第2話
階段を降りると、町の雰囲気が一変していた。
まず、通りを挟んで向かいにあるはずの図書館がない。透真は長期休暇でこの町に来る度ここを訪れていたというのに、現在、目前に建っているのは漫画やアニメでしか見たことのないような駄菓子屋。
姉妹がいつも通っていたという大手コンビニは同じ位置にあったものの、見たことも聞いたこともないような名前に変わっている。学校と思しき建物はどこにも見えない。
それどころか、コンクリート建ての建物が殆どなく、木造ばかり。まるで別の町に来てしまったかのようだった。
「え、ここはどこなの? いつも見てる町並みと違うじゃない! 学校も見えないし。ねぇ朝美、どうしよう……」
「私だってどうしたらいいのか分からないわよ。一体、何がどうなってるっていうの?」
いつも見慣れている場所が急に変わってしまったことで、姉妹はすっかり戸惑っているらしい。取り乱してしまっている。それは透真も同じだった。
「二人とも落ち着きなって。もしかしたら、暑さのせいで具合が悪くなったのかもしれない。それで変に感じるんだよ。ネズミのことは諦めて、家に帰ろう」
「そうね、透真の言う通りかもしれない。きっと、暑さのせいだよね。早く帰って休みましょう」
「それがいいわね。ネズミは気になるけど。あんまり長く家を空けると、父さんや義母さん、優太は心配するから」
夕美の口から祖父という単語は出てこなかった。どうせ心配などしていないから、あえて言わなかったのだろう。
来た道を引き返すため、三人は振り返った。
しかし、そこに神社へと続く階段はなかった。代わりに高いコンクリートの塀がそびえ立っている。
「嘘……階段がなくなってる? なんでなの?! さっきまでこんな塀、なかったのに。おかしいわ、さっきから」
「こんなこと、有り得ないだろ……なんなんだよ、一体。これじゃあ元の場所に戻れないじゃないか」
「私たち、閉じ込められたってこと? もう家には帰れないの? 訳が分からない!」
三人はパニックに陥ってしまった。階段を降りてから数分と立っていないのに、町の状況が一変してしまったのだから。
「……そうだ、スマホ! スマホがあるじゃない。父さんに電話して、迎えに来てもらおうよ」
「ああ、そうね。パニックになっててスマホの存在をすっかり忘れてたわ」
姉妹はパンツのポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。しかし、どちらもなかなか伯父に電話をかけようとしない。画面を見たまま、固まっている。
「あれ、二人とも電話をかけないの?」
「電話、かけたくてもかけられないの。圏外になってる」
「私のもダメ。圏外になってる。きっと透真のスマホも圏外になってると思う」
二人は同時にスマートフォンの待ち受け画面を透真に見せた。確かにどちらも本来アンテナの表示があるところに圏外と表示されている。
透真も急いでスマートフォンを取り出し、電源を入れてみる。ほんの一瞬アンテナは立ったものの、すぐに姉妹と同じように圏外になってしまった。
「俺のスマホも圏外になってる。どうすんだよ、打つ手なしかよ……」
神社へ戻るための階段はない。助けを求めようにも連絡手段は断たれている。三人は力なくうなだれるしかない。
スマートフォンに気を取られていたせいで、三人は自分たちに近づく脅威に気がつかなかった。
「あなたたち、なんであんな奴らに助けを求めようとするのかしら?」
「本当に馬鹿だよね、こいつら」
「うん、馬鹿だな。全く」
うなだれ、しゃがみ込む三人の頭上から、突如として聞き覚えのある声が降ってきた。
三人は慌てて立ち上がる。
三人の前にいたのは全身が影のようにどす黒い色をした人間三人だった。しかし人間にしてはどこか頼りなく、存在感が薄い。今にも消えてしまいそうな、まるで影のような感じ。
影人間の容貌といえば両目は黒目がなく白目のみ。口からは蛇のように長い舌が見え隠れしている。誰が見ても気味が悪いと感じるだろう。恐怖のあまり、三人の肌が泡立つ。
「困っていてもちっとも助けてくれないくせに? 辛い思いをしているのに、その原因を取り除いてくれない、あの親を頼るというの?」
「いっそのこと、殺してしまえばいいのになぁ。俺だったらそうするけどね。ひひひっ」
