1-14 「うん、一応仕事なんだし受付に来た人の顔は覚えてるって」

 自分の言葉を金髪の牧師が繰り返しかけ、嫌そうに顔をしかめた。以降黙ってしまったので、こちらも話しかけることはせずにカレーを食べ進める。

 イヴェットはどこか嬉しげな表情で呆れていた。そういう表情をするからこの姪馬鹿が成長しないんだと言いたかったが、そこは言わないでおく。

 一転して静かになった部屋にラジオの音がよく響いている。いつの間にか歌は終わり、夜のニュースをキャスターが読み上げていた。


『現在エルキルスを騒がせている連続連れ去り事件ですが、新しく被害者が出たという目撃者が現れた為、警察は慎重に調査を進めています』


 滑舌よく喋る女性の声に、夕方に警察からこの事を聞かれたばかりだったことを思い出す。


「この事件、まだ続くんだね……早く終わらないかなぁ」

「警察も頑張ってるみたいだし、そうは続かないでしょ。今日炊き出し中にこの事件について聞かれたよ。このポスターの中で見覚えのある人居ませんかって。分からなかったけど」

「へぇ~! 警察の人も結構地道なことやってるんだね」


 そうみたい、と頷き、そう言えば、とイヴェットに話を振る。この為に牧師館に寄ったので忘れてはいけない。


「夕方、懐中時計修理してほしいって言ってたよね? 直しておくから出しておいて貰っていい?」

「あ、うん! 部屋まで取りに行ってくるから、ちょっと待ってて!」


 イヴェットはそう言って慌ただしく立ち上がって廊下に飛び出していく。その後ろ姿を見送り、大分減ったカレーの残りを掻き込んだ。


「アンリ。その聞かれた人の中に、礼拝に来ている方は居なかったんですか?」

「うん、一応仕事なんだし受付に来た人の顔は覚えてるって」

「だったら良いのですが。礼拝に来てる方で、もし被害に遇われた方が居ましたらとても悲しいことですからね」


 そうだね、と頷き、空になった容器をゴミ箱に投げ入れる。今回は無事にゴミ箱の中に入ってくれたので誇らしかった。


「さっきのイヴェットさんの話なんですけど、そこの喫茶店は開店が早いみたいで、行くなら学校に行く前って言っているんです。その人住み込みバイトみたいなので私は行きたくありませんから、朝のイヴェットさんの送りはアンリにお願いしても良いですか?」


 イヴェットの通学路近くで開店の早い喫茶店。

 先程女性とぶつかりかけたあの喫茶店だろう。公園の蒸気時計やロボットが見たくなって一回行ったことがある。あそこの珈琲は美味しかったし、アイロンのかけられた制服を着た店員も感じが良かった。

 もしかしたらイヴェットはその少年に会いに行くのだろうか。


「別にいいけど、代わりに朝の礼拝の準備しておいてよ」

「分かっていますって」


 約束を交わしていると、廊下からばたばたと慌ただしい音が聞こえてきた。イヴェットが戻って来たのだろう。音が一旦止まった後、すぐに居間の扉が開かれる。


「アンリさんお待たせっ。これこれ、多分懐中時計の電池切れなんだろうな~って思うんだけど」


 栗色の髪をふわりと揺らしながらイヴェットはテーブルに戻り、針が動いていない懐中時計を差し出してくる。ストップウォッチ機能の付いている懐中時計だし、イヴェットが言う通り電池切れだろう。


