてそんなこと言うの? 考えたくもないことを……勘弁してよ……」

 椿の顔色は一気に青ざめ、今にも泣きだしそうになっている。口もとは僅かに引きつっていた。

「変なことを言ってすまん……まぁ、とにかく美奈子と真一郎くんがもうすぐこっちに来るらしいから、二人が来たらもう一回手分けをして三人を探してみよう。今のところ、それしか方法はない」

「ええ、そうね……そうよね、私たちがしっかりしなくちゃいけないのよね」

 椿は不安げに両親を見上げる優太の頭を優しく撫でる。

「お兄ちゃんやお姉ちゃん、大丈夫だよね? 帰ってくるよね?」

「大丈夫。三人とも、ちゃんと帰ってくるわ。だから、優太は心配しなくてもいいのよ?」

「うん……」

 透真の両親が上条家に到着したのは、それから十五分後のことだった。

  ○

 透真の両親、桂木 真一郎と桂木 美奈子は息子が行方不明になったと美奈子の兄夫婦から連絡を受け、伊川町へ向かって車を走らせていた。

 ある日、突然透真は何も告げずに家から出ていった。美奈子が彼を起こしに部屋に行った時にはもう既にもぬけの殻で、書き置きすら残っていない状態。

 残された家族三人が、透真が誰にも見つからないよう早朝に家出をしたと理解するまでにかなりの時間を要した。美奈子は狼狽えて取り乱し、真一郎はそんな彼女を叱り飛ばし、透真の兄の真悟は必死になって二人をなだめる。

 今まで透真が行き先も告げずに家を出たことは一度もない。三人とも家出の原因を考えてみたが、数日前の進路に関しての喧嘩以外に思い当たる節がなかった。

 三人が心配して連絡を取ろうと試みたものの、真一郎と真悟の電話番号は着信拒否され、美奈子の電話は完全無視。メールにも一切返信はなく、メッセージアプリに送ったメッセージは一向に既読がつかない。

 不安な気持ちをどうにかして抑え、二人は上条家の門をくぐった。


「二人とも忙しいのに、よく来てくれたね」

 真っ先に真一郎と美奈子を迎えたのは春明だった。一晩中三人のことを探していたらしく、彼の目の下には濃い隈ができている。春明に続いて出てきた椿は、憔悴しきっていて元気がない。

「気にしなくてもいいのよ、兄さん。我が子の一大事ですもの。探しにくるのは当たり前のことだから。真悟も、仕事が終わったらすぐにこっちに来るから。こういう時、人は多ければ多いほどいいわ」

「それにしても透真の奴め……俺たちだけではなく、義兄さん夫婦にまで迷惑をかけるなんてとんだ大馬鹿者だ。親に従わずに、逆らってばかりで。だから罰が当たったんじゃないのか?」

「貴方、そんなこと言わなくてもいいじゃありませんか」

「美奈子、お前は黙ってろ! 全く……こっちも仕事で忙しいというのに。あの出来損ないめが」

 真一郎はそう言いながら不満げに鼻を鳴らす。自分の発言がこの場を白けさせているということに全く気がついていない。

「……真一郎さん。貴方今、なんと仰いましたか?」

 ゾッとするような低い声で、椿が真一郎に問うた。

「は? 椿さん、何って……」

 椿の気迫に真一郎は思わずたじろぎ、数歩後ろに後ずさる。

「この非常事態に、よくも我が子のことを〝出来損ない〟呼ばわりできますね? 貴方、一体どういう神経してるんですか? 頭がおかしいんじゃないですか? 普通、こういう時にそんなこと言わないし考えたりしないですよね?」