右端と真ん中にいた影人間が愉快そうに笑う。声は夕美と透真に似ている。
「何を言っているのよ、こいつら……変なことを言わないでよ」
「ちょっとアンタたち、変なこと言わないでちょうだい。気味が悪いんだけど」
「お前たちは一体、何者なんだ?!」
三人は数歩、後ろに下がる。しかし影人間たちはじりじりと間を詰めてきた。長い舌をくねらせて、殺せ殺せと呟きながら。
そのあまりの恐ろしさに三人は悲鳴を上げ、影人間たちに背を向けて走り出す。影人間たちは馬鹿にしたような笑い声を上げながら追いかけてくる。その姿は、最早この世のものとは思えない。
「お前は父親が憎くて憎くてたまらないだろう? え? 自分の意見ばかりを押し付けて、我が子の気持ちを思いやることもなく踏みにじるような奴なんて、さっさと殺してしまえばいいじゃないか!」
「アンタたち、あのジジィを殺したいと思っているのでしょう? 女を人間と思っていないようなやつなんて、さっさと消してしまえばいいのよ。どうせあと数年しか生きれないようなジジィなんだから、さっさと殺してしまいなさい」
「父親に一切意見をせず、味方になってくれない傍観者の母親も! 父親の味方ばかりする兄も! 殺してしまえ、今すぐに!」
「なんの解決策も見い出せずに半分ボケたジジィを野放しにする父親、実の息子のことは必至で守るくせにアンタたちのことはろくに守ってくれないあの女! どうして殺さないのよ」
「男が生まれたから本当は厄介払いしたいのよ、アンタたちのことを。二人とも死ねばいいと思ってるのよ。いつもそういう目で見てること、知ってるじゃない」
影人間たちは三人が心の奥底に押し殺している気持ちを読み取って、それを言葉としてぶつけてくる。三人が耳を塞いでも、頭の中に言葉が溢れてくる。彼らの放つ言葉を振り払うがごとく、三人は走った。その差は一向に広がらない。
「ねぇ、あいつら、どんどん近づいてきてない?」
「うん、そんな気がする」
町の中に入っていくにつれて、影人間たちは差を詰めてきた。三人を絡めとろうと、それぞれが黒い両手を伸ばす。
「やめて! お願いだからこないで!」
黒い手が三人を捕えようとした、まさにその瞬間。三人と影人間との間に、何かが割って入った。
間に割って入ったのは、古びた黒いスクーターに跨った中年男性。透真たちを守るかのように、影人間たちの前に立ちはだかっている。
突然のことに三人は驚いて立ち止まった。影人間たちは一瞬怯んだものの、邪魔されたと分かると腹を立てたらしく、透真たちには分からない意味不明な言葉を発しながら地団駄を踏む。
「ここは私に任せて、君たちはこのまま真っ直ぐ走りなさい。そして、最初の十字路を左に曲がって少し行ったところにある伏見惣菜屋という店に行きなさい。そこなら、こいつらも寄ってこない。安全だ」
中年男性は透真たちを振り返ることなく早口でそう言った。
「……貴方は? 貴方は一体何者なんですか?」
「私のことはいいから! とにかく早く行きなさい! こいつらを追い払ったら私も店に向うから」
男の声に弾かれるようにして、三人は再び走り出す。彼に言われた通り、ひたすら真っ直ぐ走る。
「あのおじさん、一体何者なんだ? どうして、見ず知らずの俺たちの事を助けてくれたんだろう?」
「それは私にも分からないわよ。とにかく今は、あのおじさんの言っていた伏見惣菜屋っていう店に行かないと。あのおじさんが化け物を足止めしてくれているうちに」
「二人とも、ほら――あそこの電柱、店の看板が貼ってある! それに十字路――あの角さえ曲がれば、助かるよ!」
夕美の指さした先の電柱には確かに伏見惣菜屋、この先左折、十メートルと書かれた長方形の看板が取り付けられている。透真たちはその案内に従って十字路を左に曲がった。
透真は道を曲がる瞬間、男性のことが気になってちらりと後ろを振り返る。
男性は相変わらず影人間の前に立ちはだかっていた。スクーターから降りて影人間に向かって何やらお経のようなものを唱えている。あの恐ろしい化け物が相手だというのに、その背中からは怯えや恐れといった感情は微塵も感じ取れない。
一方の影人間はというと、いまだに黒い手をくねらせながら、わけの分からない言葉を発し続けている。どうやら足止めされたことに相当怒っているらしかった。
