1-26 『はい、喫茶ポピーです』
ポピーに帰る前ヴァージニアに電話を入れておこうと思った。午後はポピーが一番忙しい時間なのは承知しているが、イヴェットが無事なことは伝えておきたかった。
通りを見渡し、どこかに公衆電話が無いか探す。探していた物は飲食店の軒先にあり、ノアはスラックスにいつも入れている硬貨を取り出してポピーに電話を掛ける。無機質な呼び出し音が何巡かした後通話が繋がった。
『はい、喫茶ポピーです』
「店長、僕だ! 忙しい時に悪ぃ、すぐ切っから」
『ノア君!? もー、すぐ居なくなっちゃうから心配したわよ~。……ねえ、あの女の子は?』
「イヴェットは無事だ。もう教会に帰ったよ」
そう伝えると電話の向こうでヴァージニアが驚きに息を飲むのが伝わってきて、少しだけ誇らしい気持ちになった。この事件、連れ去られた女性が助かった例は発覚のきっかけになった一件しかない。
『えっ、そうなの……良かったじゃない。ノア君さぞ安心したことでしょう?』
ふふ、と笑う声が聞こえてきて自分をからかいに来てることが分かった。
「誰だって安心するっつの! 今から戻っから、それで昼食ったらバイトに戻る。それだけ伝えたかったんだ。じゃーな!」
これ以上からかわれぬよう語気を強め、返事を待たずに受話器を置いた。
ふう、と鼻息荒く息をつき、再び喧騒の中を歩いてポピーに戻る。歩いている内に迷惑を掛けた自覚が一気に湧いてきたので、今度ヴァージニアに入浴剤でもプレゼントしようと決めた。
裏口から入って二階の住居に帰る。見慣れた景色に日常に戻ってきたのだと感じる。
「あー……疲れた。なんでバイト出るとか言っちまったんだろ……」
誰も居ない食卓用の椅子にだらしなく座り、ぶつぶつと文句を言った。ほんの少し前まで火の中に居たと言うのに、自分でも切り替えが早すぎると思う。そんな自分に呆れつつ、冷蔵庫を開け非常食としてヴァージニアが常備している冷凍食品に手を伸ばす。
冷凍食品を加熱し大急ぎで食べ、ノアは賑やかなポピーにバイトに入った。
自分がバイトに入り肩の荷が下りた雰囲気のあるヴァージニアと共に店を切り盛りし、夜まで動き回った。
「ふ~、じゃあ閉店準備しよっか」
「了解、お疲れさんー」
「本当疲れたわ、今日はノア君に無茶ぶりされたし……」
「色々押し付けちまって本当悪かったって。でもおかげで助かったよ、有り難う」
唇を尖らせて責めるように言ってきたヴァージニアに改めて礼を言う。
「だったらまだ良かったわ。ねえ、明日は学校どうするの? 明日はノア君が決めて」
「んじゃ休む。……って言いてぇけど二日連続ってのも面倒臭ぇしなぁ……遅刻すっかもだけどちょっとバイト出てから行くよ」
「分かった、偉いじゃない。じゃあそのつもりで明日は居るわ」
ん、と返し店内のシェードカーテンを全て下ろした。
「事件、これからどうなるんだろうね。少しは出歩く人が増えたら良いんだけど」
「ちょっとはなんだろ。警察だって毎晩泊まっ……あ、クルトに着替え返すの忘れた……」
インテリアの配置を戻しながら話していると、黒髪の少年のことを思い出した。偶然会ったとはいえ、昨日借りたシャツを返し忘れてしまった。
「昨日のシャツ? 明日学校帰りに返しに行ったら? この前の警察の子でしょ」
「そーする。あーなんか悔しい」
食器を洗い始めたヴァージニアが自分の言葉に小さく笑う。その後連絡通路から家に戻って夕飯を食べ、ヴァージニアが買い物に出た後総合プラスティック製品を巡る刑事ドラマを聴きながらボーッとしていた。
***
夜の礼拝まで、アンリ・アランコは自室に引きこもる事にした。
工業区に居る時バイト先に顔を出し休む連絡をしておいたので、今日は夜までゆっくり休むつもりだ。
だが。
自分の部屋には吹き抜けになっている礼拝堂を見下ろせる窓がある。姉に連絡をしおえた幼馴染みが、礼拝堂と集会室や教壇裏の物置を行ったり来たりしているのが先程からちらほらと映り、非常に罰の悪い思いをしていた。
家賃が無いし牧師館での食事に混ざれるし滅多に住める所ではないので面白いが、こういう時は気まずくて心から落ち着けずに居る。ユスティンは極力二階に上がって来ないが、そういう問題でもない。
「あーあ」
落ち着かないので、イヴェットの懐中時計から発信器を抜き出す作業に掛かることにした。ラジオを付け床に落ちている黒革の工具セットを拾い上げ、机の上に置いてある懐中時計の横に並べた。
プラスねじにドライバーを差し回し蓋を開けると、すぐに異質な物体を確認出来た。ドライバーの先で発信器を掻き出し、コロンと音を立てて机に落ちたそれを見て手を止める。
十分すぎる程役立ってくれた発信器ではあるが、期間を考えるとまだまだ働きたいだろうな、と思う。イヴェットがもう一度狙われないとは断言出来ないしせめてもう一度日の目を見させてやりたいが、本人が嫌がっている以上使いどころがないまま劣化してしまうのだろうか。
申し訳なく思いつつも、アンリは発信器を机の引き出しの小物入れに放りいれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます