第6話

 大河の言うとおり森の中は暗く、足もとは鬼火たちが照らしてくれていても見えにくい。透真たちは何度も木の根に足を取られ、転びそうになる。

「痛っ! また木の根っこに引っかかった。これでもう十回目だよ? 本当に嫌になっちゃう……

「本当に暗いですね、この森は。陽がほとんど差し込まないなんて。まだ昼過ぎで、日没までかなりの時間があるっていうのに」

 木はどれも異様に背が高く、空を覆い隠すようにそびえ立っている。

「彩瀬の話によると、なんでも伏見家の初代当主が日光にあたるのが大嫌いで、家の周りにこれでもかと木を植えたんだと。その結果がこれさ。笑っちゃうよな」

 常世町の子どもたちは毎年この時期になると、ここで度胸試しをすると大河は話す。この森を抜けて、伏見邸の裏手にある大きな石碑にお参りをする――これを誰にも頼らずに一人でこなさないといけない。そうでなければ、一人前の妖怪にはなれないのだという。こればかりは人間も妖怪も変わらないらしい。

 そんな話を聞いているうちに、四人は開けた場所に出た。急に明るい場所に出たので、眩しくて目を細めてしまう。

 目の前には三毛崎邸と同等の大きさの屋敷が建っていた。

「ここが伏見家……妖狐たちの元締めたちの住んでいる屋敷さ」

 鬼火たちはそれを示すかのごとく、屋敷の中に入って行く。まるで吸い込まれるかのように。

 それらが屋敷の中に入ったと同時に、入れ替わるように桐子たち兄妹が姿を現した。

「あれ? 彩瀬と涼音も来てたのか」

「ええ。店の方は早めに閉めました。開けていても、町の皆さんはマヨイのことでそれどころではありませんからね」

「こんな時に開けていても仕方がないからな」

 涼音の話によると、町の住人たちはマヨイを恐れて家からほとんど出てこないのだという。当のマヨイたちは今のところ目立った行動は起こしていないものの、それも時間の問題だということだった。彼曰く、いつ問題を起こしてもおかしくないらしい。

「だから四人とも、早く中に入ってちょうだい? お父様たちが待ってるから。私たちが案内するわ」

 兄妹に急かされながら、四人は屋敷の門をくぐる。


 黒々とした廊下を七人は進んでいく。

 屋敷の内部も三毛崎邸と遜色なかった。至るところに歴史を感じさせる。唯一違っているところといえば、恐ろしいほど静まり返っていることだろうか。あちらは住んでいる一族の猫又たちの息遣いがあちこちから聞こえてきたのだが、こちらにはそれがなく、歩くたびに発生する床が軋む僅かな音しか聞こえない。

「三毛崎さんのところに比べたら、静かでしょ? ここには私たち兄妹の両親と、おじい様とおばあ様しか住んでいないの。あとは女中さんと料理人さんが数人だけ。一族の者たちは町の各地に散らばっていて、年末年始くらいしかここに集まらないのよ」

 先頭を歩く桐子は淡々と話す。

 廊下を右に折れ、しばらくすると左に折れる。今度は十メートルも進まないうちに右に折れる。それを何度も繰り返す。

「……ねぇ、おかしくない? ここ、さっきも通ったような気がするんだけど」

 夕美の言葉に、朝美と透真も頷く。

「先に進んでいるような気が全くしないんだよな」

「一体、どういうことなのかしら? 四人は平然としているし……おかしいわね」

 この屋敷の構造は一体どうなっているのだろうか? 先ほどから同じところをぐるぐる回っているだけで、進んでいるような気がしない。困り果てている三人をよそに、兄妹も大河も顔色ひとつ変えることなく歩いている。