 ドスの利いた声で、椿は真一郎のことをなじる。春明の制止を振り切り、彼女は真一郎のシャツの胸ぐらを掴む。そして聴くに堪えない罵詈雑言を真一郎に浴びせかける。

 これ以上は危険と判断した春明と美奈子が止めに入っても、椿はずっと真一郎に対して罵詈雑言を言っていた。美奈子がどうにかなだめすかしても、なかなか彼女は止まらない。

「真一郎さんの言動、ずっと前から不愉快に思ってたんです。もう二度と、私の前でそんなことを言わないでください。言ったら今度はただじゃ済みませんからね」

「分かった、言わないから! だからもう勘弁してくれ、頼む!」

「これ以上言い争いをしても埒が明かないし、三人が帰ってくるわけでもない。日没までまだ間があるから、手分けしてあの子たちを捜そう」

 春明の指揮のもと、大人たちは我が子を捜すため、上条家を後にした。無事に見つかることを祈りながら。


 美奈子は兄から聞いた話を持っていたメモ帳に書いて整理する。


 ・三人は昼食後、夕食までには帰ってくると言って出かけて行った。

 ・所持品について……朝美と夕美はスマートフォンのみ。透真はスマートフォンに加えてスケッチブックとペンケースを持って出た。

 ・所持金について……椿さんがあげた三千円(一人千円ずつ)のみ。それ以外の金品は持っていない。

 ・三人が伊川駅を利用した形跡はない。駅員に頼み込み、防犯カメラの映像を見せてもらって確認済みである。

 ・警察には行方不明者として届出済み。近いうちに捜索があるかもしれない。


「電車を利用していないとなると、行動範囲は限られてくるのが普通だが……」

「この小さな町なら、すぐに見つかりそうなのに。兄さんの言っていた通り、あの子たちは誘拐されてしまったのかしら?」

「普通に考えたらその可能性が一番高いだろうな。あまり考えたくはないが、酷い目に遭っているのかもしれない。そんなこと、あってほしくはない。無事でいてほしいがな……」

「ああ、透真……無事でいてちょうだい」

 美奈子は持っていたメモ帳をきつく握りしめる。

「取りあえず、あの子たちが行きそうなところを中心に探してみるしかないんじゃないか? 義兄さんたちは、まだ探していない場所があるといっていたから」

「三人が行きそうなところ? うーん、そうね……どこかあるかしら?」

 あの子たちが行きそうなところはどこだろう? 美奈子は考えてみる。

 小学生のころは実家に帰省する度、日が暮れるまで姪たちと外で遊んでいた。が、中学生になるとほとんど外では遊ばなくなってしまった。夏休みの課題をこなしているか、絵を描いているだけ。

 あの子、どこに絵を描きに行っていたっけ? ――確かお稲荷さんによく行っていた。それだけじゃない。あの神社はあの子と姪たちの遊び場でもあったはず。美奈子自身も、子どものころはよくそこで兄や友人たちと遊んでいた。

「常世稲荷神社は? あの子たち、よくあそこで遊んでいたわ。あそこはまだ探していないはずよ」

「そうか。じゃあ、そこに行ってみよう」

 真一郎は車を発進させた。

 常世稲荷神社は車であれば上条家から五分とかからない場所にある。そのたった五分に満たない時間でさえも、美奈子たちには気の遠くなるような長い時間に思えて仕方がない。

 やがて右手に、それなりに大きな朱塗りの鳥居が見えてきた。青々とした木々や稲穂の中で、朱塗りのそれはひときわ目立つ。

 真一郎は鳥居のすぐ傍にある駐車場と呼ぶにはいささか狭い駐車場に車を停める。

「もし、行っても手掛かりがなかったら? 他にあの子たちが行くような場所なんて分からないのに」

「美奈子、今は何も考えるな。とにかく、行ってみるかないだろう。手がかりくらいはあるだろうさ、きっと」

「そうだといいんだけど……」

 二人は車から降りると、急ぎ足で神社へ続く長い階段を昇っていく。

 神社の境内が近づいていくにつれて、暑いのがだんだんと涼しくなっていき、うるさい蝉の鳴き声も少しずつ遠くなっていく。しかし、二人はわが子のことしか頭になかったので、自分たちの周囲で起こっている変化に全く気が付いていなかった。

