1-39 「ノアが? 別にいいけど、なんだこれ? 菓子?」

「……ノア君。私も学生の時は遊び歩いてたから、うるさく言わないわ。でも、バイトには出てね」

「え」


 しかし、予想に反してヴァージニアは普通のことを言ってきた。もっと追及されるかと思っていた。

 この状況でクルトを見たら、犯人なら確実に何か思う筈だ。ということは、ヴァージニアは犯人ではないのだろうか。何と返していいか分からず暫く黙っていたが、さすがに何時までも黙っているわけにはいかず無理矢理口を動かした。


「そんな遊び歩かねーよ。今日も、後少ししたら戻るし……」

「……そう? じゃあ私、お風呂に入っているわね。テーブルの上に晩御飯置いてあるから、それ食べるなら食べて」


 ヴァージニアが体の向きを戻して、一度こちらに向き直る。


「……宜しくね」


 月明かりが差す中、ヴァージニアはそう言ってそっと笑った。その笑顔が無理して笑う病人のようで、ヴァージニアが居なくなった後も動けない自分が居た。


「……」


 今あったことや、ヴァージニアが最後に見せた笑顔が頭を占める。どうしてヴァージニアがあんな風に笑うのか分からなかった。

 が、幾ら考えても答えが見付けられなくて、ノアは一度頭を掻き動き出す。ティッシュをポケットから取り出し、それを持って店の外で待っているクルトに何事もなかったように声をかける。


「悪ぃ、待たせた! これとこれ、お願いしていいか? 同じ物か知りたいんだ」


 紙袋とティッシュにくるんだグミを、外にいたクルトからは店内が見えなかっただろうことに妙にホッとしながら渡した。


「……結果分かったら、連絡するね。成分解析だけだから……早いかも」

「有り難う」


 それじゃあ、とクルトは言い来た道を引き返して戻っていく。

 溜め息をついた後店の二階を見上げた。カーテンの隙間から漏れる微かな明かりに帰宅する気持ちが揺れたが裏口に回る。


「ただいまー」


 帰宅の挨拶を口にし、二階に上がっていく。先程の予告通り、浴室の方から水音が聞こえた。


「おかえり~」


 浴室から聞こえる、いつもと同じ声。

 ヴァージニアと顔を合わせずに済む。そのことにほっとし翌朝のバイトは休む旨を伝え自室にこもり、眠るまでの間ヴァージニアと顔を合わさずに過ごした。

 食卓の上に置かれていたポークソテーは、申し訳ないが食べる気にならなかった。


***


 ノアの様子がおかしかった。

 それだけじゃない。店に入った時電気を点けなかったのも、突然出てきた科捜研の話も、突然家から出てきた怪しい包みも、全部がおかしい。

 何かあると思わない訳がない。それもきっと、あの工場で見た死体と関係していることだ。

 本人が言わずとも察しは付く。クルト・ダンフィードは今、爆破時間が分からない時限爆弾を持っている気分だった。

 交通整備用蒸気タービン式ロボットや赤ら顔の人達の横を通って警察署に戻り、人と目を合わせないようにしつつ刑事課に戻る。煙草の臭いが染み付いた部屋に戻りホッとする。今はプラチナブロンドの先輩がいるだけで、他に誰も居なかった。


「あっ、クルトやっと帰って来たか! 聞けよ、お前が居ない間に工場区で死体が出たんだ!」


 自分が帰って来た事に気付いた先輩が、飼い主が帰宅した犬のように表情を明るくさせて話しかけてくる。その表情にはもう、クビを憂いている様子はどこにもなかった。


「さっき匿名の通報が入ってさ、工業区の製薬工場から異臭がするって言うんだよ。先輩達が駆け付けたら、一昨日ノアが目撃した女性の特徴と同じ可哀想な他殺体が転がってたんだ! しかもその製薬工場の周りで同時に発砲事件も起きて、これまた撃たれた未成年が生きて転がってたんだと。女性が殺されたのは悲しいことだけど、これって凄くないか? 俺の予想じゃ連れ去り事件が急展開を見せるぞ!」


 先程「君が通報したら不味くない?」と、アンリが代わりに通報してくれた電話が早速効いているようだ。


「……未成年、って昨日の……?」

「はっきりしては居ないがその一派だろうな。俺は現場に出して貰えなかったから、ここで電話番してて聞いただけなんだけどさ」

「そう。……リチェ、頼みがあるんだけど」


 罰が悪そうに頬を掻くリチェの言葉に相槌を打った後、話を切り出した。

 ん? と瞬く先輩の前、先程ノアから預かった紙袋とティッシュを差し出す。ライトブルーの瞳が不思議そうにそれらを映した。


「これ、ノアが……科捜研に回して、同じ物か調べて欲しいって……きっと早く知りたいだろうから、急ぎで。リチェなら科捜研に友達居るよね? 事件性は……あるんだろうけど秘密ってことで頼めない……?」

「ノアが? 別にいいけど、なんだこれ? 菓子?」

「それも調べて」

「はいよ。……ところでクルト、昼のことなんだけど。事件、こんなになっちまって……末端一人の責任どころじゃ無くなって。さっき課長がさ、俺のクビは流れるだろうって言ってくれたんだ。そういう事だからまた宜しくしてくれよ!」


 人を間違えた時みたく照れ臭そうに笑い、リチェは「じゃあ行ってくる!」と扉へ向かう。

 一人になった刑事課の部屋で、良かったと思った。リチェのクビが流れたのは一気に事件が動いたからだ。それは自分達が動かしたからだろう。これでリチェに恩返しも出来た。

 ノアと友達になって良い影響を受けた気がする。これからの仕事も頑張れそうだ。

 その時、刑事課の電話が鳴り響いた。リチェが居ない今、自分が出るしかない。昨日までなら気が重く苦手だった電話も、今は進んで出られそうだ。

 クルトは一度姿勢を正した後、音を鳴らしている電話の方に足を向けた。


***


 翌朝。

 ヴァージニアが家を出てから起き出したノア・クリストフは、いつも以上に流れ作業で学校に行く支度を始めた。公園横に家があるおかげで、窓からは子供の元気な声がよく入ってくる。

 準備を済ませ、裏口から家を出る。

 曇り空の下、細い路地を縫って学校に向かう。徒歩圏内だからという理由で選んだ学校に向かう間、考えるのは昨日の紙袋と、ヴァージニアの事だった。

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