第4話

 時計の針が午前七時ちょうどをさす頃、透真たちは桐子に起こされた。

「おはよう、諸君。朝だよ! ご飯が出来てるよ!」

 大声を上げながら部屋に入ってきた桐子は三人を跨いで窓際まで進み、閉じてあったカーテンを勢いよく開けた。窓越しに差し込んでくる朝日が眩しいので、透真たちは目を細める。

 三人とも寝不足のせいなのか頭が痛く、差し込む朝日が痛みを余計に酷くさせた。

「三人ともよく眠れた……ってわけじゃなさそうね。大丈夫なの?」

 のろのろと起き上がる三人を見て、桐子は眉を顰める。

「うーん、どうなんでしょう? 頭が痛いです」

「ちょっとヘンな夢を見てしまって。それで眠れなくなってしまったんです。ああ、頭が痛い……」

「私と朝美は、午前二時からずっと起きてるんですよ。あと、私も頭が痛くて……」

「それは大変ね。今日はきっと長丁場になるでしょうから、体調が悪いと辛いかも……三人とも、前髪を上げて額を出してみて」

 透真たちは桐子に言われるがまま、前髪を上げて額を晒す。

 桐子はまず手始めに夕美の額に手を当てた。すると、みるみるうちに夕美の頭から痛みが引いていき、青白かった頬に赤みが差していく。次いで朝美と透真の額にも手をかざす。二人の頭痛も夕美と同じように、あっという間に消えていった。

「痛みが……消えてる? 桐子さん、どうやって痛みを消したの?」

「神通力を使ったのよ。人間に対して無暗やたらと使ってはいけないって言われてるから、あまり使ってはいないんだけど、今回は特別ね。だから兄さん達には内緒にしておいてね」

 桐子はそう言い残し、階下へと降りていく。透真たちも立ち上がって、後を追うように階下へと降りていく。



「皆、おは……よう……」

 六人で朝食を摂っていると、大河がやって来た。まだ眠いらしく、挨拶がだんだんと尻すぼみになっていく。目も半分しか開いていない。

「大河、おはよう。普段なら、まだ寝てる時間だものね」

「うん……」

「ほら大河、これでも食って目を覚ませ」

 彩瀬は黒い球状をした何かを大河の口に無理やり押し込んだ。

「……むぐっ、んん? ぐえっ、まずっ! 彩瀬、これなんだ?!」

 大河は苦しそうにのたうち回る。夕美が驚いて小さな悲鳴を上げる。

「さぁな。言うと飯がまずくなるから、秘密だ。でも安心しろ。猫が食べれないようなものは一切入ってないぞ」

「本当かぁ、それ……?」

 大河は一人ぶつぶつ文句を言いながら、涼音から手渡された湯呑みを受け取ると、番茶を一気に飲み干した。

「そう言えば、ここの時間の流れはあちら――僕たち人間の世界と同じなんですか? 昨日、聞きそびれちゃって」

「ああ、言ってませんでしたね。あちらとこちらの時間の流れは全く一緒。ですから、こちらもあちらも八月二日の午前七時十五分ということになります」

 涼音の話を聞いて、透真は肩を落とした。姉妹も同じように暗い顔をしている。

 間違いなく伯父たちは心配しているだろう。夕飯までには帰ってくると言って外出したのが、一晩経っても帰ってこないのだから。もしかすると、行方不明者として警察に届け出ているかもしれない。

「その様子だと、やっぱりあっちにいる家族が気になるか?」

「はい……今ごろ父さんたち、私たちがいなくなってすごく心配してるんだろうなって」

 朝美の目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。夕美は俯いて鼻を啜っている。

「それなら、早いとこケリをつけないとな。あのマヨイたちと」

「奴ら、ずっと町を徘徊してるみたいだ。今朝、根津さんが家の前を歩いてるのを見たって言ってたし、俺もここに来る途中、ウロウロしてるのを見たからな」

 大河曰く、今の状態では町の住民に危害を加えることはないらしい。せいぜい、産み主である透真たちの居場所を突き止めるために脅すくらいだという。

「でも、お前たちとあのマヨイたちは繋がっているんだ。だからくれぐれも、あっちに気を許すな。そして、自暴自棄にだけはなるなよ」

「もしもあなたたちが自暴自棄になってしまったら……その瞬間からマヨイたちは破壊行動に移ります」

 破壊行動に移ったマヨイは、まず産み主を殺しにかかる。うまく殺すことができれば身体を乗っ取り双方の世界に害をなす。うまくいかない場合は、産み主が根を上げるまで延々と攻撃をしかけ続ける。これがかなりきついらしく、何人もの人間が根を上げそうになったらしい。

 そうならないようにするためには、マヨイの言うことに絶対耳を貸さないことが大事だと大河は繰り返し透真たちに説いた。何せ複数体のマヨイなんて前例がないことだから、と。