「貴様ァ、身分卑しい〝案内人〟の分際で我らを足止めしようとは! 許さん、絶対に許さんぞ!」
影人間の一人が男性に向かってそう叫ぶ。
〝案内人〟とは何だろうと考えている余裕など、今の透真にはなかった。恐怖から一刻でも早く逃れたくて、必死になって姉妹の後を追った。
※
昼食を終えた三兄妹は夜の営業に向けて料理の仕込みを始めていた。
一方の大河はというと、落ち着きなく店内をうろついている。
「うろうろしているくらいなら、仕込みを手伝ってくれ。こっちは忙しいんだ。それこそ、猫の手も借りたいくらいにな」
「彩瀬ぇ、そうは言ってもさぁ……」
出て行ったきり帰ってこない根津のことが大河は心配だった。いくら彼が長年〝案内人〟の仕事をしているとはいえ、複数体のマヨイが出るのはこれが初めてのことだった。並みの結界なら数分と経たずに破ってしまうようなマヨイを、一時的にでも封じ込めることが出来るだろうか。
「大河、ちょっと口を開けてちょうだい」
「えっ、桐子、どうした――むぐぅ?」
大河の心配を察した桐子は、彼の好物のひとつである鶏のから揚げをひとつ、口の中に放り込む。
「根津さんのことが心配なのは分かるけど、今は信じて待ちましょう? 彼なら――」
きっと大丈夫だから、と桐子が言おうとしたそのとき。
店の外がにわかに騒がしくなった。
それとほぼ同時に、見たこともない三人組が店内に雪崩れ込んできた。男が一人で女が二人。妖力が全く感じられないので、この三人組が人間であることは明白である。
普段いるはずのない人間がここにいる。それ即ち、この三人組がマヨイたちの生みの親であるという証拠。まだ若いというのに、三人ともどこか苦悩に満ちた表情をしていた。
四人がどう声をかけていいのか考えあぐねていると、三人いるうち、唯一の男がおずおずと口を開いて喋り出す。
「……あの、いきなり押しかけてしまって申し訳ありません……俺たち、変な奴らに追われてて。助けてくださった男性が、ここに行きなさいって……そうすれば、助けてもらえるから、って」
男は肩で息をしながらそう言った。他の二人は喋る気力もないくらい、走り疲れているらしい。
「その男性って眼鏡をかけていて、ちょっとくたびれた感じの中年男性じゃないか?」
「そうです、そんな感じの人です。後からここに来るって言っていました」
「彼が言っていたのなら、大丈夫でしょう。もうじきここに来ますよ。安心なさい、ここにいれば貴方がたを追いかけていたその変な奴らは、手出しできませんからね」
カウンターの向こうから涼音が微笑む。人間たちに言い聞かせるというよりは、どちらかというと大河に言い聞かせているような、そんな言い方である。
「ひとつ、聞いてもいいでしょうか?」
次に口を開いたのは、二人いる女のうちの一人だった。女たちはどちらもほぼ同じ顔をしているので、双子だろう。四人とも、人間の双子を見たのはこれが初めてのことだった。
「ここはどこなんですか? 私と妹の住んでいる伊川町ではないような、そんな気がするんですけど」
「それは……」
大河が言いかけた時、店の戸が開いて根津が姿を現した。
「それに関しては、今から私が説明しよう」
根津が姿を現したことで、先ほどまで不安げだった人間たちの表情がいくらかやわらいだ。
「貴方がたは一体何者なんですか? ここはどこなんですか?」
人間たちは根津に詰め寄ると、まるで堰を切ったかのように質問を彼にぶつけた。その姿は、かつてこの町にやって来た人間と全く同じ。いきなり知らないところに放り込まれ、その上得体の知れない化け物に追いかけ回されたのだから、こうなってしまうのは無理もないことだ。
そんな中、立ち上る湯気の向こう側から、彩瀬は怒りのこもった眼差しで人間たちを見つめている。仕込みを邪魔されたので、怒っているのだ。涼音と桐子が怒るなと目配せしても、彼は全く気づいていない。
彩瀬が苛立っていることを察した根津は、三人を店の奥にある休憩室へ行くよう促す。
「ここで説明するのもなんだから、皆さん奥の部屋へ。説明はそこでしよう。彩瀬くん、すまないが休憩室を借りるよ」
「……はいよ」
彩瀬はぶっきらぼうにそういうと、全員に背を向けて別の作業に移る。
