第27話 彫り師




 丸の内のビル群の一角に、株式会社KODOKUはあった。

 その男はそびえたつビルを見上げ、エントランスに入ると受付に向かい、若く美しい受付嬢に向かっていった。

「古藤さんに呼ばれてきたんだが……」

「お名前は?」

氏原清うじはらきよしという者だ」

 氏原は細身で小柄な六十代くらいの男性であった。黒い革製の鞄を手に持ち、ジャンパーに綿のズボン、革靴というスタイルだ。

「確認が取れました。社長室は三十八階になっております。この奥のエレベーターをご利用ください」

 受付嬢は確認をとり、エレベーターまで案内してくれた。

 エレベーターが三十八階につきドアが開くと、そこにも若くスタイルのいい女性がドアの前で待っていた。氏原に挨拶をすると、待合室に案内して、椅子で待つように促した。

 空調の利いた静かで無機質な待合室で待っていると、話声がどこかから聞こえ、すぐに消えた。少しするとドアが開き、スーツ姿の男が入ってきた。

「お待たせした。こちらへ」

 男は氏原の前を通りドアを開け、そのドアの中へ消えていく。

 氏原は物おじせず、男につづいて部屋の中に入っていく。そこは白を基調とした家具に、カウンターなども設置してあるプライベートルームのようであった。

「何か飲むかい?」

 男は氏原にソファーを勧め、自らがカウンターに入り、冷蔵庫からミネラルウオーターを出した。

「いや結構」

 男は二つのミネラルウォーターをもって、ソファーにやってきた。

「私が古藤邦夫こどうくにおだ」

 歳は、四十代後半から五十代前半くらいか。中肉中背の一見、普通の男に見えるが、挙動は自信に溢れていた。

「早速だが、送られたデザインは見てもらえたかな?」

 席について、ペットボトルを開けながら古藤は訊いた。

 氏原は鞄を開いて、中から一枚の紙を取り出して、ガラスのテーブルの上に置いた。そこには曼陀羅まんだらのような文様がびっしりと描かれてある。

「可能かな?」

「……その前に一つ聞かせてくれないか?」

 氏原は猜疑心に満ちた目で古藤を見た。

「なぜ、すみを入れるんだ?よくは知らんがこんな立派なビルを構える社長さんがなぜなんだい?」

「理由が必要なのかな?」

 古藤はその目を見返して尋ねた。

「当たり前だ。わしはたんに金のために彫っている訳じゃない」

「人助けか?」

 氏原の表情が変わった。

「……そう、かもしれん。彫り物とは覚悟の象徴だ。その道しか残されていない、自分の生きざまを体に刻んで生きる、それを手伝うのがわしの仕事だ。そういう思いできた」

「あなたのことは調べさせてもらった。魂を刻む彫り師……だから、あんたにしたんだ。伊達や酔狂でないのはこの私も同じだ」

 氏原はジイっと古藤を見つめていたが、やがて目を閉じ鼻を鳴らした。

「いいだろう……受けよう。ただし、あんたの歳では思うような仕上がりにならんかもしれんぞ」

「構わん、これを体に刻んでくれさえすればな」

 斯くして、古藤と契約を交わし、氏原は都内の高級ホテルに移った。そこに滞在して、古藤の体に彫り物を入れる作業に没頭することになった。

 氏原は昔ながらのすべて手彫りで、自分で道具を作り、針を数十本束ねて作ったのみに顔料を付けて皮膚にひっかけて刺して墨を皮膚に染み込ませる。最初に輪郭線を彫り、その後、中の色を入れていくのが通常のやり方だ。

 刺青とは、針を使って体に直接塗料を染み込ませるので、皮膚の硬くなる年配には上手く墨がしみ込まないと言われていた。しかし、裸になった古藤の体は五十代には見えないほどつややかで張りがあった。

 氏原は約五十年間、全国を回り、スジモノをはじめとした様々な人間に墨を入れてきたが、古藤のような人間は初めてであったし、また依頼された彫り物の絵柄もなじみのないものであった。

「だんな、これは何ですか?」

 あるとき、氏原が図柄のことを訊いてみると、古藤は鼻で笑って、「まじないみたいなものだ」といった。

 詳しくは知らないが、サクヤンハーテウのようなタイの僧侶が行う宗教的意味合いの刺青かと思った。

 古藤の希望は、全身に刺青を入れる通称、と言われるもので、上は鎖骨の上、手や足はくるぶしまでと、隙間なくびっしりと刺青を入れるというこれもまた徹底していた。

「私は北関東の山奥の村の出身で、とても貧しい家で生まれ育った……」

 長い時間一緒にいると、自然とお互いの身の上の話もするようになっていた。氏原も古藤と株式会社KODOUについての知識がついていた。

 株式会社KODOUは、総資産三十兆円を超える企業で主にIT産業を主軸にして、投資とМ&Aで大きくなった会社だという。

 氏原は知らなかったが、古藤と言えばマスコミでも取り上げられる時代の寵児のような存在であるという。そんな男が、全身に刺青が入っていると知られば、どれほどのスキャンダルか、マスコミに疎い氏原でも容易に想像できた。しかし、当の古藤はそんなことをまるで気にしているそぶりはない。そういうところからも、氏原は古藤に対し、薄気味悪いものを感じていた。