 二人が異変に気が付いたのは、階段を昇りきってからのこと。

 先に気が付いたのは真一郎だった。

「なぁ、美奈子。なんだか急に涼しくなってないか? 境内に来る前はあんなに暑かったのに」

「え? ……確かにそうね、涼しいわね。車から降りたときはとても暑かったんだけど、今はとても涼しい。いえ、むしろ寒いくらいだわ」

「それに蝉やら鳥の鳴き声が全く聞こえてこない。おかしいとは思わないか?」

「本当だわ……これは一体、どういうことなのかしら? こんなこと、普通なら絶対にありえないことなのに」

 二人はこの不思議な現象に訝りながらも、手がかりを求めて社務所へ向かう。

 社務所は社のすぐ脇に建っていた。

 窓は全て閉め切られ、カーテンが引かれているせいで中の様子は分からないが、この時間帯なら確実に誰かいるはず。そう思い、美奈子はドアの脇にあるインターホンを鳴らしてみる。

 ややあって、間延びした返事が返ってくる。鍵を開ける音がして、ドアが開く。姿を現したのは二人と同年代の男性だった。

「えーっと……何か御用でしょうか?」

 男性は突然の来訪者に戸惑っているようだった。

「お忙しいところ、突然申し訳ありません。実は一昨日の昼ごろから息子と姪二人の行方が分からなくなっていまして。この神社に来たのではないかと思い、訪ねてきた次第なのです」

「はぁ……そうなんですか。それは大変ですね」

 男性はどう対応していいかどうか困っているようだった。

「一昨日の昼一時半ごろから二時半にかけて、ここに誰か来ていませんでしたか?」

「その時間帯ですと、私はここにいませんでした。社務所も無人の状態でしたので、誰がここに来たとかそういうことは一切分かりません。ですが、帰ってきた時に社務所の前にスケッチブックとペンケースが落ちていました」

 そう言って男性は一旦奥に引っ込むと、スケッチブックとペンケースを持って戻ってくる。

 差し出されたのは濃いグリーンの表紙のスケッチブックと水色のペンケース。スケッチブックの表紙の片隅に、小さく桂木 透真と名前が書かれている。これは間違いなく透真のものだ。

「これは間違いなく、息子のものです」

「そうですか。表紙の裏側に書いてある携帯電話の番号に電話をかけてみたのですが、繋がらなかったんです。おかしいな、とは思ったんですが、まさか行方不明になっていたとは……」

「ここに来たのは確かなようね。その後どこに行ったのか、それを突き止めないといけないわ。スケッチブック、拾ってくださってありがとうございました」

「いえ、とんでもない。大した力になれなくて申し訳ないくらいです」

 二人は男性に礼を言って社務所を後にした。

 かなりの時間男性と話をしていたにもかかわらず、境内は相変わらず薄ら寒い。そして、なんの音もしない。蝉の鳴き声も、鳥のさえずりも、風が揺らす木の葉の音さえも。

 薄気味の悪さを覚えた二人は急いで境内を後にし、車を停めている駐車場へ向かう。


 階段を降りている最中、どこからともなく笑い声が聞こえてきた。その笑い声に、二人は思わず足を止める。

「え、何? 笑い声が聞こえてくるんだけど……」

 笑い声は小さな子どものようで、複数いる。どことなく人を小馬鹿にしているような、そんな感じの笑い方だ。聞いていて気分のいいものではない。

「だ、誰かいるのか? いるんだったら笑っていないで、姿を見せるんだ!」

 真一郎が何とか平静を装って叫んでみても、誰も姿を現さない。

「私たちの事を馬鹿にしているのか? 姿を現さないなんて、何と卑怯な奴らだろう!」

 卑怯な奴ら。

 真一郎がその言葉を言い放った瞬間、風など全く吹いていなかったのに、周囲の木々を薙ぎ倒さんばかりの強風が吹いた。

「ちょっと、今度は何なの?!」

「分からない! 何故、こんなことに……?」

 あまりの風の強さに二人はどうすることもできないでいた。進むことはおろか神社に戻ることも不可能な状態で、その場に立っていることしかできない。そんな状態でも、相変わらず気味の悪い笑い声は聞こえてくる。