 透真たちが朝食を食べ終えると、大河を先頭に五人は三毛崎家と出発した。

「八千代さんってどんな方なんですか? 猫又を束ねておられる方だと言っていましたけど」

「ばあちゃん? うーん、そうだなぁ。何て言ったらいいのかな……」

 朝美の質問に、大河は言い淀む。

「私は何度かお会いしたことがあるんだけど、それはもう、すごい方よ」

「そうなんですか?」

「ええ。会ってみれば分かるわ」

 商店街は静まり返っていた。通りを歩いているのは透真たちだけで、他には誰もいない。朝早いとはいえ、店を開ける準備くらいはしているだろうに、それすらもない。やはり妖怪は夜行性が多いのだろう。

 その商店街がもうすぐ終わろうというところで、タバコ屋の陰からマヨイたちが現れた。乾いた笑い声を上げながら、五人に近づいてくる。大河と桐子が威嚇するが、マヨイたちが怯む様子はない。

 マヨイたちの真っ白な口は不気味なほどにつり上がり、何も映さない瞳は透真たちの不安を煽る。

「見つけた、見つけた。こんなところにいた。やっと見つけた。俺たちから逃げるなんて、不可能だぞ」

 透真の声をしたマヨイが大河と桐子を押し退けて、三人ににじり寄る。残りの二人もそれに続く。

「肉親を殺す準備はできたかしら? 殺したいほど、憎んでいるんでしょう?」

「私たちはいつでもいいわよ。あなたたちはどうかしら? あんな奴ら、さっさと殺してしまった方がいいわ。なるべく早くしないと」

 マヨイたちは口々に透真たちを誘惑する。耳を貸さないよう、三人は必死に大河や桐子について行く。

 全くなびく様子のない三人に、マヨイたちは焦りを覚えたのだろう。後を追いかけながら必死になって三人に語りかけてくる。

「どうした? お前は父親を心の底から憎んでいるはずだろう? 何故、耳を傾けようとしない。殺してしまえばお前は自由になれるのに」

「人格を否定するような奴なんて、消してしまえばいいじゃない。その方が自分たちのためになるわ」

「耳を貸さないように入れ知恵されてるんでしょうけど、無駄よ。私たちはあなたたちなんだから、考えていることくらい分かるわよ? 素直になりなさいな」

 マヨイたちは最初に会った時と同じように囁きかけてくる。聞くまいとしても、これがなかなか難しく、耳を傾けたくなってしまう。現に夕美は心を動かされているようだった。表情が揺らいでいる。

 透真はとにかく耳を貸すまいと、耳を塞ぎながら進む。しかしマヨイはその努力をあざ笑うかのように、透真の心の中に入り込んできた。

 〝お前は父親を殺したがっている。これは変えようのない事実だろう。今さらそれを否定するなんて……馬鹿げている〟とか、〝父親を殺したら、次は母親と兄殺すんだ。これで邪魔者は一人もいなくなる。そうすれば、お前は晴れて自由の身だ〟と語りかけてくる。

 それすらも透真は無視して、大河と桐子についていく。どんなに心を動かされるようなことを言われようとも、絶体に耳を貸さない。そう固く心に決めて、前に進む。

 三人が反応しないことに痺れを切らしたのか、彼らは強硬手段に出た。

「こうなったら、今ここでお前たちを殺してやる! そうした方が早い!!」

 マヨイたちの黒い手が、透真たち肩を強く掴む。そのあまりにも強い力に、三人は悲鳴を上げる。

「……お前らの好きにさせるかよ!」

 大河が目にも止まらぬ速さでマヨイたちと透真たちを引き離す。つい先ほどまで欠伸を連発していたとは思えないほどだった。

 鋭利な爪や歯が次々とマヨイの腕に食い込み、引き裂いた。マヨイたちはギャッと短い悲鳴を上げると、透真たちから手を離し、わけの分からない言葉で悪態をつく。引き裂かれた腕からは黒い煙のようなものが勢いよく吹き出している。三人は吐き気を覚え、口を手で覆う。

「チッ、この瘴気……胸くそ悪くなるな。お前ら、とっととここから消えやがれ!」

 大河は本来の姿である猫又に戻ると、毛を逆立てて鋭い唸り声を上げ、マヨイたちに襲いかかる。マヨイたちは大河が攻撃をした瞬間にその場から姿を消した。嘲笑を残して。

「あいつら、私たちのこと馬鹿にしやがって……本ッ当に腹が立つわね! さっさと消滅してしまえばいいのに、あの諸悪の根源どもめが! どれだけ困らせれば気がすむっていうんだよ?!」

 桐子は消えてしまったマヨイたちを口汚く罵った。その目は血走り、牙をむき出しにしている。髪を振り乱し、叫びながら地団駄を踏むその様は、今までの桐子とはあまりにも違う。彼女の怒り狂う姿に、透真たちは恐れ慄いた。

