第六章 不便な世界

1-38 「……なあ、お前このまま警察署帰る?」

第六章 不便な世界




 ノア・クリストフは今、イヴェットと二人で教会の前にいた。

 自分の様子を察してかクルトは、「一人で大丈夫」と己を鼓舞しながら教会に向かった。アンリに発信器を返すのと、電話を借りに行っている。


「ノアさん、クルトさんを待てなくて申し訳ないんだけど、あたし先教会に戻ってるね……クルトさんにお礼言っといて貰えるかな? 今日も有り難う御座いました、って」

「ん、分かった。僕の方こそ今日は有り難う。……嫌なもん見せちまったな、悪い」


 ううん、とイヴェットは首を横に振り、珍しく挨拶もそこそこに戻っていってしまった。立ち直りの早い少女も思うところがあったらしい。


「……お待たせ」


 自分もあれこれ考えていると、警察官の制服に着替えた黒髪の少年が戻ってきた。


「っとお帰り。イヴェットはさっき牧師館に戻ったよ。今日も有り難う、ってお前に伝えておいてってさ」

「えぇえっ……や、イヴェットが居てくれて助かったのはこっちなんだ、し、……良いのに、そんな、お礼とか」


 この場にイヴェットは居ないと言うのに、思った通りクルトは挙動がおかしくなった。その様子に目元を和らげた後、本題に入ろうと何時もより声を潜めた。


「……なあ、お前このまま警察署帰る?」


 自分の雰囲気が変わったからか、クルトも表情が固くなった。コクリと頷くクルトを見て、改めて拳を握る。


「ちょっと頼みたいことがあるんだ。遠回りになって悪いんだけど、ポピーに寄ってくれないか? 外で待ってて欲しいんだ」


 ガス灯の下、黒色の瞳がこちらを向いたので詳細を話す。


「それで鑑識? 科捜研? に回して欲しいもんがあるんだ。警察だったら設備も充実してるし簡単だろ? 頼んでいいか?」


 クルトは一度瞬き暫く自分をじっと見た後頷いた。

 サンキュ、と礼を言い橋へ向かう。ポピーに向かう間会話は無かったが、到着がやけに早く思えた。


「……悪ぃ。ちょっとそこで待っててくれ、すぐ戻る!」


 そう言い、合鍵を使って店の扉を開ける。家に行った方がグミはあるだろうが、ヴァージニアに勘繰られる可能性も高い。店にも持ってきているのを前見たので、だったらこっちのを拝借した方が早い。

 泥棒にでもなったような気分でカウンター周りを漁っていく。電気も点けなかった。

 調味料が置かれているシェルフ棚に探していた紙袋を見つけた。それを掌に乗せ、隠し持っていた紙袋も横に並べて月明かりの下見比べた。

 紙の色も、熊のプリントも、グミの色と大きさも同じだ。それでもまだこれが単なるグミで、偶然あそこにあった同じメーカーの市販品だという可能性は残っている。そうあって欲しかった。

 祈るような気持ちで、紙袋からグミを一粒とティッシュを一枚失敬した、その時。


「……ノア君? 帰って来たの?」

「っ!?」


 不意に連絡通路の扉からヴァージニアの声が聞こえ、心臓が口から飛び出すかと思うくらい驚いた。慌ててしゃがみ込み、キッチンの影に隠れる。

 万全を期して忍び込んだものの、扉の開閉音を察してやって来たのだろう。ここまで気配に敏感な人だとは思わなかった。

 手にしたグミをティッシュに包み、音を立てぬよう気を付けながらベストのポケットに忍ばせる。


「あら……? 誰も居ないの? ……」


 誰の姿も無かったら戻るだろう、と思ったが店長という立場にある人はそうもいかなかった。ペタリ、ペタリ、とサンダルの音をさせながら店内を歩き始める。気付かれるんじゃないかという不安と緊張が一気に高まった。

 住人が裏口から家に入らないだけでも変なのに、その上こうして隠れてる。不審がられる事間違いない。

 着実に足音が近付いてる中、どうか見つからないようにと信じていない神様に頼み込んだ。

 が。


「……ノア君? そんなところで何してるの?」


 神様は不敬者の頼みは聞かない主義のようで、すぐ頭上から声をかけられてしまった。頭の中がパニックになり、体のこわばりが抜けてくれなかった。


「でもノア君で良かった~……。泥棒だったらどうしよう、って心臓が張り裂けるかと思ったわ」


 自分の緊張に反してヴァージニアはいつも通りだった。その声に安心して、恐る恐る反応する。


「……あー、驚かせて悪ぃ」

「本当よ! そんなところで何してるの? 家じゃなくてお店だし」


 おずおずと立ち上がり、暗い室内モップを持っているヴァージニアに向き直る。


「あーっと……近くを通りかかったから、ちょっとお茶を。外で人、待たせてるから。店にしただけ」


 何とか言い訳を口に出来た。しかしそんな言い訳を信じて貰える訳もなく、「ふーん?」と睨まれ思わず後ずさる。


「見付かったら怒られると思って、つい。悪ぃ!」

「何で怒られると思ったのよ」


 完全に言葉に詰まった。たしかにヴァージニアの言う通りだ。これではやましい事があると言ってるものだ。


「いや、その、ほら」

「何よ、歯切れが悪いのね。あ~、もしかしてデート中だった? 昨日のあの子と?」


 昨日のようにこちらをからかいに来ているヴァージニアが目を細め、笑いながら外に面しているガラスに近寄る。


「っ、おい見んなよっ!」


 焦った。外で待っているのはクルトなのだ。

 警察が待っていたら、ヴァージニアが何を思うか分からない。


「あら……? あの子、たしか……。…………」


 だが静止も虚しくヴァージニアは外を見てしまった。しかも、外の人物が誰か気付いたようだった。

 ヴァージニアは急に黙ってしまった。それがとても怖い。

 店内を静寂が支配する。今ヴァージニアが何を考えているのか、そもそもこの間はどんな意味があるのか。何を言われるのかを思うと、怖くて堪らなかった。

 ヴァージニアは窓の外から不意に視線を外し、立ち尽くしている自分に向き直る。

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