 あるとき古藤はこんな話をした。

「刺青を入れるということは、境界線を体に刻むということ。任侠の世界なら、堅気との袂を分かつ、そんな心の境界線が刺青ではないか……」

 それが世界的企業の社長の口から発せられるとは、氏原は何から何まで古藤という男を理解しかねた。


 作業も七十時間を超え、八割がた完成した。

 姿見に一糸まとわぬ姿で立ち、刺青の完成具合を入念に確認する古藤。

「うん……いいだろう」

 何度もうなずき、古藤は鏡の中の自分を見つめる。

 がくが濃淡の黒、その中に曼陀羅のような文様が描かれ、梵字のような文字もある。胸の中心と背中の中心に二つの円が描かれ、その周辺に文様と文字が細かく描かれているという作りだ。その姿に氏原は、を思い浮かべた。

「あとは胸の中心の円の中に文様を入れれば完成です」

「その必要はない」

「え?」

「これで完成だ。ご苦労さん」

 氏原は納得がいかないといったように古藤を見つめた。

「あとは実験をするだけだ」

 古藤は指をパチンと鳴らした。すると、ドアを開けて数人の屈強な男たちが入ってきた。

「クソッ」

 部屋の中を走り逃げようとする氏原。だが、すぐに壁際に追い詰められる。

 氏原はポケットから折り畳みナイフを出し、男たちに刃先を向けた。

 男の一人が氏原と距離を詰める。氏原がナイフを振り払って、近づけないようにするが、あっという間にナイフを奪われて、床にひれ伏せられた。

「やっぱり、口封じか?」

 頭を押さえつけられ、床にひれ伏した氏原は古藤を見上げた。

「そうじゃない。君は実験台だ」

「実験台?」

「もし、君が私を呪い殺せるなら、君は晴れて自由の身だ。しかし、それができなければ、君はここで死ぬ」

「なにを言っている?」

「一週間だ。その間、君はありったけの怨みを俺にぶつけろ」

「……」

「さもなくば、君の家族が大変な目にあうぞ」

 古藤は床に一枚の写真を投げた。そこには若い夫婦と幼い女の子が写っていた。

「そんな……」

 愕然とする氏原。

「では、期限は一週間。その間、怨念をため込んでおくんだな」

 古藤たちは部屋を出ていった。

 一人残された氏原は、ドアを開けようとしたり、窓を突き破ろうとしたりしていろいろと手を尽くしたが、頑強な作りにどうにもならない。

 部屋には水もなく、食べ物もない。それから一週間、氏原は写真だけを見つめて過ごした。


 囲炉裏の前で祖母が皺くちゃな手に火箸を掴んで、炭をかき混ぜている。

 ――この村の者たちは元々、どこかから逃れ、潜んでいた者の末裔のようだ。だから、村がどんなに貧しくても他の村に助けを求めず、また助けられもしなかった。それに、この村の者とわかると酷く扱われたそうだからな。

 氏原は幼い頃のことを思い出していた。

 ――わしらの子供時分もずいぶんと貧しいかったが、じい様の時代はもっと貧しかったみたいだ。それでも、どうにかこうにかやってこれたのは、代々、伝わる力のおかげだと言われている。不思議な力でな、逃げてきた村にいた鬼女から教わったと伝えらえれてきた。陰から陽、表から裏といったように人の定めを変える力でな。

 氏原少年は両膝を抱えるようにして祖母の話を聞いていた。

 ――けどな、清。決して、その言葉をこの村以外で使ってはならないぞ。この村には結界が張ってあり、どうにかその力を留めることができるが、外で使えば力は止めどなく広がっていってしまう。

 ――どうなるの?

 ――わからん。わからんが、昔からそう言われておる。


 鍵が開く音がしてドアが開いた。

 古藤と屈強なボディーガードが部屋に入ってきたそのとき、室内に笛のような音が響いていた。

 古藤は目をむいて、部屋の中央をみた。そこにはやせ細った氏原が立っていた。

「呪いの言葉を聴きたいか?」

 しわがれた氏原がいった次の瞬間、古藤の脇にいたボディーガードの一人が突然、発狂して、古藤に襲い掛かった。顔面に拳を打ち込んで、床に倒れたところを覆いかぶさり何度も拳を打ち付ける。

 もう一人のボディーガードが止めに入っても静止を振り切り、狂ったように何度も拳を振り下ろした。

 動かなくなった古藤を見て、氏原はフッと鼻で笑って、床に崩れるように倒れた。


 ハッと目が覚めるとそこはベッドのなかであった。

 ずいぶんと悪い夢を見たと思った。どんな夢か思い出せないが悪夢であることはなんとなくわかった。心臓が激しく脈打っているからだ。

 強烈な喉の渇きを覚えたので、ベッドから出て、ミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から出した。

 何かがおかしい。

 冷蔵庫の明かりが室内を照らし、姿見に映し出された裸が見えた。そこに映っていたのは自分ではなく古藤邦夫であった。

 そして、自分は古藤の胸の中心に刺青として描かれていた。

                                     🈡

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