「もしかしてこの笑い声、お稲荷様のものなんじゃないかしら? 貴方が卑怯な奴ら、なんて言ったから、きっとお怒りになっているのよ。お稲荷様は」

 美奈子は子どもの頃から両親にお稲荷様を馬鹿にしてはいけないと、耳にタコができるほど聞かされてきた。馬鹿にしたが最後、恐ろしい罰を受けることになる、と。

「そ、そんな馬鹿なことがあるわけがないだろう。目に見えるわけがないのに、信じられるはずがない!」

 そう真一郎が吐き捨てるように言うと、風がより一層強くなる。二人は立っていることすらままならない。

「ほら、そんなこと言うから! 謝って、今すぐ!」

「も、申し訳ありませんでした! どうか許してください、お願いします!」

 真一郎が謝った途端、それは唐突に止んだ。笑い声も突風も、跡形もなく消え失せた。それと同時に、暑さと音が戻ってくる。

「何だったんだ、今のは……」

 怖くなった二人は、慌てて駐車場まで戻り、車に乗り込む。そして急いで車を発進させる。こんなところには居たくない、その気持ちでいっぱいだった。


 朝美と夕美がアルバイトをしている隣市のショッピングモールに入っているファーストフード店から帰る途中、春明のスマートフォンが鳴った。ディスプレイを見ると、美奈子と表示されている。

 三人が見つかったのかもしれない――

 春明は逸る気持ちを抑えて通話ボタンをタップして電話に出た。

「もしもし」

「もしもし、兄さん? 今、大丈夫? 話せるかしら?」

美奈子の声は震え、僅かに上ずっている。おまけに彼女にしては珍しく早口だった。

「ああ、話せるけど。どうした美奈子、大丈夫か? 何か変だぞ、お前」

「透真のスケッチブックとペンケースが見つかったの」

「何? それは本当か! 一体どこで?」

 三人が見つかったわけではなくて残念だったが、手がかりが見つかった。大きな進展だと春明は少し嬉しくなる。

「本当よ。常世稲荷神社で見つかったの」

「……常世稲荷神社か。近くにあるのに、見落としてたな」

 常世稲荷神社なら、行っていてもおかしくはない。朝美や夕美は子どものころ毎日のように遊びに行っていたし、透真も長期休暇で帰省した時は娘たちと連れ立って日が暮れるまで遊んでいた。

「誰か目撃した人はいないのか? ほら、社務所の人とかさ」

「社務所の人に聞いてみたんだけど、その人、午後一時半から午後三時半まで所用があっていなかったみたいなの。帰ってきたら、社務所の前にスケッチブックとペンケースが落ちてたって」

 表紙の裏に書いてあったスマートフォンの電話番号にかけてみても繋がらなかったという。

 その人物の言うことが本当であるならば、午後一時半から午後三時半までの間に、三人は神社を訪れていることになる。そして、透真が命の次に大切にしているスケッチブックとペンケースを置き去りにしてしまうような何かがそこで起こったのかもしれない。

「それから言いにくいんだけどね……神社に行ってから帰るまでの間、ちょっと変わったことがあったの」

「変わったこと?」

 美奈子はぽつりぽつりと話を始めた。

 まだ太陽が高い位置にあって暑い時間帯だというのに、神社の境内が薄ら寒かったこと。蝉やら鳥類の鳴き声やさえずりが全くしなかったこと。そして帰り道に聞いたという謎の笑い声と突風。

 特に謎の笑い声に対して美奈子は怯えているようだった。姿を現さない声の主に向かって真一郎がなんて卑怯な奴らだと言った途端、猛烈な風が吹いたのだという。

 美奈子が言うには、自分たちがお稲荷様の怒りに触れるようなことをしてしまったのではないか? だから三人は神隠しにあってしまったのではないか? 彼女は言いながら泣き出してしまった。もっとあの子の話を聞いてやれば良かった、と。

「ああ、確かに父さんたちが言ってたな。お稲荷さんを怒らせたらいけないって」

「ええ、だから怖いのよ。何かあるんじゃないか、って」

「お前さぁ、気にし過ぎだって。大丈夫だよ。俺、一旦家に帰るから、そこで話そう」

「分かったわ。私たちも一旦家に帰るわね。それじゃあ、また」

 そう言うと美奈子は通話を切った。

 春明は急いで駐車場まで戻り、車に乗り込む。そして慌ただしく車を発車させる。

 妹には心配するなとは言ったものの、春明は妙な胸騒ぎを覚えた。何か良くないことが起こりそうな、そんな気がしてならない。

「本当に何もないといいんだがな……」

 ショッピングモールを出た車はグンと加速して、伊川町へと戻っていく。

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