「大河くんも一緒に来てくれないか? 君もいてくれた方が、何かと助かるんだが」
「ええ~……俺、もう帰りたいんだけど。帰っちゃ駄目?」
しかし、根津の発する無言の圧力に大河は逆らえなかった。
透真たちを助けた中年男性は根津 忠司と名乗り、一緒についてきた青年は三毛崎 大河と名乗った。
根津の説明によると、ここは透真たち人間の住む世界ではなく、妖怪たちの住む世界だという。
人間界とこちらの世界は基本的に交わることなく、互いの世界を自由に行き来することは妖力甚大な妖怪なら可能だが、それ以外の妖力の低い妖怪や人間たちが行き来するのは不可能であるらしい。
自分たちのような人間はこの世界に来ることが出来ない――それならどうして、自分たち三人はここにいる? 透真はただただ淡々と説明する根津のことが恐ろしくてたまらなかった。
「行き来する方法がないのなら、どうして僕たちはここにいるんですか? それっておかしいじゃないですか! ……じゃあ、一生帰れないってことですか、俺たち」
「根津さんが言ってることと実際に起こっていること、矛盾してるじゃないですか! おかしいですよ!」
「お願いですから、一刻でも早く私たちをもと居た場所に返してください! あんな怖い思いをするのはもうたくさんです!」
「まぁまぁ、三人とも落ち着けって。そうしないと、根津さんが説明出来ないだろ?」
まくし立てる三人を大河は片手を上げて制した。三人はまだ何か言いたげだったが、渋々口を噤む。
「本来ならば絶対に交わることのない世界が交わるのには、ちゃんとした理由があるんだよ。それは、君たちの負の感情が生み出した妖怪……〝マヨイ〟のせいなんだ」
「マヨイって、俺たちのことを追いかけてきた……あの真っ黒い影みたいな奴らのことですか?」
根津は力強く、大河は気だるげに頷く。
「マヨイというのは先ほども言った通り、人の負の感情から生まれる妖怪だ。負の感情を糧として成長していく。糧とする感情が強ければ強いほど、奴らは強くなっていくんだ」
「一定の強さを得たマヨイは、生み主の心を蝕んでいくのさ。最終的には生み主の魂を食い殺して、生み主に成り代わってしまう。そして、悪行の限りを尽くすのさ」
大河の説明に透真たちは戦慄する。
あの影人間たち――いや妖怪たちは、自分たちを殺そうとしていたのだ。自分たちに成り代わって悪事を働くために。自分たちがそんなモノを生み出してしまうほどに心に闇を抱えていたとは、三人とも思いもよらなかった。
「あんた達が生み出したマヨイは幸いまだ力が弱い。完全に乗っ取られてしまう前に対処すれば、あんた達の魂が死ぬことはない。だけど、人間たちの世界で対処することは不可能なんだ。理由は瘴気に溢れすぎているから。だから、こちら側の世界に来てもらう必要があったんだ」
「君たち、ここに来るまでに何かしら見なかったかい? 生き物を。例えば、馬鹿でかいネズミとか……」
根津の言葉に透真たちは息をのむ。
馬鹿でかいネズミ。それなら確かにこの目で見た。モルモットよりも遥かに大きく、最早小型犬といっても差し支えない大きさのネズミ。そのネズミを追いかけていて、気がついたらここに、来てしまっていた。
その場に居合わせていない根津が、どうしてそれを知っている? まるで見てきたような言い方ではないか。透真たちはまじまじと根津を見つめる。
「もしかしてそのネズミの正体って……根津さん、なんですか?」
夕美が恐る恐る尋ねる。根津はにこりともせずに頷く。
「ああ、そうだよ。私はマヨイを生み出してしまった人間をこちらの世界に案内する役目を担っている、旧鼠という妖怪一族の当主なんだ」
言い終えるか終えないかのうちに、根津は姿を消していた。彼のいた場所には、神社にいた巨大なネズミが佇んでいる。
透真たちは驚きのあまり悲鳴を上げそうになったが、声が出なかった。代わりに出てくるのは、荒い吐息のみ。
「……おや、どうやら驚かせてしまったようだね。これは申し訳ないことをした」
「毎回毎回、飽きもせず。本当によくやるよな、アンタって人はさぁ。その状態だと食べたくなっちゃうからさ、俺が人型を保てるうちに元に戻ってよ」
大河は呆れたといわんばかりにネズミ状態の根津を見おろす。その目はまるで獲物を狙う狩人のよう。三人は食われてしまうのではないかと、身を固くする。
