第五章 工業区

1-27 「しかも一人かよ。お前の大事な姪はどうした」

第五章 工業区




 どんなハプニングがあった翌日にも朝は来るものだ。

 自室の窓からカーテンの隙間を縫って差し込んで来る光を顔に受け、ノア・クリストフは眉間に皺を寄せた。

 今日は学校に行くと言ったし、バイトにも出ると言った。最後の足掻きとばかりに数回寝返りを打った後ベッドから足を下ろした。足裏が床に着けば不思議な事に朝の準備を始めてしまう。


 クルトから借りたシャツは、ヴァージニアがいつの間にか洗ってアイロンまで掛けてくれたようだった。それをスクールバッグの上に置き直し、身支度を整えた。

 朝食を食べに扉を開けると、金色のストレートヘアを一つに纏め眼鏡を掛けキッチンに立っている女性の姿が飛び込んできた。


「店長おはよ。あ~眠ぃ……」

「ノア君お早う、眠いからって学校サボらないでね。刑事さんの着替え入れた?」

「用意はした。あー、アイロンありがとな」


 ダイニングチェアに座ると、待ち構えていたかのように朝食が並べられていき口元を綻ばせる。


「ふふっ。じゃあ私先にお店に行ってるから、ご飯を食べ終わったらノア君も来てね。じゃあね!」


 ヴァージニアはそう告げ全身鏡を覗いた後、階段を降りていく。朝の報道番組を聴きながら朝食を食べ始めた。


「ったく、だらしねぇなー……」


 食卓の上にヴァージニアが出しっぱなしにしていったグミの袋が出ていたので、咀嚼しながら手繰り寄せる。こういうのを出しっぱなしにする割にアイロンはこまめに掛けたりして、ヴァージニアはしっかりしているのかしていないのか分からない。

 焦げ茶色の小さな紙袋に、サングラスを掛けた熊と昨日の日付がプリントされている中身の詰まったグミの袋を閉じ、机の端に置き直した。

 ニュースが切り替わり、男性アナウンサーが昨日工業区で廃工場から不審火が出たことを報じていて、つい神妙な表情になってしまった。


 廃工場の報道が終わり次の話題に移ったので、朝食を掻き込んで、一階の連絡通路からポピーに向かう。ヴァージニアが焼いているアイスボックスクッキーの匂いに満たされながら、ギャルソンエプロンを付ける。開店時間になってもすぐ客が来る訳でもないので、ノアはついつい立ったまま欠伸を零した。

 扉の上部に付けたベルが鳴ったのはちょうどその時で、見られたと焦り表情を繕う。


「……今更何真面目なフリしてるんですか? 貴方が大口を開けていたのは、お店に入る前からこの透明な扉越しに見えていましたが」

「申し訳あり、ってユスティンかよ、うっせぇ!」


 自分に注意をした金髪の人はユスティンだった。今は牧師服ではなくシャツだったが、整った顔のおかげで一目で分かってしまった。


「しかも一人かよ。お前の大事な姪はどうした」

「イヴェットさんは今日学校を休んでるので来るわけありませんよ。ところで客なんですから案内して頂けます?」

「申し訳ありませんねぇ……さっさと好きな所に座れよ、全部空いてんだからそんくらい分かれ」


 では、と言い私服の牧師は店内を横切り一番奥の席に腰を下ろす。カウンターの前を横切っていく際、ヴァージニアがユスティンを見ていたので、急につまらなくなった。


「こいつ別に友達じゃねーから! 昨日みたいなサービスはしなくていいから!」

「う、うん……本当にいいの?」


 戸惑うヴァージニアに間を置かず返事をしたのは、笑顔の割に目が笑っていないユスティンだった。


「ああ、ノアさんとは友達でも何でもありませんからお構い無く」

「はぁ……」


 早速メニュー表を見始めたユスティンに、バイトだからと言い聞かせつつポットとグラスを持って近寄った。学校に行く朝、バイトに入れる時間は短い。この牧師の相手だけで終わるかと思うと憂鬱だった。


「で。なんだよ冷やかしか?」


 グラスに水を入れながら話しかける。


「そんな訳ありませんよ。ご存知ないかもしれませんが牧師はそう暇ではないんです」

「じゃあなんだよ!」


 表面張力ギリギリまで水を入れてやろうかと思ったが、少しでもヘマをしたら笑われそうなのですんでの所で止めた。九割水が入ったグラスを青年の前に置くと、打ち明け話でもするかのように真顔になったユスティンの青い瞳がこちらを向いた。


「改めてお礼を言いに来たんですよ。……昨日はイヴェットさんを助けてくれて有り難うございました。私が至らぬばかりに、ノアさんに危険な役目を任せてしまい申し訳ありませんでした」


 急に真面目な顔で言われ返す言葉に悩んだ。が、「……本当に感謝しているんです」とどこか悔しそうに続けられ、はっと調子を取り戻す。


「別に……僕だってイヴェットに助かって欲しかったから」

「とは言いましたけど! それ以上イヴェットさんと親しくならないでくださいよ!?」

「だから知るかっての!」

「ノア君大きな声出さないの!」


 一転して態度の変わったユスティンに言い返していたら、カウンターの中にいるヴァージニアに注意されてしまい、それを見た青年は満足げに唇を歪めている。ふと、その視線がある一点に留まった。


「お前性格悪ぃな。……じゃ、注文決まったら呼べよ」


 そう毒づいて席を離れようとしたが、ユスティンは何も返して来なかった。肩透かしを食らった気分だ。もしや急に具合でも悪くなったのかと思い、視線を落とした。ユスティンはある一点をずっと見ている。

 視線の先を追うと、観葉植物横のトイレの壁、そこに貼られている連続連れ去り事件の被害者と思しき女性が六人載ったポスターを見ていた。ヴァージニアにあれこれ言われながら貼ったやつだ。


「このポスターがどうかしたか?」


 黙り込んだ牧師に尋ねたら、小さく首を縦に振られたのでポスターを見直す。ちゃんと綺麗に貼った筈なのでいちゃもんを付けられる謂われはない。


「あの……私、このポスターの人達、全員知っています」

「はぁ?」

「ですから私、こちらのポスターに載っている人全員知っているんですよ、それも同じ場所で会いました。顔しか知らないですけど」

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