「なぁ、桐子。落ち着けって。三人が驚いてるからさ」

「え? ああ……ごめんなさい。私としたことが、つい……」

 大河に諭され、桐子はようやく我に返った。彼女は慌てて乱れた髪を整える。

「三人とも大丈夫だったか? 気分はどうだ? 悪くないか?」

「掴まれたところが少し痛む程度で、それ以外は何ともありません。大丈夫です」

「私たちも透真と同じです。特に変わったところはありません」

 大河は猫又姿のまま、三人の周りを何度も回る。時折足や手、掴まれた部分の匂いを嗅いだりしながら。

 その行動にどうしていいのか分からず、透真たちは助けを求めて桐子を見た。しかし、彼女の目は我慢しなさい、とそう言っている。なので、三人はしばらくじっとしているしかなかった。

 何度か匂いを嗅いで確認したことで満足したのか、大河はようやく人の姿に戻る。

「……よし、本当に大丈夫みたいだな。それじゃあ、行くぞ。俺の家はすぐそこだ。ほら、あの小高い丘の上」

 そう言いながら、大河は家のある方角を指さした。透真たちはその方角を見る。

 彼の指さした〝丘〟はとても小高いとは言い難かった。どちらかというと、山と言ってもいいような高さ。気の遠くなるほど長い階段の先には、家に通じる木造の門が建っているのが見えた。

 大河と桐子は狼狽える三人をよそに、階段を上がっていく。透真たちは慌てて二人の後を追いかける。

「お疲れ様。到着だ」

 気の遠くなるほど長い階段を登り切る頃には、三人の息はすっかり上がっていた。脇を刺すような痛みが襲い、うまく呼吸ができない。姉妹に至っては立っていられないほど体力を消耗したらしく、その場に座り込んでいる。

 一方の大河と桐子はというと、千以上はあろうかという階段を登ってきたのに、涼しい顔をしている。どちらもほとんど息を乱していない。

「やっぱり初めての奴らにはキツかったかな。正面から帰ってくるのは」

「え……も、もしかして……ち、近道があるんですか?」

 朝美はどうにか声を絞り出して大河に尋ねた。彼は平然とした顔で頷く。

「うん、あるよ。足腰の悪いばあちゃん専用なんだけど。そっちなら、今登って来た階段の三分の一くらいの段数でここまで来れるんだ」

 だったら最初からそっちにすればいいじゃないか。どうしてこんな辛い目に遭わなきゃならないんだよ――と、透真は大河に対して無性に腹が立った。

 そう思ったのは姉妹も同じだったようで、怒りのこもった眼差しで大河のことを見上げている。

「三人とも、頼むからそんなに怖い顔をしないでくれよ。俺だって、本当ならお前らに少しでも負担の少ない方にしたかったんだ」

「じゃあ、なんで最初からそうしてくれなかったんですか?!」

「ちゃんとした理由があるんだったら、教えなさいよ! なんで私たちだけがこんなにしんどい思いをしなくちゃいけないわけ?」

 姉妹は立ち上がって大河に詰め寄ると、彼のことを口汚く罵った。大河が説明しようにも、彼女たちの罵詈雑言が止まらないので、話すこともままならない。

「朝美も夕美も落ち着いてちょうだい、ね? お願いだから、大河の話を聞いてあげて? これ以上、怒らないであげて!」

 桐子がどれだけ宥めてもすかしても、姉妹の怒りはおさまらなかった。風船のように膨れ上がり、どんどん大きくなっていく。

「何とか言ったらどうなのよ!」

 朝美の怒りが頂点に達し、大河に掴みかかろうとしたまさにその時。

 玄関の引き戸が勢いよく、音を立てて開いた。全員が喋るのを止めて、戸口の方に視線を向ける。

 戸口に立っていたのは、腰の曲がった老婆が一人。大河と同じような白と灰と茶の混ざり合った髪をしており、半分しか開いていない黄色い瞳が鋭い光を放っていた。

 三人はひと目見ただけで分かった。この老婆が根津たちの言っていた猫又たちの長、三毛崎 八千代だと。

「何だいあんたたち、朝っぱらから騒がしいねぇ。おかげで目が冷めちまったじゃないか」

「ばあちゃんごめん、うるさくして。でも、昨日から言ってただろ? 今日は大事な話をしなくちゃいけないから起きてろって」

「……はて、そうだったかいの?」

 どうやら八千代は大河が言ったことを覚えていないらしい。大河は呆れたように溜め息をつく。

「マヨイの気配はすぐに察知できるくせに、他のことはからっきしダメだ。産み主を連れてくるからって言っただろ? 俺と伏見のところじゃ対処しきれないからって」

「……おお、そうだった。そうだったのう。すっかり思い出したわい」

 八千代はカラカラと乾いた声を上げて笑う。

 なるほどこれは桐子の言うとおりだと、透真は感じた。底知れないようなものを垣間見たような、そんな気がする。

 透真がそんな事をぼんやりと考えていると、八千代の黄色い瞳が透真たち三人を捉えた。その狩人のような鋭い目つきに、三人とも心臓を鷲掴みにされたように動けなくなった。

「お前さんたちだね、マヨイたちの産み主は……さぁさ、そんなところにぼんやり突っ立っていないで、中に入りな。ほら、さっさとしないと日が暮れちまうよ」

 八千代に半ば追い立てられるかのように、皆が家の中に入った。

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