「おっと、そうだった。大河くんに捕食されてしまわないうちに、人型に戻らないと。彼は猫又なんだ。妖怪は長寿だからね。たまにそのことを忘れてしまうんだよ」
根津はあっという間に人の姿に戻った。今度は僅かに微笑んでいる。
その一方で、大河は三毛猫の姿になっていた。尻尾は途中から二股に分かれていて、体毛は白地に所々茶色やグレーの色の毛があちこちに散っている。大きさは大型犬よりもやや大きい。
今度こそ、透真たちは悲鳴を上げた。が、腰が抜けてしまい、身体が思うように動かなかった。
「まだ人型に化けられるようになってから日が浅いから、こういうことがあるとすぐにボロが出ちゃうんだよな。ああ、別に取って食ったりはしないから。食べてるものは普通のネコと変わらないし。だから三人とも、そんなに怖がる必要はないって」
大河はそう言うが、だらしなくよだれを垂らしているその姿は説得力のかけらもない。透真たちは怖くて仕方がなかったので、大河とは少し距離を取った。
「そ、それで俺たちはこれからどうすればいいんですか? どうすれば元の場所にもどれるんですか?」
透真はどうにか声を絞り出したものの、身体が震えてうまく喋れない。姉妹はお互い身を寄せ合って震えている。
根津が説明しようと口を開きかけたそのとき。勢いよく音を立てて休憩室の障子が開いた。
「なに、簡単なことさ」
「マヨイを倒せばいいだけのことです」
「そうすれば、あなたたちは元の世界に戻れますよ」
そう言いながら入ってきたのはこの店の主たち。一番最後に入って来た女性は全員分のお茶を乗せた盆を持っている。
店主たち三人は透真たち三人の正面に腰をおろした。細い目が六つ、透真たちに向けられている。考えていることすべてを見透かされているような気がして、透真と姉妹は慌てて姿勢を正す。同じような顔が三つに、どこか値踏みするかのような視線が怖い。怖がりの夕美は怯えて朝美の服の裾を掴む。
ここに転がり込んで来た際、透真は気が動転していて周囲を窺う余裕などほとんどなかったが、今改めて入って来た三人を見てみると、全員が非常に似通った顔立ちをしている。特に男性二人は瓜二つで、明らかに双子であると分かる。女性は彼らよりもいくらか幼い印象を受けるので、おそらくは妹なのだろう。
「倒すしかないって言っても、私たちには妖怪と戦う力なんてありません。皆さんでどうにかならないんですか?」
「俺たちは手助けすることは出来るが、マヨイを倒すことは出来ない。こればかりは生み出した者が始末するより他にない。あれは俺たちの手に余るものだ」
彩瀬と呼ばれていた男は差し出されたお茶を一口すすると、吐き捨てるようにそう言った。
「そんな……」
「残念ながら、こればかりは兄の言う通りなんです。確かにマヨイは妖怪ですが、こちらの世界ではなく人間の世界で生まれたものです。なので、我々だけで倒すのは不可能なのです」
双子の片割れは何とも申し訳なさそうに告げる。
あの憎悪と殺意の塊であるあの妖怪に、武器もなしにどうやって立ち向かえというのだろうか。対峙しただけで身体がすくんで動かなくなり、逃げることしか出来なかったのに。例え手助けしてくれたところで、透真たちは勝てる気がしなかった。
「俺には無理です。戦ったところできっとなす術なく食われてしまうに決まっているんだ。あいつらには勝てないような、なんだかそんな気がするんです」
「逃げることしか出来なかったのに、どうやって戦えっていうんですか? 私には無理です、出来ません!」
「根津さんが逃がしてくれなかったら、今頃三人とも死んでいました。でも……戦えって言われても……どうすればいいのか」
休憩室に沈黙が落ちる。狼狽えているのは透真たち三人だけで、他の五人は平然としている。
気まずい沈黙を破ったのは大河だった。
「まぁ、普通はそうだよ。今まで来た奴らも、皆最初は無理だ、出来ないって言ってたし。でもな、何が何でもやらなくちゃいけないんだ。なぁ、桐子?」
「ええ、そうよ。マヨイを倒さないでそのまま放置していると、貴方たちはずっとこの町にいることになるの。それだけじゃなくて、マヨイは人間界とこちらの世界の双方で悪さをするようになるのよ。それは困るでしょう?」