「だろうね。じゃぁ朝までには直しておくよ」

「うん! 有り難う」


 着席し再び勉強に戻ったイヴェットを見て、もう教会に戻ろうと思った。用は済ませたし二人の顔も見られた。戻ってゆっくりしよう。


「俺あっち戻るね。お休み、また明日」

「お休みなさいー」

「お疲れ様でした、お休みなさい」


 ん、と返事をし、預かった懐中時計を手に牧師館を後にする。眠かったり寒い日は一旦外に出るのが苦痛だが、問題がない日は外気に触れるこの一瞬が気持良い。

 教会の鍵を開け扉の中に体を滑らせた。民家の玄関より数倍広いホールだが、ここに立つとホッとする。廊下の電気を点け階段を上がり、子供部屋の一つである自室に向かった。


 一人立ちしようと部屋を探していたところ、ユスティンの父親から「教会で働いてくれるならここ使っていいよ」と言われて以来、幼児を礼拝中に預かっておく部屋の一つをずっと使っている。ごく稀に幼児に貸す時もあるが、特に片付けはしていない。

 簡易ベッドの上にも下にも家電品やタイプライターが散乱している中、先程イヴェットから受け取った懐中時計と、ヘッドボードに置いておいた黒い物体とを手元に並べ薄く笑みを浮かべた。


***


 駅員に約束を取り付けたリチェ・ヴィーティは、刑事課の部屋を出て薄暗い廊下を歩いた。原則的に二人一組で動くことが決まっているので、ペアを組んでいる無表情の少年の姿がないか視線を巡らせる。

 廊下を警務課の女性が歩いてくる。住民相談係も担っている彼女の表情はどこか疲れているように見えた。


「よ、お疲れ様! その可愛い顔が笑ってる所が見たいからちゃんと休めよー。なぁ俺の後輩知らない?」

「はいはい。愛想の悪い後輩君ならさっき一階に居たの見たよ。ぼんやりしてたけど、サボりかな?」

「泊りが続いてるからあいつも疲れてるんだろ。教えてくれて有り難う、またな~」


 女性に別れを告げ、ポスターが貼られた階段を降りる。一階はノアを連れて署に戻ってきた時よりも大分人が減っていた。市民からの相談も一段落ついたようだ。

 人の減った大広間では、刑事課で一番若い少年の姿は容易に発見出来た。出入口の近くで床に視線を落とし、雨に降られたかのように佇んでいる。たしかにこれはサボりと思われても仕方ない。


「クルト、これから駅に被害者の足取り調査をしに行きたいんだけど、手伝ってくれないか?」


 笑みを浮かべて後輩に話しかけ、指を立てて扉を示した。後輩は現実に引き戻されたかのように顔を上げた後、小さく首を縦に振る。

 よし、とリチェはクルトを連れ早速外に出た。警察署の外は先程よりも風が強く、思わず身震いしてしまった。あっという間に秋が過ぎ冬が来るのだろう。

 去年買ったコートをどこにしまったか思い出しながら、警察署の裏に併設されている専用の厩舎に向かう。前近代にはパトカーという便利な乗り物があったようだが、今は馬車に乗って現場に向かうのが普通だ。


「……ねぇ」


 蒸気を排出している煙突の脇を通った時、ふと後輩に声をかけられた。ん? と首を回して振り返り足を止める。


「リチェはさ。……どうして俺の悪口、言わないの?」


 聞き洩らしそうになる位小さな声だった。蒸気が邪魔をして、後方にいるクルトがいまいち見えない。


「そんなの、人の悪口を言う奴はモテないって昔から決まってるからだって」


 いきなりなんだ、とは言わずなるべくサラッと答える。


「それに数百年前大女優がこんな名言残してるんだよ。綺麗な目をしたいなら人の美点を探せ、綺麗な唇になりたいなら綺麗なことを言え……だっけ? まーそんなの」


 口にしてみたものの正しく思い出せなくて曖昧に返し、誤魔化すようににっと笑う。


「そっか。…………有り難う」


 煙突の音が大きかったが、礼を言われ頬が緩む。


「どういたしまして」


 短く答え、再び前を向き厩舎に向かう。警察お抱えの御者に行先を告げた後も、やはりコートの場所を思い出せず、リチェは誰にも見られない位置で苦笑いを漏らした。

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