「あのっ、ひとつ聞きたいことがあるんですけど――」

 透真が先を歩く四人に声をかけたちょうどその時。ようやく桐子たちの足が止まった。いきなり立ち止まったので、透真たちはすぐ前にいた彩瀬と涼音にぶつかりそうになる。

「三人ともお疲れ様。この部屋で、お父様たちが待っていらっしゃるわ」

「父上、お待たせしました。件の人間たちを連れてまいりました」

 彩瀬が幾分緊張した面持ちで透真たちの来訪を伝える。

「入りなさい」

 間髪入れず、障子の向こうから深みのあるバリトンが聞こえてきた。それと同時に障子が音もなく、ひとりでに開く。半ば引き寄せられるように、三人は部屋の中に入った。


 通された部屋には伏見家の長らしき男性とその妻らしき女性、そしてどちらかの両親と思われる老人二人の四人がいた。

 透真たちは四人の正面に座るよう桐子に促され、彼らの射抜くような視線に耐えながら、どうにか指示された場所に座った。兄妹と大河は透真たちの左斜め後ろに座る。

 四人とも細面ではあるが、狐らしさはほとんどなく、そうだと言われなければ狐だとは分からない。いくらか狐らしさの残る兄妹とは大違いである。恐らく、化けている年数の違いだろう。

「初めまして。私は妖狐たちの長、伏見 紫萱。そちらにいる三兄妹の父親です。こちらにいるのは妻の咲穂、そしてこちらは私の父であり先代の千萱、その隣は私の母の紫乃」

「紫萱、自己紹介はそのくらいにおし。よそ様――しかも人間にうちのことをベラベラと喋るもんじゃないよ」

 母親らしき老女――紫乃は紫萱にきつく言った。

「まぁ、いいじゃないか。それくらい、減るもんじゃなし」

 千萱は紫之を窘めたが、咲穂は何も言わない。

 紫萱はひとつ大きな咳払いをすると、細い目をカッと見開いて透真たちを見据えた。三人とも、まるで金縛りにあったかのように動けなくなる。

「なるほど……確かにマヨイを生み出してしまうほどに魂が汚れ、疲れ切っているな。憎しみと憎悪が身体を支配していて……しかし魂はそれに何とか対抗しようとしている。が、劣勢だな」

 紫萱に心の中を好き勝手に覗かれ、透真はとても気持ちが悪くなった。一刻も早く彼を追い出したい気持ちでいっぱいだったが、動けないせいで抵抗できない。

 ちらりと隣の目をやると、朝美も夕美も苦しそうな表情を浮かべている。どちらも表情は引きつり、今にも泣きだしそうだった。

「お父様、どうかそのくらいにしてくださいませんか? 三人とも、とても苦しんでいます。やめてあげてください!」

 桐子が止めに入ったことで、ようやく紫萱は三人から手を引いた。まだ調べたりないのか、少し不満そうにはしていたが。

 金縛りが解けて、ようやく動けるようになると、先ほどまでの気持ち悪さ嘘のように消えていった。

「ここまで心をマヨイに侵食されていながら、正気を保てているのが不思議なくらいだよ、君たち。本当なら、根負けしてもおかしくはないというのに。だが、飲み込まれるのも時間の問題だ」

「それ故に、対応を急がなくてはなりません。伏見家の持っておられる封邪の宝珠を、どうか渡してはいただけないでしょうか? それがマヨイを封じる、唯一のものだと祖母は申しております」

 大河は早口で捲し立てた。かなりの格上相手に緊張しているのだろう、彼の顔は真っ青で身体は小刻みに震えている。

「話は娘から聞いている。だからそう畏まらずともいいぞ、若き猫又よ。現世と常世、双方の安寧を守るために必要とあらば、この宝珠は喜んで差し出そう」

 紫萱は己の傍らに置いていた木の箱を開け、透真たちの前に差し出す。それを朝美が丁重に受け取り、自分の前に置く。中に入っている宝珠は三毛崎邸にあったものと同じように青く淡い光を放っていた。