桐子と呼ばれた女性は、三人に諭すようにそう言った。
「万が一、お前らが倒さないという選択をしたら、こちらの世界に害を及ぼす危険因子として、処刑されることになる。それはもう、言葉では言い表せないような惨い方法で殺されてしまうのさ」
今までそんなことはただの一度もなかったけどな、と彩瀬は狼狽える三人を見据えてそう言った。処刑、という言葉に姉妹は小さな悲鳴を上げる。
あの妖怪たちに立ち向かわなければ、どちらにせよ自分たちは凄惨な目にあってしまう。まだ夢を叶えるスタートラインにすら立っていないというのに、こんなところで死んでしまうのはごめんだ。透真は強くそう思った。
透真は覚悟を決めると、五人に向かって深々と頭を下げる。
「……分かりました。俺はあの妖怪を倒します。ですから、どうか皆さんの力をお貸しください。お願いします」
「透真!」
「透真……」
「そちらのお嬢さん二人はどうされますか? マヨイを倒すのか、それとも倒さずに罰を受けるのか」
根津は視線を、頭を下げる透真から姉妹に移す。
あの妖怪たちに立ち向かうのは正直気が引ける。でも、家族のことを思うと逃げるわけにはいかないし、第一、ここで死にたくはない。二人は透真と同じように、五人に向かって頭を下げる。
「私たちからもよろしくお願いします!」
「どうかよろしくお願いします!」
「それじゃあ、決まりだな。ここからは俺と三兄妹の管轄になる。ほら、三人とも顔を上げな」
大河に促されるまま、透真たちは顔を上げる。
「改めて自己紹介しようか。俺は三毛崎 大河。さっきも見たから分かると思うけど、猫又さ。まだ化けられるようになって日が浅い、新参者だけどな」
「俺の名は伏見 彩瀬という。こちらにいるのは弟の涼音と妹の桐子。見て分かると思うが、俺と涼音は双子の兄弟。三人とも、稲荷神に仕える妖狐の一族の一員だ」
彩瀬が言い終わったのとほぼ同時に、三兄妹は人の姿から狐の姿になった。
狐の姿になった三人は、どれも薄い金色の毛並みをしており、尻尾はそれぞれ九本生えている。あまりの美しさに、透真も姉妹も思わず息をのむ。
「正確には天狐や空狐という善き妖狐――総称して善狐ですね。人に対して悪事を働く妖狐は、そもそも人に化けることが下手なんです。すぐにバレてしまいます」
「そうなのよ。化けるのが下手だから、すぐにボロが出てしまうのよね」
「人間たちは混同してしまうことが多いようだがな。本当に腹立たしいことだ」
彩瀬はそう不満げに言うと、人型に戻った。涼音と桐子もそれに続く。透真としてはもう少し見ていたかったが、そのままでいてほしいとはとても言えなかった。
「そう言えば君たちの名前を聞いていなかったね。よければ名前を教えてくれないかな? なんと呼んだらいいのか分からないからね」
根津のひと言で、透真たちは自分たちが名乗っていなかったことにようやく気がついた。
「俺の名前は桂木 透真、といいます。年齢は……先日十八になったばかりです」
「私の名前は上条 朝美、です。歳は十六、もうすぐ十七。隣にいるのは、私の双子の妹です」
「私は上条 夕美、です。朝美は双子の姉、私たちと透真は従兄妹同士なんですよ」
「……なるほど。通りで三人とも顔つきが似ていると思いました。親戚同士だったのですね」
涼音は三人の顔を見比べる。まじまじと見つめられて気恥ずかしくなったのか、姉妹は揃って彼から目を逸らす。透真も彼に見つめられて、どうしていいのか分からない。
三人がこうなってしまうのも無理はない。人間でないとはいえ、こんなに容姿の整った者に見つめられているのだから、気恥ずかしくなるのは当然のことだ。
「兄さん、三人とも困ってるから。あんまり見つめないであげてちょうだい。ね?」
「お前の悪い癖だぞ。いい加減、やめたらどうだ?」
「すいません。これでも努力はしているんですけどね……なかなかうまくいかなくて。申し訳ない」
涼音は謝っていたが、あまり真剣に謝っているようには透真には見受けられなかった。
「それで、具体的なマヨイの対処方法なんだがな……」
空気を変えるかのように、彩瀬が口火を切った。
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