「三人とも、先ほどは失礼をしたね……何の断りもなく、君たちの心の中を覗いてしまって。さぞかし不愉快な思いをしただろう」

「な、何とか大丈夫です。少しだけ、気持ち悪かったですけど……」

 朝美と夕美は何度も首を縦に振る。二人とも顔が若干青白く、元気がない。無理もない、許可も得ずにいきなり心の中を好き勝手に覗かれたのだから。相当ショックだっただろう。

 透真は気分が落ち着いてくるにつれ、だんだんと腹が立ってきた。何故、人の心の中に許可なく土足で上がりこんで好き勝手なことをするんだ、と。

「無理はなさらないで。お三方とも顔色が優れないようですわ。本当はまだ、体調が優れないのでしょう?」

 一切口を開かなかった咲穂が、ここに来てようやく口を開いた。

「いえ、本当に大丈夫ですから」

「そんなことを仰って……お三方ともお顔が真っ青ですよ? しかも震えてらっしゃるじゃありませんか。お可哀相に……貴方、やり過ぎですよ。もう少し、加減してくださいまし」

「加減しろと言われてもなぁ。あれ以上はもう、手加減できないんだよなぁ」

 咲穂は隣に座る紫萱を睨みつけた。妻には頭が上がらないらしく、紫萱は怖い怖いと言いながら肩を竦める。

「さて、残りの宝珠はあとひとつだけ。守護しているのは御神犬一族――真神家だ」

 紫萱曰く彼らは神の使いたる存在の狼で、気位の高いものが多く、ちょっとしたことでもすぐに機嫌を悪くしては暴れるという。そして三毛崎家とはずっと昔から仲が悪い。

「ずーっと前から小競り合いばっかりしてるんだよな、あそこの家と。だから俺が行ったところで、門前払いされる。確実にな。用件すら聞いてもらえないだろうな、きっと」

 大河のうんざりしたような口ぶりからして、相当仲が悪いことがうかがえる。

「まぁ、その可能性はかなり高いわね。じゃあ、今度は私が代わりに行くわ。私なら、きっと話を聞いてくれるでしょうし」

「うん。それがいい。下手するとお互いの顔を見ただけで喧嘩に発展しかねないからな。そうしてもらえると、こちらとしても助かる」

 桐子の提案に、大河は心底安堵したようだった。うんざりしたような表情が、一気に軟化していく。

「大河くんはそろそろ家に帰った方がいいんじゃないのかい? あんまり遅くなると、八千代ばあさんが大騒ぎするだろう?」

 千萱の言葉に、全員が時計のある方を見た。

 部屋の柱に掛けられた時計は、既に午後七時半をさしていた。大河の顔が、今度はみるみるうちに青くなっていく。

「え? もうこんな時間なの? すいません皆さん、俺はこれで失礼させていただきます!」

 大河は慌てて立ち上がると、挨拶もそこそこにして部屋をあとにした。人の姿で走るのがもどかしいのか、本来の姿に戻って走っている。

「騒々しい子だね。ああいう子は嫌いだよ。礼儀ってもんがなってなくて」

 紫乃は不満そうに鼻を鳴らす。この人は不満を言わないと気が済まない人なのだろう。可哀想な人だ、と透真はそう思うことにした。

「母さん、そう言わなくてもいいだろう。大河くんはまだ若いっていうのに、未来の当主としての責務をちゃんと果たしているじゃないか」

 人間である透真たちのいる前で息子に窘められたことで気分を害したのか、紫乃は黙って部屋を出ていってしまった。

 沈黙が流れたのはほんの一瞬のこと。千萱の咳払いで破られた。

「妻が失礼なことをしたね。申し訳ない。後でキツく言っておくから、どうか勘弁してほしい」

「真神には明日向かうことにしよう。君たちは今晩はここに泊まっていきなさい。彩瀬と涼音は透真くんを、桐子は朝美さんと夕美さんを来客用の寝所に案内しておあげ」

 はい、と三兄妹が返事をしたのと同時に、三人はいつの間にか客間の前の廊下に立っていた。

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